今月のベスト・ブック

装幀=著者+新潮社装幀室

『キツネ狩り』
寺嶌曜 著
新潮社
定価1,925円(税込)

 

 ミステリー新人賞の選考たけなわである。小生が担当するほとんどは予備選なので量を読まなければならないが、加齢とともに目がきつくなってきた。以前から字間の空いた印刷原稿は読みにくい旨、申し上げてきたが、今期はそれだけではなく、何故か印字が縮小されたものも散見されて参った。当人は洒落たつもりなのかもしれぬが、老下読みにとってはまさに拷問。それともただの嫌がらせ? とまれ応募原稿の印字は読みやすい書体で字間を詰めてお願いします。

 というわけで今月のベストミステリー選びに移ると、まず須藤古都離『ゴリラ裁判の日』(講談社)は第64回メフィスト賞の受賞作。2016年5月、アメリカのシンシナティ動物園で囲いの中に落ちた少年を乱暴に扱ったゴリラが射殺される事件が起きたが、本書はそのハランべ事件に材を取ったリーガル系サスペンスだ。

 アフリカのカメルーンで生まれ育ったローランド・ゴリラのローズは高知能の持ち主。近くの類人猿研究所で母親とともに手話を学び、人間の言葉を理解し会話も出来るようになる。動物保護区の自然の中でゴリラ一家の生活を満喫するとともに、研究所で欧米の文化にも触れる日々。だが子供を持つ年頃になった彼女に突然の災難が。一家離散の危機に瀕したのをきっかけに、彼女は憧れのアメリカに渡るチャンスを得る。

 シンシナティの動物園で新たな家族を得たローズはそこで一躍人気者となり第2の生活を始めるのだが、さらなる試練が――それが前述した射殺事件であった。ローズがそうした事件に見舞われること、そして「夫」を射殺されたことで法廷に訴えるものの敗れてしまうことは、実はプロローグで明かされている。物語はそこからローズの幼少期にさかのぼって、彼女の軌跡が描かれていくのだが、その半生記が素晴らしい。

 カメルーンの自然描写、そこでのびのびと育っていくローズの姿、動物世界の厳しさ、はたまた渡米後の悲劇とローズの華麗なる転身(!?)。後半迫真の裁判劇が繰り広げられるのかと思ったものの法廷場面は3分の2を過ぎてから。その点、法曹の丁々発止のやり取りを目玉にしたリーガルものではないけれども、ヒューマンなテーマと意外性たっぷりのサスペンス演出で読ませる。前号の美原さつき『禁断領域 イックンジュッキの棲む森』に続いての類人猿ものだが、こちらはお馴染み『キング・コング』やダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』にも通じるクロスジャンルの快作に仕上がっている。

 今月はこれにて決定かと思われたところでさらなる強力作登場。寺嶌曜『キツネ狩り』(新潮社)である。こちらは第9回新潮ミステリー大賞を受賞した「地道な捜査が特殊設定を凌駕する、新感覚警察小説!」だ。

 N県最大の都市、登坂市。弓削拓海は登坂警察署に勤めるベテラン警部補。やり手だが2年半前、半グレ相手に立ち回りを演じて右手を負傷、以来、政治家からの圧力や県警の指導にも従わず、署内で浮いた存在になっていた。10月のある日、彼はかつて刑事課にいた尾崎冴子から相談を受ける。尾崎は3年前、バイクの自損事故で婚約者と右眼の視力を失い警務課に異動していたが、事故原因に納得出来ず、あれこれ調べ回っていた。

 待ち合わせ場所には新任署長の深澤航軌も同席していた。深澤は研修時代、弓削とコンビを組んだ仲だったが、尾崎と深澤はやはり研修時代の先輩後輩、仕事を離れれば通称で呼び合う関係。尾崎の話は途方もないものであった。1週間前、かつての事故現場を訪れたところ、フラッシュバックのような現象に襲われ、事故の再現映像を目にしたというのだ。それ以来、彼女の右眼は3年前の現場の光景を映すようになったのだと。

 してみると尾崎たちの事故の真相究明がメインになるのかと思いきや、そちらは彼女の能力からあっさりと片が付く。深澤は尾崎の能力が本物であることを確信すると、弓削と3人で「継続捜査支援室」を創設、尾崎の能力を隠しながら、まずは3年前に起きた未解決の一家4人殺害事件の再捜査に乗り出す。

 物語の本筋はこちらで、弓削たちは事件のあった日の3年後の同日同時刻に、現場の笹塚家を見張ると、やがて彼女の右眼に知られざる事件の真相が映し出されていくのである。もっとも彼女とて見ることは出来ても手出しは出来ない。犯人の犯行を眼で追っていくだけ。さらに弓削たちはその尾崎の姿を追っていくだけ。そのすべてを見ることが出来る(!?)のは読者だけという塩梅で、中盤のこの追跡劇がスリリングこのうえない。

 帯の惹句通り、やがて犯人の正体が浮かび上がっていく過程も捜査小説の王道を往くもので謎解きの妙にも溢れている。いったん片が付いた事件が本筋にも絡んでくるあたり、この著者、本作がデビュー作なのに心憎いばかりのテクニシャンぶりで、ホント「どうしてこれまでデビューしていなかったのか不思議に思った」(選考委員・道尾秀介)。

 主人公は一応特殊能力を授かった尾崎ということになるのだろうが、捜査をリードするのは弓削だし、深澤がそれを陰で支えるという恰好からすると異色のトリオものというのが正しいか。結びも続篇につながりそうな展開だし、これは今後に期待するなというのが無理。今月はこれにて決定だ。