今月のベスト・ブック

装画=ゲレンデ
装幀=ハイ制作室 ゴトウヒロシ/渡辺優史

『フェイク・マッスル』
日野瑛太郎 著
講談社
定価 1,980円(税込)

 

 何かと話題のMLB、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手。一体何を食ったらああいう活躍が出来るんだろうと思って調べてみたら、食の方もトンデモなかった。何せ高タンパク低脂質なメニューを1日7回に分けて4500キロカロリー(一般男子の倍)摂るというのだ。調味料は使わず、味は二の次。甘いものは我慢し、酒も呑まないと。

 いやはや第一線のアスリートとはいえ、見上げたストイックぶりではある。甘い欲望に負けてしまいがちな老いぼれも見習わなくては、ということで、今月のベストミステリー選びもまずは前号で紹介済みの田村和大『修羅の国の子供たち』(双葉社)から。こちらの主人公曰佐正範はヤクザの息子。父・種雄から虐待を受ける日々を送っていたが、同じくヤクザな父を持つ小学校の同級生蒲田寅や男漁りの激しい母親を持つ仁科加夜と秘密の場所で会い、慰め合っていた。同じストイックでも、こちらの3人が強いられる日常の我慢は生きる瀬戸際に追い詰められる類のもの、たまったものじゃない。やがて破局が訪れる。寅が父親が使うはずだった拳銃で加夜を狙っていた男を射殺したのだ。また種雄も何者かに殺され、3人は別々の道を歩み始める。
 しかし正範と寅のヤクザを憎悪し、潰そうとする結束は固く、2人は正範の進学時に、金のためなら手段を選ばないヤクザの函南と密約を交わす。この中盤以降の展開はアンディ・ラウとトニー・レオンが共演した香港ノワール映画の傑作『インファナル・アフェア』を髣髴させよう。そう、潜入と裏切りの捜査活劇であるが、本書の場合、出だしからやがてリーガル・サスペンスにもなるよう仕向けられているのがミソ。現役の弁護士作家たるこの著者ならではの作風というべきか。ノワールファンには必読の1冊である。

 次は不定期の新人賞、創元ホラー長編賞受賞作、上條一輝『深淵のテレパス』(東京創元社)。PR会社の営業部長高山カレンは部下の館花ゆかりから「変な怪談」を聞きにいかないかと誘われる。弟が入っているオカルト研究会が開くイベントだという。多くは退屈だったが、ある女子学生の怪談だけは印象に残った。その2日後、カレンの身辺に異変が。水気のない寝室からばしゃり、という音がしたのだ。ドブ川のような異臭も。その日はそれだけだったが、翌晩から毎晩のように鳴るようになったのである。ついには緑色に濁った汚水が廊下全体にぶちまけられたように出現するに至って、彼女が頼ったのが「あしや超常現象調査」だった。
 映画宣伝会社勤務の傍ら趣味で超常現象調査を続ける晴子と越野のコンビがいい。懐の深い恐れ知らずの晴子と小心者だがはしこい越野。前半はこのコンビを軸に怪談を語った桐山楓捜しが描かれていくが、その桐山が姿を現すと、物語は思いも寄らない方向へとねじれていく。ミステリーとホラーの程よいブレンドを堪能させたかと思うと、後半は伝奇趣向に冒険活劇まで盛り込んでみせるサービス精神の旺盛さ。「ホラーとして娯楽小説として、非常に高いレベルでまとまっていた」(澤村伊智)との選評もむべなるかな。
 個人的には、125ページに出てくるナニの言葉に背筋がぞわっとしましたが、けだし即戦力のホラー系「大器である」(東雅夫)。

 3冊目も新人だが、こちらは70周年を迎えたご存じ江戸川乱歩賞の受賞作、日野瑛太郎『フェイク・マッスル』(講談社)。
 大手の「週刊鶏鳴」はライバル誌に倣って潜入取材記事を企画。たった3ヶ月のトレーニングで飛躍的な肉体改造に成功して見事、ボディビルのコンテストに入賞した人気男性アイドルグループAEGISの大峰颯太に目をつける。大峰の早すぎる肉体改造にはSNS上でもドーピング疑惑が指摘されていたが、大峰は六本木に自らがプロデュースしたジムを開く。そこに潜入させる記者に選ばれたのは、文芸編集者を志しながら「週刊鶏鳴」に配属されていた新人の松村健太郎だった。
 トレーニング自体未経験の松村は入会早々へまを仕出かすが、それが縁で世話好きなベテラン会員馬場の手ほどきを受けることに。2ヶ月後には大峰のパーソナルトレーニングを受けるまでにこぎつけるが、彼との面談ではドーピングに関する証言は引き出せない。松村は上司と相談し、大峰の尿を検査するべく何とか入手しようとするのだが……。
 かくして新人記者・松村のトレーニングとネタゲットの悪戦苦闘の日々は続くが、中盤からは大峰の恋人と思しき女性の視点もまざり、物語は深みを増していく。大峰のドーピング疑惑はなかなか白黒がつかず、その膠着状態が松村のトレーニングにも反映され、ウエイトトレーニングの重量も80キロで停滞。だがその打開策と並行して、ドーピング疑惑の謎がダイナミックに解きほぐされていくことになる。
 もっとも、そこで松村は新たな試練を課せられる羽目になるのだが、それがまた伏線にもなっているというあたり、この著者のただならぬ物語巧者たる証というべきか。ちなみに、著者はこれまで乱歩賞に3度連続して最終候補に残り、落ちてきた。今回4度目の正直で受賞に至った次第であるが、そうした候補歴はダテではないということだ。
 本書は松村の成長小説としてもユーモアミステリーとしても楽しめる乱歩賞受賞作の王道を往く1冊である。今月はこれにて決定!