今月のベスト・ブック
『命みじかし恋せよ乙女 少年明智小五郎』
辻真先 著
東京創元社
定価 2,310円(税込)
2024年の各年間ベストテンが出揃ったようだが、近年は結果を見るのがちょっと憂鬱。あまりに読み残しが多いからだ(特に海外作品ね)。後で読もうと思っていても、新刊に追われて結局積ん読で終わってしまう。視力や集中力も衰えて読書も捗らなくなってしまったし、老人力が増す一方のこれから、わしゃどうしたらいいのだ! と泣き言を洩らす年末の小生であるが、今月はそんなお爺を励ましてくれた傑作を紹介したい。
その前に、まず1冊。今月のベストミステリー候補を。1月号で東さんが矢樹純『血腐れ』(新潮文庫)をベストに挙げられていた。家庭生活を背景に、日常の謎ならぬ日常ホラーにイヤミスの妙を兼ね備えた6篇を収めた短篇集であるが、今月紹介する矢樹純『撮ってはいけない家』(講談社)は今流行りのモキュメンタリー(疑似ドキュメンタリー)ドラマ撮影に材を取った長篇である。
映像制作会社のディレクター杉田佑季はモキュメンタリーホラードラマ「赤夜家の凶夢」のロケハンに、オカルト・マニアのAD阿南幹人とともに山梨県北杜市の旧家白土家に向かう。白土家はプロデューサー小隈の婚約者・紘乃の実家だったが、旧家の男子は皆12歳で亡くなるか、行方不明になるという小隈が書いたドラマのモデルが白土家ではないかと佑季たちは疑っていた。小隈には亡き前妻との間に11歳の息子昂太がおり、昂太は幼時から誰かに食べられるなど気味の悪い夢を落涙しながら見ていて、白土家にも秘密が多くありそうだった。実際、2階に上がらせない蔵があったり、男児の名前が連名で刻まれた位牌があったり、不気味な暗号めいた経文が残されていたり、紘乃の年代ごとの写真に写った犬が全部違っていたり……。
前半から、怖いというより、謎また謎といった展開のようだけれども、いざドラマ撮影が始まると怪異が起きる。モキュメンタリータッチで描かれていくそのくだりは映像化したらさぞや怖いだろうなと思わせられるが、大きな謎が1つ明かされる中盤からは子供の失踪事件発生とともに伝奇趣向も加速し始めページを繰る手が止まらなくなる。
著者の魅力は超自然のホラーと謎解きミステリー趣向が両立していることだ。物語中盤からは、さらにADの阿南によって60年前の大量殺人事件という大ネタがぶち込まれる。超常現象と思われたことが、にわかに禍々しい現実味を帯びてくる恐怖とサスペンス。終盤はそれにプラスしてフーダニットの妙も炸裂する。その点、日常系の『血腐れ』とは一味異なるホラーミステリーのインパクトが味わえること請け合いである。
杉田と阿南のコンビは地味目だけど、オカルト・マニアの阿南が優秀なデータマンぶりを発揮してくれるし、小生のご近所にお住いのようでもあるので、次回作に期待!
というところで、お爺を励ましてくれた傑作に移ると、辻真先『命みじかし恋せよ乙女少年明智小五郎』(東京創元社)がそれ。お爺を励ますっていったって、著者の方が二回り近くも年上であられるんですがね。
1919年(大正8年)、帝国新報の記者・可能勝郎は東京郊外世田谷村の富豪・守泉家を訪れる。スペイン風邪で中止していた祭事を再開するという。守泉邸は空から見るとむの字そっくりなことから「むの字屋敷」と呼ばれていた。そのむの字屋敷に人気芝居の「なかむら座」を招き、村人に見せるのだ。緊縛画家・伊藤晴雨のモデルとなる佐々木カネの案内で勝郎は邸内を回り、関係者と顔を合わせる。その夜、飲み過ぎて酔いつぶれた勝郎は縁台に仰臥する女の死体を発見するが、現場を離れたわずかな間に死体は消えてしまう。皆は、勝郎が見たのは死体ではなかったというのだが……。
世田谷の田舎(失礼)に広がる広大な屋敷を舞台になかなか事件は起きないし、明智少年も出てこないと思っていると、着々と張られている伏線を見逃しかねない。とにかく屋敷も広大なら、そこに集う人の数もまた半端ないわけだが、著者は20数人の主要人物を分かりやすいように出し入れして楽しませてくれる。とりわけ“以心伝心”で通じ合った佐々木カネと2人の娘。大正デモクラシーとはいえ、まだまだ男尊女卑思想が根強く残る時代。三人三様の個性を発揮してみせるキャラクター造形に注目だ。
そして中盤、上演後の打ち上げの席で起きる衆人環視下の悲劇。満を持しての大芝居というか、屋敷内を縦横無尽に生かした演出で読者を物語の中に引きずり込む。しかもそれはクライマックスの序盤に過ぎないのである。
何しろこの段階では、まだ明智少年の見せ場らしい見せ場も出ていないし、と思っていると、やがてトンデモない事態を迎えることにもなる。いったいこれはどうなるのだ、著者はどう責任を取ってくれるのだ、などと憤っているとしかし、程なく自分が見事に著者の術中にはまっていたことが判明するという次第。
ややスロースタートの序盤から、この著者らしい大正ロマンの本領が出始める中盤、そして本格的にミステリーが始動する後半と、巧緻な構成に緩みなし。いやはや小生、体にちょっとガタがきたくらいで爺宣言してはいけません。大正期の若者たちを見事に活写してのけた著者を見習わなくては。今月のベストは謹んで辻作品に捧げます。