今月のベスト・ブック

写真=Getty Images
装幀=高柳雅人

『踊りつかれて
塩田武士 著
文藝春秋
定価 2,420円(税込)

 

 生まれて初めて入院というのをしてみた。日帰りでも受けられる手術に3泊かけたのだが、夜型生活者がいきなり朝型生活の枠に押し込められたものだからたまったもんじゃない。それ以前から不眠症気味だったのが、余計寝られなくなってしまった。そんなときに飛び込んできたのが文芸評論家の先輩・関口苑生の訃報である。

 

 病気療養中とは承知していたが、こんなに早く逝かれてしまうとは。享年72。関口氏は小生をこの業界に引っ張り込んだ張本人であり、学生時代から半世紀以上の付き合いになる。もともとはSF畑の人だったが、読書の幅が広く、小生も数え切れぬほど指南を受けた。氏の功績といえば、その書評活動もさることながら、コメディアン内藤陳を冒険小説のレビュアーとして世に送り出し、彼が1981年に日本冒険小説協会を立ち上げる際に影の立役者となったことであろうか。また、著書『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』でも明らかなように、長年ミステリー新人賞の予選に関わり、新人作家の発掘に努めたことも明記しておきたい。個人的には共編著『一瞬の人生』他を出したときのことが懐かしく思い起こされるが、かように思い出を上げていったらきりがないし、ますます寝つきが悪くなってしまう。関口氏の話はひとまずここまでとして、今月のベストミステリー選びに移りたい。合掌。

 

 というわけで今月の1冊目は、小倉千明『噓つきたちへ』(東京創元社)。第1回創元ミステリ短編賞を受賞した表題作の他4篇を収めた短篇集で、ネーミングから軽いタッチの犯罪小説集だと思ったら大間違い、二転三転、どんでん返しの帝王中山七里もびっくりの驚愕技が仕掛けられた本格ミステリー集なのであった。

 

 その表題作は、過疎の田舎町で小学校時代を過ごした紬木大地が東京で20年以上ぶりに同級生のいっちーとみっちゃんに再会するところから始まる。3人はかつてリーダーの翔貴のいいなりになっていたが、5年生のときに翔貴が沼に落ちて昏睡状態になったのを機にバラバラになったのだった。その翔貴が目覚めぬまま最近亡くなったというのだ……。幼時の水難事故の真相をめぐる追及劇は珍しくないが、作者はいったん片を付けたのちにさらにそれをひっくり返して見せるのだ。お見事!

 

 収録作の頭に戻って「このラジオは終わらせない」は芸人のDJ音楽番組という体で、自分から自分あてにLINEメッセージが届くというリスナーのメールをめぐる謎解きがスタッフに波乱を引き起こす。「ミステリ好きな男」は嵐の中、洋館に避難した男女がトラブルに巻き込まれる。「赤い糸を暴く」は新幹線の隣席に座った女が幼い頃から男女をつなぐ赤い糸が見えると話しかけてくる。そして「保健室のホームズ」は5年2組の八幡湊斗が保健室に通学する引きこもりでミステリーマニアの長内朔太郎とコンビを組んで安楽椅子探偵を始める、といった具合に、各篇ともバラエティに富んだ話づくりがなされており、表題作と同様、とても終盤に予想もつかないサプライズが控えていようとは思いも寄らないはずだ。

 

 この作家、どんな長篇を書いてくれるのか、今後の活躍が楽しみ。

 

 今月の2冊目は、もはや日本の社会派ミステリーの第一人者ともいうべき活躍を見せている塩田武士『踊りつかれて』(文藝春秋)。今回のテーマはSNSなどネット上の誹謗中傷や虚報を飛ばす芸能報道の弾劾で、物語は「枯葉」という人物のブログの「宣戦布告」という記事から始まる。人気芸人天童ショージを自殺に追いやり、人気歌手奥田美月を引退同然に追い詰めた者たち83人の個人情報すべてを公開するというのだ。

 

 第1章では、そうしてネット上に正体をさらされた「加/被害者たち」の悲劇が描き出されていく。それは「天童の自殺現場で死者を笑い者にする」動画を作った学生・山田健であり、天童を「便所掃除でもしとけ」と痛罵した歯科医の牧村志保であり、奥田美月を張り込み、彼女から害虫呼ばわりされた元記者の小谷義昭であり、「こいつはセックス依存症」等あることないこと書き連ねた天童の元同級生・藤島一幸といった人々である。

 

 かくて物語は枯葉と加/被害者たちの戦いになるのかと思いきや、枯葉の正体は意外に早く割れてしまう。そこで本格的に登場するのが、告訴された枯葉の弁護につくヒロインの久代奏だ。奏はもともと東大出のエリートだったが、父の死を機に帰郷して京都の町ベンに再就職した。その就職先が山城新伍率いる法律事務所というのはご愛嬌。奏はまた天童の同級生でもあり、彼の笑いのよき理解者でもあったことから、枯葉の担当となり、芸能音楽界の大物だった彼が何故天童のタニマチともいうべき間柄になったのか、2人の関係性に踏み込んでいくこととなる。

 

 さらにまた、枯葉と奥田美月とのただならぬ関係性にもご注目。二人の初顔合わせのとき、まるで示し合わせたようにB・ストライサンドの歌で知られる〝The Way We Were〟のプレイが始まるシーン。奥田パートについては、バブル期の光と闇が活写されるが、ラストのダンスシーンといい、とにかく芸能描写が深く刺さりまくる。テーマの今日性といい、今月はこれで決まりだな。