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2(承前)

「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 薄暗い個室の中で竜也はたまらず声を上げた。
 たった今、この女はこう告白したのだ。誠心会の連中のドリンクに細工したのは自分であると。
「本当に、きみが自らやったのか」
 そう念を押して訊くと、「だからそうだって」と愛は軽く答え、脂の乗ったせせりの串を口に運んだ。
 彼女が焼き鳥が食べたいというので、深夜営業をしている、ちょっとお高い店に連れて行った。この店は知人オーナーが手掛けていて、VIPのために一つだけ個室が用意されているのだ。竜也が訪れると必ずここに通される。
「なぜそんなことを?」
 竜也は卓に身を乗り出して訊ねた。
「あいつらに近づくため」
「近づいてどうするんだよ」
「真相を調べたいの」
「真相?」
「そう。わたしの“推し”が歌舞伎町から消えた真相」
 その“推し”というのがユタカのことらしい。愛は彼が誠心会の連中によって消されたのではないかと疑っているのだという。ユタカは以前から誠心会の連中に怯えていたのだそうだ。
「だから絶対にあいつら反社の仕業だと思うの。そうじゃなかったら彼が突然消息を絶つはずがないもの」
 たしかに今回の両陣営の抗争に巻き込まれた可能性はなくはない。だが、そのことよりもこの女の神経を疑ってしまう。いったいどこに、ヤクザにいちゃもんをつけ、それをきっかけに接近しようなどと考える女がいるのか。
 竜也は腕組みをして、目の前で焼き鳥を頬張る女をまじまじと見た。たぶん、こいつは頭のネジが数本ぶっ飛んでる。
「何か?」
「いや」と、頭を振る。「で、何かわかったのか?」
「何も。ハナっから探りを入れたんじゃ怪しまれるじゃない。でも、近いうち必ず尻尾を掴んでやるんだから」
「もし、尻尾を掴んだらどうするつもりだ?」
「ユタカの状況によるわ。彼がまだどこかで生きてるならおとなしくしてるつもり。ただ、もしもそうじゃないなら相応の仕返しをさせてもらう」
 相応――具体的なことは訊かないでおいた。この女はとことんやりそうだ。どんな手を使っても。
「でも、誠心会じゃなくて、内藤組の仕業ってことも考えられるんじゃないか」 
 何気なくそんなことを口にしてみて、むしろその可能性の方が高いのではないかと思った。ユタカは『butterfly』のスカウトのイケイケ小僧と繋がっていた事実がある。仮にユタカもまた、誠心会側と密接な関係にあり、陰でよからぬ働きをしていたのだとしたら、内藤組の怒りを買ってもおかしくない。
 はからずも矢島の顔が脳裡に浮かんだ。このあとあの男と接触し、それとなく詮索してみようか。
 いや、よした方がいい。この一件に深く関わると、厄介なことになる気がする。それに、きっと矢島は何も語らないだろう。あのヤクザは基本的に秘密主義者なのだ。今回の覇権争いにおいても、大局を知るべく、何度か探りを入れてみたのだが、毎度煙に巻かれていた。
「きみは内藤組のことは疑ってないのか」
 愛は脂で光った唇をおしぼりで軽く拭ったあと、「いいえ、その可能性も考えてるわよ。だからいずれ内藤組にも近づくつもり」と、またも驚くべきことを口にした。
「近づくって、どうやって?」
「方法はいくらでもあるわよ――この店、煙草は?」
 竜也は店員を呼びつけ、灰皿を用意させた。愛がポーチの中から煙草を取り出し、火を点ける。
「ところで浜口さんは内藤組とべったりなんでしたっけ?」
 一口吸いつけ、彼女が訊いてきた。
「べったりなんてことはないさ」
「でも、繋がりはあるんでしょう? そのせいで今日の連中から嫌がらせを受けてるんだと思ったけど」
 愛は紫煙の中で悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「今、歌舞伎町の水商売オーナーたちは究極の選択を迫られてるんですってね。内藤組と誠心会、どっちの陣営につくかで」
 小娘の分際で、ずいぶんと歌舞伎町の裏情勢に詳しいようだ。もっとも、この女はそこいらのガキと一線を画すのだろう。
 そのためか、
「本当に、まいったよ。マジで」
 と、つい本音を吐露していた。
「勝ち馬に乗ったらいいじゃない」
 竜也は鼻を鳴らした。
「そんな簡単な話じゃないのさ」
「さっき宇佐美がこんなことを言ってたけどね。内藤組が倒れるのは時間の問題だって」
「内藤組だってついこの間、誠心会はもう終わりだって言ってたよ」
 竜也はそう返したものの、実際は誠心会の方が優勢なのだろう。それは周囲の声からしても、まちがいなさそうだ。
「ねえ、わたしが情報を流してあげましょうか」
「情報って?」
「だから両陣営の最新の動向とか、そういうこと」
 急な申し出に竜也は唾を飲み込んだ。もしも、そんなものを得られるのなら、願ってもない。それが今後の身の振り方の判断材料になるかもしれないのだから。
「けど、そんなことをして、きみになんの得が――なるほど、“推し”の消息について調べろってことか」
「そ」愛がにっこりと笑んだ。「わたしは連中に近づいて、できる限りの情報を得る。あなたはこれまで歌舞伎町で築いてきたコネクションを駆使して、ユタカに何があったかを調べる。お互いの目的のために協力し合いましょ」
 竜也は、はあー、と大きく息を吐き出した。それはある種の嘆息だった。
 本当に、この女は何者なのか。
「まあ、考えておく」
 竜也は返事を先送りにし、連絡先だけを交換して愛と別れた。

 それから三日後、誠心会の宇佐美から、折り入って相談があるので一席設けさせてほしいと、竜也のもとに連絡があった。知らせてきたのはほかならぬ愛だった。
「相談内容はわたしも知らないし、同席するつもりもないから、受けるも断るもどうぞご自由に」
 急展開に竜也は戸惑い、そして判断に迷った。折り入って相談――中身は考えるまでもない。内藤組を切り、今後は誠心会をケツ持ちにしろと迫られるだけだ。
「ちなみにこれが本当に最後の申し出だそうよ」
 つまり、これを断ったら本格的に竜也を敵とみなし、潰しに掛かるということだろう。
 竜也は懊悩の末、この申し出を受けることに決めた。先日、内藤組の枝である三次団体、四次団体の組織が次々と今回の抗争から撤退しているという情報を入手したからだ。撤退の理由は本家からそうするように命令が下ったというものだった。
 もともと今回の抗争において、内藤組の本家である吉川よしかわ会はどういうわけか傍観を決め込んでいた。直参である内藤組の抗争となれば、本家が出張ってくるのが自然で、ともすれば関東対関西の全面戦争になってもおかしくはないのだが、実際はそうなっていなかった。
 これについて矢島は以前このように語っていた。「この程度のことで本家を頼りたくねえんだ。借りを作ることになっちまうだろう」と。
 そのときも竜也は半信半疑で聞いていたが、やはりあれは矢島の強がりであったのだろう。理由は知らないが、おそらく内藤組は本家から見捨てられているのだ。
「内藤組が孤立しとる理由? そら浜口さん、親分の矢島が吉川会の幹部連中から嫌われとるからに決まっとりますがな」
 赤ら顔の宇佐美が肩を揺すって言い、竜也の猪口に冷酒を注いできた。
 この関西ヤクザはあまり酒に強くないようだ。まだ二本目だというのに、目まで充血してきている。
 ここは横浜にあるこぢんまりとした懐石料理屋で、この店を指定したのは竜也だった。まさか手を出されることはないと思うが、何があるかわからないため、安全な場所を求めたのである。
 東京を離れたのは無論、周囲の目を気にしてのことだった。万が一こんな場面を内藤組の連中に見られでもしたら、たまったものではない。
 はたして竜也は一人でこの場に臨み、一方、宇佐美は舎弟を二人、引き連れてやってきた。その二人は今、となりの個室で待機している。
「わしは直接会うたことはないが、矢島っちゅうのはずいぶんとまあ傲慢な男らしいな。よくない噂がゴロゴロ転がっとるもんで、こちらから拾わんでも、勝手に耳に入ってきよるわ。実際のとこ、そうなんやろ? あんたの前でも傍若無人に振る舞っとったんちゃいますの?」
 竜也は「さあ」とはぐらかしたが、宇佐美はこれを無視して、話を進めた。
「浜口さんな、こっちの世界は何より義理を大事にせなあきませんのや。日頃、我欲ばかり優先して動いとるヤツはいざっちゅうときに力を貸してもらえん。聞けば抗争から手を引いた枝も、もともと本意じゃなかったそうやで。立場上、仕方なく内藤組に助太刀しとったんやと」
「そうなんですか」
「らしいですわ。枝の連中からしてみたら、本家がなんもせんのに、どうして自分らが動かなあかんねんってなところやったんでしょうな。せやから本家からもうええと、正式に命令が下って、ホッとしとるんちゃいますか」
「どうなんでしょう。わたしにはなんとも」
 実際にまったくわからなかった。矢島はこの辺りの内部事情について、いっさい語ってくれないからだ。
「それにしても、宇佐美さんはずいぶんとお詳しいんですね。そういった裏話はどこから?」
 この男が敵陣営の事情について、やたら詳しいのが解せない。
「そらな。抗争ゆうもんは肉弾戦に強い武闘派が勝つんやない。情報戦を制する頭脳派が勝つんや」
 まったく答えになっていなかったが、これ以上の詮索はしないことにした。
「ま、真っ向からドンパチしてもうちは負けへんけどな。まず兵隊の数がちゃう。うちはこっちに来とる者だけやないで。まだまだぎょうさん後方に控えとるんや。一方、内藤組はどうや。もとより小世帯の上、ここ数ヶ月で逮捕者も出とるし、怪我で戦線を離脱しとる者もおる。もう虫の息やろう。ええ?」
 竜也は答えなかった。
 すると、宇佐美は口の片端を吊り上げ、「そんな話も出たところで、そろそろ本題に入りましょか」と、仰々しく居住まいを正した。
「今言うた通り、内藤組は息も絶え絶え、身内からも村八分の状態や。この戦争に勝つんはどっちか、誰の目から見ても明らかやろ」
 竜也は軽く頷いた。
「あんたがこの場にこうしておるっちゅうことは、そういうことやと受け取っとるけども、その口からはっきり聞かせてもらいたい。今後、うちと仲良うしてくれるか」
「……はい。お世話になります」
 いいのか、本当に。だが、そんな自問自答も意味をなさなかった。もう、後戻りはできない。
「ああ、よかった。歌舞伎町で顔の広いあんたがうちについてもらえたら、二の足を踏んどるほかのオーナー連中も一気にこちらに――」
「ただし、一つお願いが」
 竜也は卓に両手をついて申し出た。
「このことはしばらく内密にしていただきたい」
 宇佐美は目を糸のように細めた。
「それはつまり、表向きはまだ内藤組の側に立ったままでいたいと、そういうことですか」
「しばらくの間だけです」
「そらあんた、都合が良すぎるわ」
「そうでないと、自分は命の危険に晒されます。矢島という男はけっして寝返った自分を許しません」
「心配せんでも、護衛ならいくらでも付けたるがな。二十四時間きっちり――」
「お言葉ですが、自分は堅気です。そちらのみなさんと表立って行動を共にするわけにはいきません」
「堅気ねえ。おたくもグレーな商売で成り上がったゆう噂を小耳に挟んどるけどな」
「昔のことです。今はまっとうな生業だけで食ってます」
「あんたの言い分は結構やけども、わしはあんたがこっちについたっちゅうことを周知したいんやわ。そうでなければわしらにメリットがないやろう」
「その分、わたしが個人的に裏で周囲に働きかけます。自分が動けば必ず周りのオーナーたちも聞く耳を持ち、大多数がそちらに移るはずです」
「ほう。浜口さん自ら、乗り換えキャンペーンの呼び込みをしてくれる――そういう捉え方をしてええんやな」
「はい」
「結果も、約束してもらえるか」
「ええ。もちろん約束致します」
 リスクは百も承知だ。どれだけ慎重に、秘密裡に動いたとしても、どこで噂が立つかわかったものじゃない。もしも自分が裏切ったことが内藤組の耳に入ったらただじゃ済まないだろう。だが、いかに危ない橋でも、これを渡らない限り、自分は生き残れない。この橋の先にしか未来はないのだ。
「よし、わかった。ほんなら、その条件を呑んだるわ」
「ありがとうございます。助かります」
 もっとも、竜也にこうするように提案し、背中を押してきたのは愛だった。「その矢島ってヤクザが怖くて踏ん切りがつかないんだとしたら、口先だけ忠誠を誓っておいて、肚の中で笑っていればいいじゃない」彼女はこのように助言してきたのだ。それは竜也にとって、悪魔の囁きであった。
 それから小一時間ほど飲んで、共に店を出た。
 別れ際、宇佐美は竜也に対し、「一つ、よろしゅう頼んますわ」と握手を求めてきた。竜也がその手を握ると、彼は痛いくらいに握り返してきた。

 

(つづく)