今月のベスト・ブック

装画=影山 徹
装丁=小口翔平+畑中茜(tobufune)

『十戒』
夕木春央 著
講談社
定価1,815円(税込)

 

 前号の今月のベスト・ブックを開いて、しまったと思った。森下さん、東さんが、何と同じ作品をベストに挙げておられるではないの! 小生もそれを挙げていたら、「今月のベスト・ブック」始まって以来初の三者揃い踏みが叶ったというのに、何たる失態。読みの遅さがうらめしや。だからといって、スルーするわけにはいかない。お2人が挙げた作品はミステリーとしてもスリリングな傑作集なのだから。

 というわけで、今月のベストミステリー候補の紹介は、遅ればせながら小田雅久仁わざわい(新潮社)から。全7篇からなる短篇集で、ずばり“からだ”をモチーフにした作品を収めているが、冒頭の「食書」からしてただごとではない。小説家の「私」が近所の書店に立ち寄り、そこで便所に入ると先客がいた。だが小肥りの中年女は用を足していたわけではなかった。便器に腰かけ膝の上に本を開いて……ページをちぎってはそれを食べていたのだ! 女はそこを去り際に「絶対に食べちゃ駄目よ!」といい残す。「1枚食べたら……もう引きかえせないからね」と。そんなこといわれたら、嫌でも食べてみたくなるというもの。当然ながらその後私がどうしたかが読みどころになるが、その経験譚がファンタスティック!


 続く「耳もぐり」も語り手の「私」の異常体験から説き起こされていくし、3篇目の「喪色記」も主人公の視線にまつわる異常体質に端を発して異界との交信を深めていく話。そう、いずれの話もが異世界との出会いとその顛末が描かれたものであり、それすなわち小田版「トワイライト・ゾーン」というべきか。各篇ともこの著者ならではの濃密な語りが味わえるが、中には「柔らかなところへ帰る」や「裸婦と裸夫」のように、エロいのやスラプスティックなのも混じっていて、多彩なタッチも堪能できる。

 今月の2冊目は米澤穂信『可燃物』(文藝春秋)。副題に「県警捜査第一課葛警部の推理」とあるように、著者初の警察小説シリーズだ。全5篇収録。

 著者初というからには、主役の葛警部はさぞかし個性的なキャラクターかと思いきや、面白味ゼロの堅物。上司には煙たがられ部下からは疎んじられ、「葛が率いる現場はいつも息詰まり、冗談1つ出ることがない」。しかし「葛の捜査能力を疑う者は、1人もいない」ということで、各篇で名探偵ぶりを遺憾なく発揮する。冒頭の「崖の下」はスキー場で起きた遭難事件。崖下で発見された遭難者の1人が刺殺されていたが凶器が見つからなかった。葛は部下に手がかりを集めさせて、最終的に自らが推理する。出だしにしてはちょっと渋いが、強盗犯に交通事故を絡めた続く「ねむけ」や榛名山麓で発見されたバラバラ死体の謎をめぐる「命の恩」、ファミリーレストラン人質立てこもり事件の顛末を描いた「本物か」はアクロバティックな謎解きが堪能できる。

 何故舞台に群馬県警を選んだのかは定かではないが、地方警察色もよく出ているし、謎解きとの調和も取れている。まずは安心して楽しめる警察小説+本格ミステリーだ。

 3冊目は昨年衝撃のラストで見事、週刊文春の年間ベストワンに輝いた夕木春央の新作『十戒』(講談社)。

 和歌山県白浜の沖合5キロくらいのところにある枝内島は周囲1キロにも満たない平坦な無人島。11月、芸大志望の浪人生・大室里英は父と他に7人を加えた9人でこの島へ乗り込む。島はデイトレーダーをしていた伯父・脩造の所有物件だったが、3週間前に急死。その後枝内島にリゾート開発の話が持ち上がり、関係各社の面々と視察に訪れることになったのだ。

 小さな孤島にわけありげな男女が10人近く集まれば、ミステリーではそのメンバーが次々に殺されていく連続殺人ものと相場は決まっている。本書も、作業小屋でトンデモないものが見つかった挙句、翌朝メンバーの1人が遺体で見つかるまでは同じパターンなのだが、そこから先が違う。ガラリと変わる。何と犯人は残る8人に「殺人犯が誰か知ろうとしてはならない」を始めとするアンチミステリー的な10条から成る書状を突きつけてくるのだ。

 そう、通常ならば、残された8人は犯人を推理し、摘発したのちに島からの脱出を図るというのがパターン。しかし本書の犯人は、そうした動きをいっさい封じてしまうのだ。身動きが取れず、うろたえる8人。

 そうか、そこで少女探偵よろしく里英嬢の活躍が始まるかと思いきや、彼女もかったるそうだし、里英と同室になる観光開発会社の研修社員・綾川さんも立ち上がりそうで立ち上がらないような。かくして膠着状態が続いているうちに第2、第3の事件がというわけで、謎は深まる一方だ。

 考えてみれば、本書の出だしの一文は「嵐は去った」である。通常の孤島ものなら「嵐がきそうな雲行きだ」と始まるところを、まったく逆の表現になっているところからして著者の狙いを読み取るべきでありました。

 驚愕のラストも決まっているが、ヒネリ技の妙もさることながら、注目はノワールなキャラクター造形。『方舟』で慄然とさせた造形の妙が本書でも見事に決まっている。今月は夕木作品にて決定としたい。