今月のベスト・ブック

装幀=上野匠(三潮社)
装画=安楽岡美穂

『残星を抱く』
矢樹 純 著
祥伝社
定価1,760円(税込)

 

 安倍元総理銃撃事件は憎悪犯罪だったということで、被害者一族、自民党と旧統一教会との因縁がえぐり出される展開と相なった。政権与党と霊感商法、合同結婚式等で悪名高き宗教団体との間にこんなつながりがあったのかと歴史の闇の深さに改めて震撼させられる思いだが、今月のベストミステリー選びもまずは日本の戦後史の闇を浮き彫りにした問題作から。

 長浦京『プリンシパル(新潮社)がそれだが、主人公は何と高等女学校の女教師。彼女、水嶽綾女は3代前からヤクザの頭目を続ける水嶽組本家の娘で、終戦の日、父・玄太が危篤となり、正統後継者たる兄たちが皆戦地に出たままだったこともあって、彼女が組が営む会社の会長兼社長代行に就くことに。

 水嶽組は金や利権で昔から政治家、軍部と結びついてきた。隠匿物資も多々あり、トップに就いたその夜から、綾女は命を狙われる。その抗争は凄惨そのもので、組の古強者たちの中にはとてもお嬢さんには務まらないと見下す者もいたが、彼女は襲撃者たちに冷酷な報復を断行、やがて大物政治家や米軍――GHQの悪漢どもを向こうに回して凄腕ぶりを発揮し始める。

 ヤクザの代替わり劇といえば、まず脳裏に浮かぶのは映画でもお馴染みマリオ・プーヅォの名作『ゴッドファーザー』だろう。本書はその主役たる若親分マイケル・コルレオーネをあえて女性に演じさせ、日本の戦後史と重ね合わせる試みともいえるが、女親分がその地位に就いて維持するのは男の何倍何十倍か大変であろうことを著者は承知している。綾女は既作『リボルバー・リリー』のヒロインのように自ら暴れ回ることは少ないが、えげつない犯罪も辞さない。けだし女ハードボイルドものの極みというべきか。むろん戦後の裏面史、モデル小説としての面白さもたっぷりの重量級犯罪小説に仕上がっている。

 2冊目は、第19回『このミス』大賞受賞作『元彼の遺言状』と近作『競争の番人』が2期連続で月9ドラマ化されるという快挙を成し遂げた新川帆立の「新たなる代表作」先祖探偵(角川春樹事務所)。

 先祖探偵とは文字通りご先祖様を探す専門の探偵で、東京・谷中に事務所を構える邑楽風子は高校卒業以来興信所でアルバイトをしていた経験を活かし、26歳でこの仕事を開業。彼女自身、母親の記憶がうっすらあるだけで施設で育ち、自分のルーツも知りたかった。物語は連作仕立てで全五話収録。

 第1話は町おこしで表彰したいとわざわざ宮崎の田舎から出てきた役人の願いに応じるべく111歳の曽祖父を探してほしいという商社マンの依頼を受ける。風子はそのひいおじいさんはすでに故人で戸籍だけ残っている幽霊戸籍ではないかといいつつ、現地調査に赴くが……。ありがちなテレビドラマ的お話かと思いきや、構成がしっかりしていて美味探訪等サービスも行き届きヒネリも効いている。少女の夏休みの宿題として家族史調べに協力する第2話、何かに取りつかれたような発作を起こす3少年の謎に挑む第3話、横浜のドヤ街で出会った無戸籍の青年から新たに戸籍を作るべく先祖探しを依頼される第4話、そして風子自ら母親探しに奔走する第5話と、各話ごとに趣向もテイストも異なるし、風子への共感も深まっていく。

『元彼の遺言状』を読んだときは日本のジャネット・イヴァノヴィッチの登場だと思ったが、どうやら著者は自分の作風に気づいていなかったようだ。改めて記しておきたい。『先祖探偵』もリッパな女ハードボイルドです!

 3冊目は『このミス』大賞的には帆立さんの先輩に当たる、矢樹純久々の長篇残星を抱く(祥伝社)だ。

 こちらはヒロインの青沼柊子と5歳の娘・李緒が山道で黒い車に追いかけられている場面から始まる。柊子たちはドライブを楽しんでいたのだが、峠の展望台でワンボックスカーの男たちの暴行現場を目撃、彼らに追いかけられる羽目になったのだ。彼らをなんとか出し抜けたまではよかったが、その際、男の1人が崖下に落ちたような……。窮地を脱した柊子だったが、男の安否は不明のまま。県警一課の刑事である夫・哲司にも打ち明けられずにいると、翌日彼女はマンションで耳の下に8のタトゥーを入れた不審な男とすれ違う。さらに、ポストには告発文めいた脅迫状が入っていた。柊子は唯一の相談相手、中学時代の同級生・葛西康晴に連絡を取る。

 どこにでもいそうな30代の主婦の日常がある日を境に突然狂い始める。絵に描いたようなサスペンススリラーの図式だが、ワンボックスカーの男たちや8のタトゥーの男には謎めいた点が多く、さらには刑事である哲司の挙動にもおかしなところがあったりする。いや、そもそも柊子自身、どこにでもいそうでいないというか、20年前タクシー運転手として事故死した父親に強いわだかまりを持つなど葛藤を抱えているのだ。

 峠の展望台の出来事、脅迫状と8のタトゥーの男、哲司が携わっている事件、20年前の柊子の父の死……一見、何のつながりもなさげな事象が次第に収斂してくる後半の展開はスリリングの一言。どこにでもいそうな柊子のキャラもそれとともにアクティブなものへと変化していくところも同様で、終盤の対決もカッコいい。著者が長篇もイケてる証拠だろう。今月のBMもこれにて決定。