今月のベスト・ブック
『マザー・マーダー』
矢樹 純 著
光文社
定価1,760円(税込)
コロナ禍もようやく治まるかと思いきや、新株出現で新年早々、さらなる波が。幸い、症状は軽そうなのだが、後遺症があって、中でも怖いのが、記憶力や集中力が低下するブレインフォグ。ただでさえ老人力が増しつつあるというのに、ここで当たったら一気に恍惚の人だ。移されぬよう気を付けないと。
というわけで今月のベストミステリー選びは、第20回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞受賞作、南原詠『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』(宝島社)から。ご承知のように、小生、同賞の選考委員の1人なのだが、今回は別の作品推しだった。というと、受賞後に推しに転じた日和見野郎のようだけど、実際受賞後かなり手が入り、授賞の反対理由であった専門的過ぎて分かりにくいのが改善されているので、これなら素直に賛成したかもと思ったことではあった。
物語はヒロインの未来が液晶テレビの特許技術をめぐる抗争の仲裁に入るところから始まるが、これはプロローグで本篇はその次の仕事。人気VTuber 天ノ川トリィが使用している撮影システムが専用実施権を侵害しているという警告書が、ある会社から届いたのだ。専用実施権とは、特許権者に代わって技術を独占するライセンス。未来は直ちにその会社と特許権者について調べ始める。トリィはそのシステムをネットで買ったというが、業者はとうにネットから姿を消していた……。
特許権者と専用実施権者の狙いは何か、そしてトリィにシステムを売った業者の正体とは。特許権を盾に企業から賠償金をせしめる凄腕のパテント・トロールだった未来は、持ち前のガッツでその謎に迫っていく。むろん弁理士の仕事内容から、特許とは何か、VTuber とは何かという基本まで、著者はかみ砕いて教えてくれるので安心して読み進めることが出来る。そしてトリィの強烈なキャラ! 彼女を主役にしたスピンオフも出来そうだ。
次は2020年に『火喰鳥を、喰う』で第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞、デビューした原浩の長篇第二作『やまのめの六人』(KADOKAWA)。台風直下、人気のない山道を走っていた車を土砂が襲い、乗っていた六人の男のうち、1人が亡くなる。男たちは途方に暮れるが、幸い近くに人家があり、その住人だという金崎兄弟に助けられる。兄弟の厚意に感謝しつつ、彼らは金崎家の洋館に避難するのだが……。
旅先でトラブルに見舞われた人々が人気のない屋敷に導かれ入っていくとそこは、という展開はホラー小説の定番中の定番だろう。金崎兄弟には妖婆のような老母がいたとなればなおさらだが、本書が一味異なるのは、遭難したのがいかにも危険な男たちであること。語りも前作とは打って変わってクライムノベル調というか、ノワール調なのだ。案の定、金崎兄弟は程なく本性を現すが、男たちもただ黙って服従することはなかった。
男たちと金崎家の戦いはいったん片がつくが、今度は男たちのお宝が紛失、互いに疑心暗鬼に駆られ始める。とともに、そもそも自分たちのチームが5人だったことに気づく。いったん途切れたかと思われたホラー趣向がそこからまたむくむくと復活していく。現地では「おんめんさま」と呼ばれる山神信仰があり、やまのめという妖怪話も伝わっていた。やまのめは人に化けて脅かし、怯えた者を食ってしまうというのだが……。ノワールとホラーの見事な調合。先が読めないスリリングな展開で一気に読ませる快作である。
3冊目は矢樹純『マザー・マーダー』(光文社)。全5話収録の連作集で、第1話は、横浜の一戸建て住宅に夫と1歳半の娘と住む専業主婦、佐保瑞希の話。隣家の梶原美里と騒音トラブルを抱えているもののまずは平穏に暮らしていたが、夫の仕事先の業績悪化で彼女も仕事を探すことに。かつての同僚・彩香が立ち上げたネットショップを手伝うことになるが、荷物の搬出入をめぐってまたもや梶原美里からクレームが。それが暗転の始まりだった。本の帯に「めくるめく、どんでん返し。」とあるように、瑞希の秘密も明かされ、先の読めない展開になっていく。イヤミスはイヤミスでも、ヒネリのあるイヤミスだ。
第2話の主役は横浜市郊外の一般病院で看護助手を務めるバツイチ女性の相馬。関係が疎遠な娘の遥から、半年前に亡くなった父親の隠し子という人物が現れたので会ってほしいという。相馬の別れた夫には資産などないはずだったが、その青年、竹内佑哉は自分にも遺産を相続する権利があるといい出す……。第1話の梶原美里が相馬の同僚として登場するが、前話のようなイヤな落ちはない家族の秘密もの。
そして第3話は相模原市郊外の自立支援施設で働く戌亥が主役。彼が新たに引きこもり当事者の「引き出し」を命じられたのは、梶原家だった!? というわけで、どうやら全話を通しての主役は梶原美里とその引きこもりらしい息子の恭介であることがわかる。第4話はその恭介が探偵役を務める謎解きもので、最終話ではいよいよ梶原家の秘密が明かされるが、最後の最後まで、どんな終幕が用意されているのか予想がつかない。
本誌(小説推理)で連載が始まった『不知火判事の比類なき被告人質問』も「結末に瞠目」の法廷ものだが、この調子だと著者が「どんでん返しの女王」になる日は近い、か。今月のBМもこれにて決定!