今月のベスト・ブック

装幀=米谷テツヤ
装画=宮坂 猛

『クラックアウト』
長沢 樹 著
角川春樹事務所
定価1,980円(税込)

 

 北上次郎急逝の衝撃からなかなか立ち直れないでいるが、嫌でも〆切は迫ってくる。平常心を取り戻して今月のベストミステリーの候補作を挙げていくと、まず伏尾美紀『数学の女王』(講談社)は一昨年の江戸川乱歩賞受賞作『北緯43度のコールドケース』の続篇。

 北海道・札幌創成署の沢村依理子が道警本部付に異動早々、新札幌に新設されて間もない北日本科学大学大学院(NSU)で爆破事件発生。沢村は何故か捜査一課の配属となる。事件は学長・桐生真宛てに仕掛けられた爆発物によるものでテロ事件として公安も絡んでくるらしい。沢村たち特捜五係も待機するが捜査はなかなか進まず、ついに警察庁刑事局長直々のテコ入れがあり、五係にも特命捜査の命がくだる。沢村は班長として女性学長に会いにいくが、桐生は人の恨みを買うような人物ではなかった……。

 大学院出で博士号を持つ異色の刑事沢村の活躍を描いた警察捜査小説であるが、前半は捜査の進展より沢村の人事を含めた警察組織の動向が読みどころ。個性豊かな五係の面々のやり取りといい、様々な権力争いを背景にした人事劇の様相といい、差別感情露わな男組織特有の嫌らしさといい、この作者ならではのアプローチが存分に発揮されていて読み応えあり。ミステリーとしては“ジェンダーバイアス”をキーワードにした巧みな誘導にしてやられること請け合いで、フーダニットものとしての面白さはもちろん、爆弾テロものとしての迫力も充分。これが長篇第二作とは思えぬ安定した仕上がりだ。

 なおタイトルからして難しげな数式が並んだりするのではないかと怖れる向きもあるかもしれぬが、その心配は無用。前作が未読でも大丈夫で、そうした心遣いからも早、ベテランの風格さえ感じさせられる。

 続いては宇佐美まこと『逆転のバラッド』(講談社)。舞台は愛媛県松山市、著者のお膝元である。1月半ば、銀行員の丸岡がチンピラヤクザに脅され川に転落、溺死するが、事故死で片付けられる。全国紙・東洋新報松山支局の宮武弘之は死因に不審を抱くが、困ったのが弘之も通う近所の銭湯・みなと湯の戸田邦明。暴力団員上がりの釜焚き係・吾郎と2人で細々とやってきたが、ついに風呂釜の修繕が必要になり丸岡に融資を頼んでいたのだ。それが白紙になりかけ、幼馴染の骨董屋・小松富夫ともども頭を抱える羽目に。

 物語は、実は殺しである丸岡の死の追及劇もさることながら、主人公たるアラカン(60歳前後)のおっさん4人の人生劇に読みどころあり。都落ちした弘之は知的障がい者の兄をめぐる諍いから離婚、生家で孤老暮らしをしており、邦明は金策がままならず切羽詰まり、吾郎はみなと湯以外、頼る当てなし。富夫は老父の開いた骨董屋の経営がうまくいっておらず、早い話、皆が皆、ダメ男なんである。そのダメ男たちがどんな逆転劇を見せるかが後半のポイントだ。

 きっかけは丸岡の元婚約者という銀行の同僚が現れ、銀行と地元の大病院との融資の闇を告発したこと。その理事長は愛媛県出身の国会議員だけでなく、反社会的勢力や金融ブローカーともつながっていた。ダメ男たちが相手にするにはちょっと巨悪すぎるようだが、そこを胸のすくコンゲーム演出でかわしてみせる著者の手際が素晴らしい。ジャンル的には犯罪小説だが、弘之にラブリーな絵手紙を送り続ける兄・秀一や、90歳を過ぎても骨董にうつつを抜かす富夫の父、「よもだ」の勢三のような枠をはみ出すキャラに注目!

 3冊目は長沢樹『クラックアウト』(角川春樹事務所)。こちらは一転して都会、東京の池袋を舞台にした血腥なまぐさいクライムノベル。池袋の北口一帯がチャイナタウン化しているとはよくいわれるが、本書では一歩進んで、中国系反社組織・玄武(シェンウー)と暴力団・久和組が抗争したあげく支配者なき「空白領域」になっているという設定だ。

 だが今、シェンウーの会長が死に瀕し、跡目争いが表面化しつつある中、アイドル出身の女優がシェンウー子飼いの殺し屋・送死人によって殺されたことから新たな抗争の火ぶたが切って落とされる。

 物語の視点人物は主に2人。その抗争を取材するライターの三砂瑛太、女優殺しとそれに続く一連の事件を追う警視庁組織犯罪対策部特別捜査隊の鴻上綾。三砂はだが5年前、組織の麻薬流通ルートを壊滅させたことでシェンウーにつかまり送死人にさせられていたのだった。クラーク・ケントは新聞記者とスーパーマンの2つの顔を使い分けたが、彼はジャーナリストと暗殺者の顔を使い分ける。一方、鴻上はその五年前の事件で父親が殉職しており、彼が追っていた送死人(三砂の先代)を目の敵にしている。

 してみると追う者と追われる者が織り成すシンプルな対決劇のようだけど、そこに第二の暗殺者が現れて場を掻き回し始めるので、事態は混迷を深めていく。アクション演出の切れ味等は推薦文を書いている深町秋生と相通じるものがあるが、この著者独自なのは、送死人がパルクールの達人で犯行に謎を凝らしたハウダニットの妙があるところ。フーダニットの妙もある点、横溝賞出身作家ならではというべきか。今月のBMは渡瀬敦子&土方玲衣のシリーズに続く新シリーズになりそうなこれに進呈するが、そういえば北上さん、池袋生まれの池袋育ちじゃなかったっけ。