今月のベスト・ブック

装画=wataboku
装幀=菊池 祐

『ファラオの密室』
白川尚史 著
宝島社
定価 1,650円(税込)

 

 年末年始、仕事が立て込んで年賀状を作る余裕がないまま今年は失敬してしまった。

 遅まきながら、謹賀新年。

 失敬したのは年賀状だけではない。初詣にも出かけていない。実は年末、突如左腰に神経痛発症。立ち上がると痺れるような痛みが走るのだが、その痛みが半端ない。長年坐骨神経痛に悩まされてきた老母の苦しみがよくわかった。一時はこのまま歩けなくなるのではと心配したが、幸い歩行するときにはさほど痛みが出ていないので一安心だ。

 というわけで、今月のベストミステリー選びも歩行に関わる作品から。第44回小説推理新人賞を受賞した遠藤秀紀『人探し』(双葉社)がそれだ。

 人探しといっても探すのは人ではなく機械。人の歩き方を解析する歩容解析システム「ラミダス」は人を歩き方だけで一対一に照合出来る。指紋やDNA情報より強い確率で、照合速度も速かった。物語はラミダスを開発した能勢恵がJR東日本とおぼしき鉄道会社と連携してラミダスに駅の防犯カメラをチェックさせ、20年前に起きた練馬一家5人殺害事件の犯人を特定、逮捕へと導くところから始まる。もちろん警察国家にもつながるラミダスの捜査導入は正式なものではなかったが、その成果は確かなものだった。

 だが能勢の目的は犯罪捜査ではなかった。彼女は小学生のとき、売春婦の母とつきあっていたコウタという男に母を殺され、自分も凌辱される目にあっていた。彼女はコウタに復讐するため勉学に励み、ラミダスを開発したのだ。やがて彼女はラミダスの運用に協力する鉄道会社の笹本が自分を捨てた母を苦労して探し出したことを知らされるが、程なく彼女にもコウタを発見する日が訪れる……。

 能勢は直ちに復讐に移るがどのような方法を取ったかは読んでのお楽しみ。現実的に考えると、結構危ない手じゃないかと思うけど、そこはスルーして、その後の能勢のコウタの扱いがエグい。まさに執念の爆発だ。そこから犯罪者となった能勢と善意の人探したらんとする笹本との相克劇が始まるのだが、犯罪者であることに徹しきれるか、煩悶する能勢の姿に注目のクライムノベルだ。

 なお著者は東京大学の教授で、比較形態学・遺体科学がご専門というその道の権威。ラミダスもなるほどのアイデアだが、今後作家活動に期待していいのだろうか。ラミダスのシリーズ、もう少し読ませてほしいです。

 今月の2冊目は第22回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した白川尚史『ファラオの密室』(宝島社)。22年の歴史を誇るこのミス大賞史上、もっともトガった受賞作というべきか。何しろ舞台は紀元前1300年代後半のエジプトで、日本人が出てこないどころか、現世に蘇ったミイラが密室の謎を解くというのだ!

 神官書記のセティは死んでミイラにされ、冥界に渡るが、女神マアトによる死者の審判で心臓に欠けがあると拒否、現世に戻って探してくるよういわれ、3日間の猶予をもらう。先王は太陽神アテン以外への信仰を一切禁じたまま亡くなっていた。セティは葬儀に向けた王墓での作業中に崩落事故にあって死んだのだが、前後の記憶を失っていた。

 セティが目覚めたのはその葬儀の前日だった。セティは早速関係者に話を聞こうと、王墓の建設村に赴き神官長のメリラアに会うが、自分の死の真相については要領を得ない。だが警察隊長のムトエフから、同期のジェドが怪しい行動を見せていたという証言を得る。その後、親友のミイラ職人タレクと再会、タレクは捜査に協力することを誓う。

 ここで話はいったん、さらなる主要人物の1人、異人の少女奴隷カリの受難劇に移るが、そののちセティ殺しの容疑者ジェドから思いも寄らない黒幕が明かされることになる。その一方で、葬儀当日には、先王のミイラが密室状態の王墓の玄室から消失、外の大神殿で発見されるという大事件が起きていた。新王はこれを先王の魂が葬儀を拒絶したものと受け取り、責任ある神官団の粛清が始まる。

 舞台は古代エジプトといっても、冥界が存在し、ここではミイラも甦る。さらにはそれを人々が無理なく受け入れるという落語、否、特殊設定の世界だ。しかし設定は特殊でも、政治制度の変革期にドロップアウトしたエリート官僚が危機を救うため命をかけた戦い(本書の場合、すでに死んでますが)に身を投じるという話は現代にも通じるだろう。

 セティの探偵行に協力するミイラ職人のタレクと少女奴隷カリのナイスアシストぶりにもご注目。特にカリは鋭い洞察力で王墓への石運びをめぐる謎を解明してみせるなど優れた推理能力を発揮する。スピンオフにも期待出来るかも。

 もちろん読みどころは、冒険活劇面だけではない。ピラミッドの密室を舞台にしたミイラ消失の謎仕掛けは、横溝正史や島田荘司のアクロバティックなそれにも比肩するものであろう。そこだけ取っても、本格ミステリーファンは読み逃せないし、著者はほかにも謎仕掛けを用意しているのでお楽しみを。

 著者はまだ34歳だが、これまた東大卒のオンライン証券会社マネックスグループの取締役兼執行役ということで、本業のほうがご多忙かと推察される。古代文明もの、現代ものに、この先即戦力の新人として大いに期待したいんだけど、書いてくれるかなあ。