今月のベスト・ブック

COVER DESIGN & PHOTO=岩郷重力+Y.S

『サイケデリック・マウンテン』
榎本憲男 著
早川書房
定価2,530円(税込)

 

 コロナの引きこもりからの復帰が進まない。まったく閉じこもっていたわけじゃないのだが、深夜型生活からなかなか抜け出せないのだ。悪戦苦闘しているうちにまたぞろ睡眠障害がぶり返す始末で、健康生活からはほど遠い。夏が来る前に何とか昼型くらいには戻さないと命に関わりそうだ。

 というわけで今月のベストミステリー選びの候補は、週に3回人工透析を受けている主人公に身につまされた五十嵐律人『魔女の原罪』(文藝春秋)から。

 和泉宏哉は創立6年という鏡沢高校の2年生。同校は校則のない自由な校風で知られていた。ただし法律に違反しない範囲で。校内のいたるところに防犯カメラが設置されていたのだ。夏休み明け早々、1年生の男子生徒が窃盗犯として停学処分を喰らうが、ある日その生徒がスーパーで母親に万引きを強要されているのを目撃、正義感の強い宏哉は窃盗事件の処分の再考を働きかけ始める。その生徒はクラスでいじめにもあっていた。宏哉は校長に直談判するが、その生徒は自主退学してしまう。そうこうしているうちに、宏哉の身辺でさらなる大事件が……。

 前述したように宏哉は人工透析患者だが、父は腎臓専門医、母は臨床工学技士で、何故か中世の魔女狩り研究に勤しんでいる同級生の水瀬杏梨とともに自宅で治療を受けている。その水瀬がこのところ治療をさぼりがちだったことや、40年前にニュータウンとして建設された鏡沢町が古くからの住民(「カツテ」と呼ばれる)と新住民との間に対立があることなどが並行して明かされていくが、物語のメインは一見自由闊達な高校のヒミツとその謎解きにあるのではないかと。

 そう思わせたところで、しかし著者は思いも寄らぬ殺人事件という爆弾を投下する。仔細は本文でお確かめ頂くとして、思わずうなってしまったのは、宏哉の病気や水瀬の魔女狩り研究、カツテと街の新興勢力の対立等は高校で繰り広げられるミステリーの裏話的なものであり、背景に過ぎないと思っていたのだが、トンデモない、それらがその殺人事件をきっかけに、一斉に本来のミステリーの表舞台に躍り出てくるからである。

 ありがちな高校ミステリーから、家族、学校に地域までひっくるめた大胆にして緻密な謎設定に拍手。リーガルミステリーの旗手として売り出し中の著者だが、読み始めはどうしてこれが、と思わなくもなかった。後半はしかし、意外な弁護士役も登場、どんどんリーガル色が強くなっていく。

 むろん本書で扱われているテーマがコロナとコロナ後の世界のありかたにもつながっていることはいうまでもないだろう。新たな世界を見据えた、限りなくリアルな特殊設定ミステリーである。

 次は『巡査長 真行寺弘道』や『DASPA 吉良大介』等独自の警察小説シリーズで知られる著者の大作。榎本憲男『サイケデリック・マウンテン』(早川書房)である。

 東京・青山のバーで国際的な投資家・鷹栖祐二が刺殺される。あっさりつかまった犯人の三宅はかつて渋谷でLSDを散布した新興宗教・一真行の元信者であることが判明するが、被害者とは面識がなく、動機はあいまいだった。マインドコントロールが疑われたので、国家総合安全保障委員会(NCSC)テロ対策セクションの弓削啓史は兵器研究開発セクションの井澗紗理奈に協力を乞う。2人は洗脳解除のスペシャリスト・山咲岳志に白羽の矢を立て、和歌山の一真行本部近くに住む彼のもとに赴く。

 かくて山咲が三宅を診ることになり、程なく三宅には言葉を封じるプログラム――アンカーが埋め込まれていることがわかるが、その除去には難航する。だが弓削たちはやがて三宅の口からグリーンコールという言葉を引き出すが……。

 得体のしれないテロリストという設定は呉勝浩『爆弾』を髣髴させるが、こちらの犯人はマインドコントロールされており、その黒幕捜しが物語のキモとなる。その意味では、とてもシンプルなストーリーなのだが、そもそも設定からして、自衛隊が自衛軍と改称され、その予算も活動も右肩上がりに増えつつある近々未来。沈みゆく国を救うべく政府は軍国化を進めており、著者はその様々な局面をつぶさに描き出してみせる。

 主人公の2人も「美しい国の保守を信じる男」と「完璧な兵士を開発する女」と一見アブなそうだが、著者はそんな2人が犯罪捜査と科学研究に沿いながらも、真摯に事件に向き合うことによって世間の歪みを正そうと奮闘する姿をリリカルにとらえていくのだ。

 もちろん彼らとは逆方向に暴走していくキャラもいる。鷹栖祐二の軌跡がまさにそれで、これまでの社会派ミステリーの被害者キャラを逸脱するパワーを発揮してのける。結果的に殺されてしまうが、決してただの悲劇の人に終わっていないところが凄い。

 シンプルと思われたミステリー作りの方も「鷹栖祐二の生涯」を挟んで後半、思いも寄らぬサスペンスフルな展開をみせる。これは現実の事件が起きる以前に構想されたものなのか。いや、現実の事件を取り入れたにせよ、入れないにせよ、政治、経済、金融、情報工学から宗教、哲学まで織り込んだ博覧強記な筆致に溶け込んでまったく違和感ない、今月は榎本小説の集大成たるこれにて決定!