今月のベスト・ブック

装画=杉田比呂美
装幀=大久保明子

『まぐさ桶の犬』
若竹七海 著
文春文庫
定価 1,100円(税込)

 

 今月のベストミステリー選びは、前号で紹介した松下龍之介『一次元の挿し木』とともに第23回『このミステリーがすごい!大賞』の文庫グランプリを受賞した香坂鮪『どうせそろそろ死ぬんだし』(宝島社文庫)から。こちらは本格ミステリーだ。

 

 私立探偵の七隈昴とその助手・薬院律は余命宣告された人々が集う元精神科医主催の交流会のゲストに招かれ、山奥の別荘を訪れる。メンバーはミステリー好きで生の探偵話を聞きたがっているという。会合当日は和気あいあいに終始したが、翌朝廊下の壁に飾られた絵が切り刻まれ、客の1人が亡くなる。検案の結果、自然死と結論づけられるが、納得出来ない律は他殺説を検討し始める……。

 

 一見よくあるクローズドサークルものっぽいが、集まる人が余命宣告を受けているという点がちょっと違う。そこで殺人が起きれば、当然ながら余命宣告を受けている人が何故ということになるわけだ。シリアスな謎かけを巧みに外してみせるというか。それは主人公の造形にも示されており、この探偵コンビ、実はペット捜し専門だったり、おとぼけぶりを随所で発揮してくれるのだ。このユーモア調がまた罠だったりもするのだが、それは最後まで読んでのお楽しみだ。

 そのラストのヒネリ技については賛否両論あろうが、この作者が並々ならぬ力量の持ち主であるのは間違いない。今後も独自の本格路線を歩まれたい。

 

 今月の2冊目は本誌連載作品、岩井圭也『汽水域』(双葉社)。フリー記者の安田賢太郎が別れた妻と暮らす小1の息子と久しぶりに会っているとき、江東区亀戸の路上で男が通行人を切りつけ、3名が死亡、4名が負傷する事件が起きる。旧知の週刊誌編集者・三品から連絡を受けた安田は子連れで現場に急行、取材に臨み、偶然知り合った同業の女性記者から犯人の深瀬礼司が安田と同じ大阪出身であるのを知る。翌日、大阪に向かった安田は深瀬の元同級生と会うも新情報はなし。ネタをSNSに求め、やがてアリサという娘から一緒に自殺に誘われたというスクープを取ることに成功する。

 そののち安田は、大阪に居座り、担任教師や元カノ相手に取材を進め、「死刑になりたい」と供述した深瀬の真意と実像を掘り下げようとするが、なかなか記事には実らず、連載は3回で打ち切りに。だが話が面白くなるのはここからで、優等生くずれのダメ男かと思われた深瀬だったが、高校中退後の勤め先の元同僚の証言から、思いも寄らない彼の一面が浮かび上がってくるのだ。そしてそれを記事にした安田は犯人に味方するものだと炎上、さらに模倣犯まで出現するに至って完全に犯人側扱いされてしまうのである。

 

 中盤からの反転劇と前後して、安田自身の父子関係劇もクローズアップされてくるのだが、してみると本文の随所に挿入されてくるDV劇が誰の告白なのかもにわかに重みを増してくる。フリー記者の実態も読みごたえたっぷりだし、ジャーナリズムの未来を憂う警鐘劇としても読める。さすが今もっとも乗ってる作家の社会派作品である。お奨め。

 

 今月はこれにて決まりかと思われたところへだが、現れてしまった。女探偵・葉村晶シリーズ5年ぶりの最新作、若竹七海『まぐさ桶の犬』(文春文庫)。

 

 葉村晶は吉祥寺のミステリ専門書店のアルバイト店員兼探偵社の調査員。コロナ禍で青息吐息のところへ現れたのはご近所のお屋敷に住む、奥山香苗の娘・北原瑛子で、香苗が叔母・ミツキの33回忌法要に呼ばれているのだが、主催者が身内の遺産をかっさらうような問題人物なのでボディガードをお願いしたいという。当日いろいろあったものの、法要の食事会は無事終わったかに思われた。が、最後にハプニングが。晶と香苗は危うく難を逃れたが、営業用のワゴン車がお釈迦に。

 しかしそれが縁で、香苗の国分寺の叔父様たるカンゲン先生こと乾厳から仕事の依頼が。先生は私立魁星学園の創始者の孫で、元理事長兼学長。捜してほしいという稲本和子は同学園国分寺校の元養護教諭だという。現在80歳前後。先生は彼女を捜していることは、魁星学園の関係者には絶対に知られたくないと念押しするのだった。

 晶は一方で、作家・磯谷亘お別れの会の仕切り役を押し付けられつつ、先生の国分寺邸にある資料や東都総合リサーチの知り合い、桜井肇の協力で和子の居場所を突き止め、富士河口湖町へ向かうのだが……。

 

 会えそうで会えない失踪人捜し。会うのはヘンな人ばかり、というわけで、語尾にやたら「けど」をつけるけどおばさん、紙パンツ一丁の爺に刃物を持ったダニー・トレホ、そして相手構わず悪態をつきまくる97歳のクソ婆。今回は出だしからナイスな高齢者が登場するが、その後も引きも切らずに個性的なご高齢者たちが脇をがっちりと固めている。

 

 ストーリーも一筋縄ではいかない。稲本和子捜しをメインに、魁星学園の権力闘争やらそれにともなう乾家の乱脈のありさまやら富士の別荘地の詐欺犯罪やら作家のお別れ会やら、様々なエピソードが錯綜して、あるいは渾然一体となって50代になった晶の身にふりかかるのである。文字通り満身創痍となる今回だけれども、随所にミステリーの蘊蓄が盛り込まれているのは今まで通りだ。果たして晶は無事還暦を迎えられるのだろうか。