今月のベスト・ブック

装画=六角堂DADA
装幀=岡本歌織(next door design)

『負けくらべ』
志水辰夫 著
小学館
定価2,200円(税込)

 

 今月は北上次郎関連の作品紹介から。まず本の雑誌編集部編『別冊本の雑誌21 本の雑誌の目黒考二・北上次郎・藤代三郎』(本の雑誌社)は氏の文庫解説リストやエンタメ小説ファン必読の傑作選はもちろん、本の雑誌発行人、ギャンブル系ライター名義の作品をも併せて収めたメモリアルブックだ。ファンは必携。もう1冊は、氏が日下三蔵、杉江松恋とともに編者を務めた『日本ハードボイルド全集7 傑作集』(創元推理文庫)。前6巻に未収録の作家の傑作短篇16篇のほか、編者たちによる「日本ハードボイルド史」を収めた完結篇である。氏はこのハードボイルド史を書き上げた後で逝ったとの由。

 北上氏が去ってまもなく1年、月日がたつのは誠に早いが、今月のベストミステリー選びは何と17年ぶりの新作から。京極夏彦『鵺の碑』(講談社)。ご存じ『姑獲鳥の夏』から始まる百鬼夜行シリーズ第10作であるが、前作『邪魅の雫』から17年もたっていたとはなあ。『姑獲鳥の夏』からは30年だって。もっとも物語の中では2年しかたっていないし、京極堂を始めお馴染みの面々も変わってないから、ついこないだ会ったときと同じような気分で再会できる。

 物語は劇作家の久住加壽夫が缶詰めになっている日光で散歩に出た折、作家の関口巽と知り合う場面から始まる。関口は薔薇十字探偵社探偵長・榎木津礼二郎の兄が営むホテルに古書肆・京極堂こと中禅寺秋彦とともに滞在していたが、ホテルの従業員から父親を殺したと訴えられ逃げ回っているという。一方薔薇十字探偵社の留守居役・益田は雑司ヶ谷の薬局の薬剤師から失踪した店主の捜索を依頼されていた。店主は父の死に関わる事件を調べに日光に行ったらしい。さらなる章では今は麻布署にいる刑事・木場修太郎が退職した先輩刑事たちとの送別会で20年前の奇妙な事件の話を聞く。芝公園で男女の遺体が3体見つかるがそれが皆現場から消えてしまったという。やがて上司からその頃未解決の強盗放火殺人事件が起きており、そこで入れ替わりが行われたのではないかと示唆された木場は、その手がかりを求め日光へ向かう。

 かくして発掘された古文書の鑑定に日光入りした京極堂の後を追うように、仲間たちも日光に集結するのだが、ポイントは各章題が、頭は猿、胴は狸、手脚は虎、尾は蛇という鵺の各部位から取られていること。久住&関口を始め、皆が皆それぞれの事件を追うのだが、それらを貫く全体像は皆目わからない。それぞまさしく鵺のごとしというわけで、著者の構築力が冴え渡る。日光の歴史を始め、『西遊記』から原子力まで、随所に挿入される蘊蓄の豊富さも相変わらずで、その博覧強記ぶりはまさに妖怪並みだ。むろんそれらはただの知識の網羅ではなく、事件の真相にも密接に絡んでくるので油断はできない。

 けだし800ページ超の大作なのに、17年のブランクなど少しも感じさせない高密度の快作というべきか。

 しかしこれで驚いていてはいけない。今月の2冊目は19年ぶりの現代長篇なのである。志水辰夫『負けくらべ』(小学館)だ。

 三谷孝は66歳の介護士だが、その傍ら内閣情報調査室関係の仕事に協力している。5月のある日、介護施設に入居している知人を訪ねた際、ひょんなことからIT起業家の大河内牟禮と知り合い、彼の手伝いをすることに。手伝いといっても話し相手になることだったが、実は三谷は人並外れた対人関係能力や空間認識力、自省能力、記憶力を持つギフテッドであり、彼と同様、幼少時から有能で、かつ一族の間で浮いた存在である大河内にそれを一目で見抜かれていた。

 2人は山梨の大河内の山荘で共に過ごしたりして親交を深めていくが、一方、大河内の母・尾上鈴子がオーナーを務める東輝グループは内調にマークされていた。鈴子の叔父・泰河はかつて伝説の右翼であり、その仕事は息子の深浦希海が引き継いでいると見られていた。大河内はそんな一族との縁を切ってグローバルな企業の立ち上げを目論んでいたのだが……。

 ギフテッド、特異能力者を主人公にした話だが、著者はありがちな超能力者もののようにそれをひけらかすような派手な演出を取らない。むしろ三谷は出だしから一貫して抑制的であり、実際これまでもストイックな生き方を通してきた。そんな彼のキャラクターを補強するものとして物語に随時挿入される受け身の介護エピソードにも、それははっきり立ち現れていよう。しかし大河内との付き合いをきっかけに、そんな地味キャラが徐々に変化していくのである。

 物語前半は親子ほど年の離れた三谷と大河内の間にどのような絆が育まれていくのか、この著者ならではのバディものとして読みごたえあり。後半は大河内の、というか尾上一族の御家騒動が国際謀略を背景にいよいよ本格的なものになり、命がけの抗争へと突入。ミステリーとしても緊迫した失踪劇から奪還劇へと至るくだりでサスペンスプラス活劇度がぐっと高まっていく。

 そして終盤で待ち構える監禁からの脱出劇。アウトドアのサバイバル演出で炸裂する伝説のシミタツ節。目の前に突如として出現する屹立する富士山。86歳にして、この切れ味を見よ! 今月のBMはン年ぶりの志水小説で決まりだ。