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 冬城美紅は高校の同級生だった。
 二人が通っていた進学率の高い公立高校のなかでも、美紅は成績優秀で知られていた。しかも学業だけに打ちこむガリ勉というより、会話や行動からも頭の良さがひしひしと伝わってくるタイプだった。異性にもモテたが浮いた噂は聞かず、孤高の存在でもあった。気まぐれに姿をくらましては個別行動をとる一方で、友だちがいないわけではなく、逆にどのグループともつかず離れずで、結果的にトラブルを回避して一番うまく立ち振る舞っていたと思う。
 そんな美紅のことを、羽奈は最初のうち、非の打ちどころのない人だと思っていた。じつは苦労しているという背景を知ったのは、偶然だった。高二のとき、修学旅行の一ヵ月前に彼女だけ行けなくなったとクラスメイトから聞いたのがきっかけだ。理由は誰も知らなかった。羽奈は教室で美紅に面と向かって訊ねる勇気はなかったが、どうしても事情が気になって、放課後、ひとりで美紅の家を訪ねることにした。
 じつは羽奈は、はじめ美紅の家だとは知らず、実家の骨董店──看板にはそう記されているが、実際に訪れた印象はリサイクルショップに近い──に足を運んだことがあった。雑多な品々が溢れんばかりに並んでいて最初は圧倒されたが、じっくりと眺めると見ごたえがあって飽きず、美紅の家だと分かってからも、こっそり足を運んでいた。とくに陶磁器が並んだセクションは時間を忘れ、雑然と扱われているのが勿体ないくらい、どれも素敵だった。あるとき、店の奥から美紅が現れたときは慌てたが、教室ではほとんど一緒にいられなくとも、不思議とお店でなら自然に話せた。
 ──こんにちは。あの、美紅さん、いますか?
 その日、店の奥にいたおじさんに声をかけると、おじさんは気さくに笑った。
 ──今日もバイトに出かけていったよ。
 ──そうですか、じゃ、また来ます。
 店を出て、悶々としながら近くの河原を歩いていたら、道の向こうから自転車に乗った美紅が現れた。制服ではない姿を見るのは、このときがはじめてだった。ジーンズにTシャツという服装は、近くで見ると、ずいぶんと着古されている。美紅のスタイルの良さや華やかな顔立ちのおかげで、十分お洒落にもうつるが、勝手に、私服ではブランド品や流行のファッションに身を包んでいそうなイメージを持っていたので、意外だった。
 ──冬城さん、修学旅行に来られなくなったって本当?
 声をかけると、美紅は自転車を停めて、羽奈のことを見据えた。
 ──うん、そうだけど。
 美紅はなんでもないことのように答えた。
 ──すごく残念だよ、私にとっても。
 純粋に、彼女のことが好きだったので、そう口に出した。けれど、あまりに無遠慮ではないか、と後悔する。幸い、美紅は怒らなかった。
 ──ありがとう。
 困ったように笑うと、自転車を降りて河川敷の石階段に座り、羽奈も並んだ。
 それから美紅は、ぽつぽつと話してくれた。バイトをはじめたのは高校入学時からで、修学旅行に行く積立金もバイト代から捻出していた。しかし美紅の家は家計が苦しく、さらに父親は最近、商売で高額な美術品を購入し、美紅にお金を貸してほしいと頼んできた。それで、仕方なく修学旅行を断念したという。詳しくは聞かなかったが、子どもは親に養ってもらって当然だと思っていた羽奈は、絶句した。美紅は腹が立たないのだろうか。けれど、美紅は親のことを悪くは言わなかった。
 ──お金はみんなが持っていて、なんにでも変えられる。修学旅行先の大阪だって一度行ったことがあるし、今後も行くと思う。でも一方で、美術品は世の中にたったひとつしかない。だとすれば、ひとつしかない作品をお金より大切にする両親の気持ちを、私は理解してあげたいんだ。
 美紅は笑顔だったが、その裏には別の感情があったのかもしれない。悔しさや悲しさ。羽奈は本心を測りかねたが、美紅の潔さは、まっすぐに伝わった。そして、この人は強い。羽奈が知っている誰よりも。
 美紅はまっすぐ前を見つめながら、きれいな瞳でつづけた。
 ──お金って、不思議だよね。ただの紙切れ、金属の破片なのに。ひとたび銀行に預ければ、紙や金属ではなくなって、概念になる。実体はないんだよ。だからこそ、私はお金の奴隷になりたくない。将来、金持ちになっても、貧乏になっても、どんな仕事に就いたとしてもね。
 同じ高校生とは思えないくらい、しっかりした考え方だった。羽奈は、自分を省みずにはいられない。
 ──冬城さんは親を否定して、反抗することで、安易に逃げたりしないんだね。自分の考えをちゃんと持って、向きあってる。私なんてさ、ただ親の言いなりになってる。不満があったら、全部親のせいにして。
 ──そうなの?
 羽奈は最近、大好きな陶芸教室に通うことを禁止されていた。その陶芸教室は、先生が母の友人だという縁で、体験教室に行ったことをきっかけとし、中学生の頃から定期的に通っていた。しかし受験勉強に集中すべきだと、代わりに塾に行かされている。
 羽奈は陶芸のことを考えている時間がなによりも幸せで自分らしくいられることを、母に打ち明けられなかった。本当は、土に触れていたい。匂いを嗅いでいたい。形をつくっていたいのに。だから気がつくと、手元にある文房具でなにかをつくっている。手を動かすとどんな悩みからも解放され、楽になった。
 そんな話をすると、美紅は真剣なまなざしをこちらに向けた。
 ──熊坂さんさ、好きなことがあるなら、絶対に手放しちゃだめだよ。私の両親は、世間的には駄目人間だけど、好きなことがあれば幸せでいられるって教えてくれた。そのことは感謝してる。
 どうしてこの人の言葉は、こんなに胸に届くんだろう。
 ──あなたには才能がある。陶芸家になれるよ。
 美紅からもらったお守りのような言葉がなければ、羽奈は真剣に陶芸家を目指すことはなかった。

 

                        (第33回につづく)