今月のベスト・ブック
『ファズイーター』
深町秋生 著
幻冬舎
定価1,870円(税込)
ロシアのウクライナ侵攻は次第に戦争犯罪も明らかにされ、気が沈むばかりである。人はここまで酷薄非道になれるのかといいたいところだが、日本とて同じことをした過去があり、他国ばかり責めるわけにはいかない。改めて戦争反対。それにしても、何万もの人々を地獄の底に追いやって屁とも思わぬ神経とはいかなるものか、ミステリー読みとしては気にせずにはいられない。
今月のベストミステリー選びも、まずは人の内面を追究した1冊から。といっても、実は前号で日下三蔵が紹介済なのだが、松城明『可制御の殺人』(双葉社)がそれ。第42回小説推理新人賞の最終候補である表題作を始め全6篇収録の連作ものだ。
冒頭の表題作はQ大学の大学院生・更科千冬が学業の、そして恋の、さらには就活のライバルでもある白川真凜を殺そうと決意するところから始まる。千冬は得意の道具を使って機械工学専攻らしい犯罪計画を立てる、というと、いかにも倒叙ものの正統をいくようだけど、犯罪の陰に黒幕あり。そこに関わってくるのが、真凜の知り合いの鬼界だ。
鬼界は人を1つの制御システムとしてとらえて操作する研究をしており、誰もその素顔を知らない謎の工学部生。表題作もどんでん返しの妙もさることながら、鬼界が千冬の犯罪にどう関わっているかがミソ。続く「とうに降伏点を過ぎて」はQ大のサークル工作部からはみ出た連中の集まり、工作本部に鬼界も参加するが、その素顔というのが……という衝撃的出だしから始まる部活事件もの。続く「二進数の密室」は前篇に登場した工作本部の月浦一真の妹・紫音の身辺劇というふうに登場人物が連鎖していき、最終的に各篇の謎を貫く全体像が見えてくるという塩梅。
本書の帯には「新たなる“ダークヒーロー”」なる惹句が付されているが、新手の理系本格というだけでなく、ホームズならぬモリアーティ教授の方を主役にしたノワールな本格ミステリーの登場でもあるといっておきたい。
新人賞系が続く。京橋史織『午前0時の身代金』(新潮社)は第8回新潮ミステリー大賞受賞作。小柳大樹は東京・四谷にある大手弁護士事務所に勤める新米弁護士。公益のための法律業務を行うプロボノの専任で、4月初旬、ボスの美里千春の知り合いという娘、本條菜子の相談を受ける。
彼女は自分が詐欺をやったという。美容専門学校で親友が出来たが、その彼氏が実は詐欺グループの受け子のリーダーで自分も巻き込まれた。しかも男は親友に暴力を振るい、殺してしまった。菜子はその復讐に、ある会社社長の鞄を強奪する男の計画を妨害しようとするが失敗、追われていたところを美里に助けられたという次第。小柳は相談に乗るが、その夜菜子は失踪。翌朝、誘拐犯からIT企業のCI社に、犯行宣言と身代金10億円をクラウドファンディングで日本国民から募集する旨、脅迫メールが届く。
クラウドファンディングとはネット上で不特定多数の人から資金を集められる制度で、何でCI社なのかというと同社がそれ専用のサイトを持っていたから。詐欺話から軽快に始まった物語は程なくシリアスかつスリリングな様相を見せ始める。誘拐ミステリーの読みどころ、身代金受け渡しにクラウドファンディングを使ったところも拍手だが、やがて菜子がテレビの人気キャスターの娘だったり、犯人の狙いが別にある可能性が出てきたり、先の読めない展開は一層加速していく。
著者は実績のある放送作家だが、今後は即戦力の小説作家としても活躍が期待される。
3冊目の深町秋生『ファズイーター』(幻冬舎)は「組織犯罪対策課八神瑛子」シリーズの第5作。品行方正だった八神が悪徳刑事に変貌したのは夫の変死が原因だったが、その真相も第3作『アウトサイダー』で突き止め、続く『インジョーカー』では腐れ縁の関係にあった暴力団・千波組が破綻、組長の有嶋章吾も失脚した。このシリーズも新作が出るとすれば、新たな敵が登場する新シーズンになるかと思いきや、どっこい伝説のヤクザ有嶋はしぶとかった。
物語は秋葉原の住宅街で千波組系の麻薬密売人相手に八神たちの大捕り物が繰り広げられるところから始まる。かつての千波組は薬物をタブーとしていたが、有嶋は未だに組長の座に居すわり続け、薬物売買に手を染めるどころか荒稼ぎをしていたのである。だがせっかくの手柄も、同じ頃起きていた事件で帳消しに。池之端交番で夜勤の巡査がナイフで男に襲撃されたのだ。幸い犯人はつかまっていたが、ここ一、二ヶ月の間に、町田署管内で過剰な職務質問が問題になったり、品川で元神奈川県警の刑事が何者かに射殺されるなど、警察への風当たりが強くなる事件が相次いでいた。暴力団社会でも、大物が立て続けに事故に遭ったり、失踪したりしていた。
八神はそこに有嶋の暗躍を疑っていたが、その頃服役中の千波組組員を夫に持つ比内香麻里は、若い衆とともに斉藤と名乗る男と密かに拳銃の取引をしていた。シリーズ既作でも、八神の前に様々な強敵が現れたが、今回のそれはこの男。有嶋組長1人でも始末に負えないというのになあ。肉体活劇、銃器活劇の迫力は相変わらず、社会派ミステリー趣向もまじえてページおく能わずだ。戦争反対を唱えながら、血腥い話をベストにするのは気が引けるけど、紙の上のこととて許されよ。