今月のベスト・ブック

装幀=bookwall
『最悪の相棒』
伏尾美紀 著
講談社
定価 2,310円(税込)
自分が間もなく古希を迎えようとしているのを思うと改めて愕然とする。昔は70年生きることが稀だったわけだが、実際に生きてみるとあっという間だ。意識の上では40代から変わっておらず、肉体だけ老いていくのが何だか不思議な気がしている。会社勤めでもしていれば、定年後、再雇用の道を模索するなどメリハリがあろうが、フリーには何もない。自分で何とかしろということか。
というところで今月のベストミステリー選びに移ると、まず芦沢央『噓と隣人』(文藝春秋)は長篇『夜の道標』に登場した平良正太郎が再登場する連作集。といっても、正太郎は警察を引退して隠居の身。冒頭の「かくれんぼ」では定年退職して早1年半たっている。歯痛で最寄りの歯医者に自転車で治療しにいった彼は、そこで娘のママ友だという女から声をかけられ、息子を1人で留守番させて心配なので自転車を貸してほしいと頼まれる。タクシーを使えばいいのにと思いながらも自転車を貸してやるが、女はそのまま返しにこなかった。やられたと思ったものの、その後娘のママ友から近所の公園で離婚調停中の妻がストーカー夫に刺された事件があり、その被害者がくだんの自転車の女らしいと知らされる。そういえばその犯人の名前を元同僚から聞いたことがあった……。
むろん正太郎にはその事件について捜査することは出来ないが、推理は出来る。それにその事件については通報をめぐってひと騒動あったのだった。退職した刑事の悲哀を織り込んだ日常劇を主軸に、彼の知見をこんな風に事件に絡ませる手があったとは。
続く「アイランドキッチン」と「祭り」は正太郎の引っ越しにまつわる過去の事件の回想とそれに基づく新たな知見を描いた話で、終わりの「最善」と表題作の「噓と隣人」は隠居を決め込んでいた正太郎だったが、知り合いや隣人から力になってほしいともめ事の相談をされることに。前者では妻の友人の夫が通勤電車内での痴漢行為でつかまったこと。その電車では、母親の抱っこ紐のバックルが何者かに外され赤ちゃんが転落する事件も起きていた。後者ではSNSでベビーマッサージ教室の宣伝をやっている先生がアンチから脅迫されているというもの。いずれも話は二転三転し、意外な結果を見ることに。
意外なのは、正太郎が「結局、退職してからも何度も刑事の真似事めいたことを繰り返している」自分に気付いて、ある決意を固めることだ。その決意とは──直に本文にてお確かめあれ。
今月のもう1冊は、伏尾美紀『最悪の相棒』(講談社)。こちらは現役の警察官もの。
花園警察署刑事課強行犯係の刑事・広中承子は腐っていた。前日、花園団地で80歳の夫が78歳の認知症の妻を絞め殺すという現場に立ち会ったのに続き、今日は今日で、自分の家族を壊した張本人、潮崎格とコンビを組んで通報のあった花園団地までまた足を運ばなくてはならなかったからだ。
自由奔放、傲岸不遜、傍若無人、唯我独尊など、散々な評判を浴びながらも、陰では犯罪被害者家族心理分析官と呼ばれ、警察上層部から高い評価を受けてきた潮崎。「1人暮らしで犬を飼っている女性が、最近散歩する姿を見かけない」「子供が1人でベランダで遊んでいた」という何でもなさそうな通報でも、団地交番の長田と呼吸を合わせて解決に導いていく。
そうこうしているうちに、警視庁捜査一課に「犯罪被害者家族心理分析班」が発足、広中も同班に異動し、潮崎のサポートをすることに。2人が、実業家と元女優夫妻の息子の面倒を見たり、元自転車ロードレーサーの夫にDVを受けているという花園団地の主婦から話を聞いているうちに、やがて特命が下る。4か月近く前、当時三歳の男児が自宅のビニールプールで溺死した1件で、新たな目撃証言が出た。「ママが殺した」と5歳の兄がいうのだ。2人は直ちに関係者に当たる。
前半、あれこれ詰め込め過ぎの感あり。主役2人と、舞台も「東京の限界集落」たる花園団地にしぼったら、もっとわかりやすかったのでは。しかしながら、登場人物それぞれの個性は際立っていて、充分読ませる。団地の高齢者のエピソードなど涙ちょちょぎれそうな思い。高齢ではないが、特に後半クローズアップされることになる鈴井さくらと璃子母子にはいろんな意味で慄然とさせられた。
主役2人についても同様だ。仕事一筋だった父親を潮崎に奪われた広中。本当は父親にも問題があったのに、頑なな思いはなかなかほどけない。潮崎は潮崎で未だに結構深刻なPTSDを抱えている。何しろ、恋人とうまくいかないどころか、子どもの頃ストーカーに殺された姉の幻像を今なおくっきりと見てしまうのだから。
ミステリーとしては、中盤に発生する花園団地の殺人事件にご注目。後半はこれがメイン、というか、これが本書の目玉というべきか。盛り込み過ぎだといった前半の伏線も、すべて回収されるし、フーダニットはもちろん、ハウダニット、ホワイダニット的にも見事に構築されていよう。前半のわかりにくさも、その熱量の前には圧倒されるのみ。
最悪の相棒というから、てっきり黒川博行の疫病神コンビをしのぐ組み合わせを想像したが、いい意味でちょっと違ったみたいだ。でも今月のBMはこれにて決定。