今月のベスト・ブック

装画=風海
装丁=bookwall

『ちぎれた鎖と光の切れ端』
荒木あかね 著
講談社
定価2,090円(税込)

 

 毎度病気自慢のようになってきた本欄の枕だけど、罹ってしまいましたよ、新型コロナに。この病気にしては感染経路がはっきりしていたのが珍しいが、だからといって症状が軽くなるわけではない。幸い発熱だけで済み、大した後遺症もなかったのは人徳のなせる業か。などと言ってると、今度はインフルが待ち受けていたりするから油断はできない。

 ここはレビューに精進せねば、ということで、今月のベストミステリー選びに入っていくと、伊吹亜門『焔と雪 京都探偵物語』(早川書房)は大正期の京都を舞台にした連作スタイルの本格ミステリー。全5話。

 鯉城武史は元京都府警刑事の私立探偵。貴族院議員のご落胤で幼友達の露木可留良と共同経営で事務所を構えている。もっとも露木は蒲柳の質で鯉城に仕事を紹介する役回り、現場で事に当たるのはもっぱら鯉城というパターン。第1話はやり手の材木商人・小石川から化け物が出ると噂される別荘に一晩張り番するよう依頼された鯉城が寝ずの番に当たると、噂通り、人の姿はないのに騒がしい声が聞こえてきた。翌日、小石川同道のもと別荘を再訪することになるが、惨劇が……。

 すわ京極夏彦調の妖怪ものかと思いきや、この趣向はこれだけで、続く第2話は馴染みのカフェの女給の依頼で、彼女の女友達につきまとうストーカー退治に鯉城が一役買うことになる。第3話は鯉城が西陣の織元の社長夫婦とその弟である専務が惨殺された事件の第一発見者になったことが記され、その数奇な顛末が描かれていく。いずれも鯉城=ハードボイルド探偵、露木=安楽椅子探偵というわかりやすい図式の話作りになっているが、視点が露木の一人称に代わる第4話で大きな変化が待ち受けている。後半は男女の愛憎が交錯するヒネリの効いた多重推理ものに仕立てられており、さすが連城三紀彦の後継者と目される作者ならではの出来映えだ。

 2冊目も大正時代の話。三上幸四郎『蒼天の鳥』(講談社)は今年の江戸川乱歩賞受賞作。田中古代子は女性の地位向上を目指し、“新しい女”の潮流を訴える鳥取県在住の新進女流作家。1924年(大正13年)7月、彼女は7歳の早熟な愛娘・千鳥とともに兇賊とその一味がパリの街を支配しようとする伝説の活動写真「探偵奇譚 ジゴマ」を見に鳥取市を訪れる。友人の作家・尾崎翠と旧交を温めたのち、さっそく劇場でジゴマと名探偵ポーリンの戦いを見始めるが、前篇の山場に差しかかったところで舞台が火事に。しかも突如銀幕の中から現れたジゴマ当人が隣席の男を刺し、古代子たちにも襲いかかる。

 何とか逃げ延び、故郷の浜村へ帰った古代子たちだったが、ジゴマとその手先たちはやがて浜村にも現れる。母子の窮地を救ったのは、筋金入りの社会主義者である古代子の内縁の夫・涌島義博だった。涌島はジゴマたちが質の悪い無政府主義者と関係しているのではないかとにらむが……。

 一見超自然的な出だしの演出から、関東大震災後の不穏な社会状況が浮き彫りになっていくあたりの手際のよさはさすがベテランらしい筆遣い──と書きたくなるが、もちろん本書は著者のデビュー作。ではあるのだが、著者はアニメやドラマの世界ではすでに多くの作品を手掛けてきた脚本家。ストーリーテリングの巧さにかけては並みの新人の比ではない。何より、実在の人物である田中古代子・千鳥が全篇にわたって躍動している。世間にもてはやされながらも気管支炎に苦しみ、尾崎翠ともども鎮痛剤に依存していった人生は楽なものではなかったはずだが、本書はそうした闇を感じさせない前向きな姿が描かれている。乱歩賞らしいエンタメ・ミステリーの王道を行く冒険と謎解きの物語である。

 3冊目の荒木あかね『ちぎれた鎖と光の切れ端』(講談社)は乱歩賞の昨年の受賞者の長篇第2作。二部構成の現代もの長篇だ。

 九州の島原湾に浮かぶ孤島・徒島。物語はそこに向かう男女8人の姿から始まる。大阪の仲良しグループが島の宿泊施設──海上コテージを利用して休暇旅行を楽しむはずだったが、それにしては語り手、樋藤清嗣の口調には悪意がこもっているようなと思っていると、程なく彼が自分以外の客6人を皆殺しにしようとしていることが明かされる。

 冒頭の設定からありがちなクローズドサークルものかと思いきや、樋藤の鬼のような復讐心に触れてぞっとせずにはいられないが、さすがの彼もいざ実行に移すとなるとためらいを覚えるのだった。だが滞在初日の夜、何者かによって参加者の1人が殺され、舌を切り取られる。さらに第二、第三の殺人が。犠牲者は決まって前の殺人の第一発見者で、しかも舌を切り取られていた……。

 鬼のような復讐譚からサイコサスペンス調の連続猟奇殺人ものへ、さらには驚愕の多重推理ものへと物語は変転していく。先の読めないその展開に驚いている場合じゃない。

 第2部は3年後の大阪に舞台を移して、今度はエキセントリックな家庭ごみ収集作業員の娘・横島真莉愛が徒島事件の再来とおぼしき事件に巻き込まれていくのだ。第1部とどのような形で結びつくのか、その屈折した人間ドラマ演出も新人離れした力業で、正直、著者が2作目でここまで超絶技巧のミステリードラマが書けるとは思っていなかった。今月は本当にA・クリスティーの生まれ変わりかもしれない荒木作品に脱帽のBMを。