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 裕隆が「そろそろお腹いっぱいです」と告げたところで、「ところでユタカくん」と、浜口はやや身を乗り出した。
「きみのお友達に『Butterfly』でスカウトをやってるトオルくんって子がいるでしょう」
『Butterfly』とはトオルが所属する大手スカウトグループのことだ。
「ええ、いますけど」
「彼、あまりお行儀が良くないみたいだね」
「と言いますと?」
「どうやら腕のいい他所のスカウトに声を掛けて、どんどん引き抜きしちゃってるらしいじゃない。その辺りの話を彼から聞いたことある?」
「いえ、とくに。けど、引き抜いてるっていうか、あいつは顔が広いんで、よかったら一緒に働かないみたいな感じで周りを誘ってるだけだと思いますけど」
「それを世間では引き抜きって言うんだよ」
「はあ。でも、それの何がいけないんですか」
 訊くと、浜口は苦笑して肩を揺すった。そんなこともわからないのかと、小馬鹿にされたようで不快だった。
「ほかのスカウトのグループの幹部たちが『Butterfly』にえらくおかんむりでね。その中でもトオルくんって子は率先して引き抜き活動をしてるそうだから、ちょっと怖い人たちからも目をつけられちゃってるようなんだよね」
「怖い人たちって、他のスカウトグループのケツモチですか」
「そうそう。隠す必要もないから言うけど、内藤組」
 内藤組――歌舞伎町で幅を利かせている任侠団体だ。若頭の矢島という男は巷では有名で、彼の怒りを買った者は街から姿を消すことになるという。
 そういえばいつだったか、浜口と矢島が繋がっているという噂話を誰かがしていた気がする。
 なるほど、状況が理解できた。標的にされているトオルと懇意にしている従業員がいては、浜口にとって都合が良くないのだろう。
「わかりました。トオルに大人しくするように忠告しておきます」
「いや、縁を切ってくれ。即刻」
「……」
「実はもう、『Butterfly』が詫びを入れてどうにかなる段階は過ぎてるんだ。おそらく今後、戦争が起きる」
「戦争って……」
「とにかくそういうことだから、よろしく。ユタカくんの立ち振る舞い次第じゃ、うちもタダじゃ済まないかもしれないからね」
 裕隆はごくりと唾を飲み込んだ。

 焼肉店を出て、浜口と別れ、『Dream Drop』に向かった。道すがら、トオルに電話を掛けた。
 裕隆が今し方、浜口から聞かされた話をしたところ、〈ああ、なんかそんなことになってるみたいっスね〉と、呑気な返事があった。
「何を他人事みたいに……いいか、おまえが狙われてんだよ。マジでシャレにならねえ状況なんだぞ」
 裕隆はスマホを耳に押し当てて、強く訴えた。きっと顔も強張っているのだろう、すれ違う人はみな裕隆を避けて行く。
〈わかってるっスよ。けどおれ、もう腹括ってますから〉
「なんだよ、腹を括るって」
〈うちのバックに誠心会がついたのって、ユタカさんはご存知ですか〉
「いや、知らねえけど」
〈なんだ、意外と歌舞伎町の裏事情に疎いんスね〉
 ムッとした。
 聞けば誠心会とやらは西日本を中心に活動する指定暴力団で、近年、関東に枝を伸ばしているらしい。
〈で、誠心会は内藤組のことなんか恐れてないんですよ。むしろ上等だって思ってるくらい――〉
 そんな話を聞きながら、裕隆は想像を巡らせた。もしかしたら誠心会は内藤組と揉めたいがためのきっかけ作りとして、『Butterfly』の連中にスカウトの引き抜き行為をさせたのかもしれない。
「誠心会は歌舞伎町を牛耳るつもりなのか」
〈さあ。けどもし、ユタカさんが内藤組側に立つんだとしたら、自分ら、ここで割れるしかないっスね〉
 裕隆は息を呑み、足を止めた。思いがけない発言に当惑を隠せない。
〈それじゃ〉
 電話を切られた。スマホを路上に叩きつけたい衝動に駆られる。
 歌舞伎町で生きていると、こうしたことが頻繁に起こる。『昨日の敵は今日の友』もあるが、その逆もまたあるあるなのだ。
 裕隆は夜支度に入った空を見上げ、一つ深呼吸をした。
 この騒動に自分はいっさい関係がない。反社連中の中だけで好きにやり合えばいい。
 おれはホストとして、あくまで健全な舞台で成り上がっていくのだ。



「勘弁してくださいよ、ユタカさん。この通りですから」 
 スタッフのくろが苦悶の表情で懇願してきたが、「ダメだ。やれ」と裕隆は撥ねつけた。
 二人は『Dream Drop』のバックヤードでひっそりと向かい合っている。
「もしバレたら自分もユタカさんもクビですよ」
「どうしてバレんだよ。おまえさえ黙っていればそんな心配はいらねえだろう」
「だけど、こんなことって――」
「じゃあチクらせてもらうからよ」
「チクるって何をですか」
「おまえがブラックな店の常連だってことをだよ」
 この黒辺というスタッフはギャンブル依存症で、歌舞伎町の中にある違法カジノに足繁く通っていた。店長はまだしも、オーナーの浜口に知れたら即刻解雇を言い渡されるだろう。浜口はコンプライアンスに敏感になっているのだ。
「そうなったら困るだろう。だからここは大人しくおれに従っておけよ。なあに、ちょっとクスリを盛るだけじゃねえか」
 裕隆は黒辺の方に手を回して、耳元で囁いた。
 真凰に出す飲み物に下剤を混入しろ――これが裕隆が彼に与えた指示だった。
 先ほど行われた営業前ミーティングで、真凰は裕隆の耳元で、「ついに陰キャが抜いちゃいましたね。パイセン」と囁いてきた。さらにはミーティング後、周りのホストたちが清掃に勤しむ中、真凰はソファーに陣取って、堂々とメイクをしていやがった。そこはいつも裕隆が座っている定位置だった。
 あのクソガキはぶっ殺してやる。
 ほどなくして営業が始まり、さっそく裕隆の客がやってきた。和美だ。彼女はついこの間、昼の仕事を辞め、ソープ嬢になった。
 諸々の手引きをしたのはトオルだった。ゆえに彼の懐には、和美が働いている限り、永遠にマージンが入る。そしてそのマージンの中から、裕隆もキックバックをもらうことになっていた。
 トオルと疎遠になったということは、今後はそういうおこぼれにも与れないという意味だ。これはよくよく考えると結構、手痛い出来事だった。ホストをやっていると、入ってくる金も多いが、出ていく金もまたでかいのだ。
「ユタカ、今日はアフター大丈夫そう?」
 和美が腕を絡ませてきて言った。
 前に和美が店を訪れた際、裕隆は彼女とのアフターをドタキャンしていた。理由はどうにも体調が優れなかったからだ。眠れない夜がつづくと、こうして仕事にも影響を及ぼす。昨夜も睡眠薬を飲んだにも拘らず、二時間程度しか眠れなかった。
「もう大丈夫。体調も万全だ」 
「よかった。ユタカが元気になってくれて」
「ああ。っつーわけで快気祝いに果物が食いてえな。苺やメロンやマンゴーで腹を満たしたい気分だ」
「もう。すぐそうやって調子に乗る」
 だが和美はフルーツ盛りを注文してくれた。金額は七万円で、ここにTAXが乗る。彼女はソープ嬢になってから金遣いが荒くなった。実によろこばしいことだ。
 だが、気分が上がったのは一瞬だけだった。
 裕隆に対抗するように、真凰のいるテーブルからもフルーツ盛りのオーダーが入ったのだ。それも和美が頼んだものより、ワンランク上の十万円もするフルーツ盛りだった。
 注文したのはもちろん愛だ。
 裕隆は愛と真凰を遠くから睨みつけた。すると、真凰と目が合った。挑発的にウインクを飛ばされた。
「ユタカ、なんか怖い顔してる」
 和美が指で裕隆の頬をつついてきた。その手を乱暴に振り払う。
 フロアの中央に立つスタッフを見た。気まずそうに目を逸らされた。まさかあの野郎、与えた任務を遂行しなかったのか。
 だが、しばらくして、真凰が下腹部を押さえてトイレに向かった。彼は額に脂汗を浮かべていた。
 ざまあみやがれ――裕隆は一転してほくそ笑んだ。
「今度は笑ってるし。今日のユタカ、ちょっと変」
「でもそんなところも魅力的だろ」
「うん。ユタカのすべてが大好き」
 和美の頭を撫でてやった。
 それから五分が経ち、十分が経った。真凰は一向にトイレから出てこなかった。おそらく便座を離れたくても離れられないのだろう。
 愛を見る。彼女はテーブルで一人、さくらんぼを口に含んでいた。担当ホストが席を外した場合、ヘルプで別のホストがテーブルにつくものだが、おそらく彼女が断ったのだろう。
 愛は無表情で、果物を口に運んでいる。その様は暇を持て余しているようにも見えたし、何か考えごとをしているようにも見えた。
 ここで真凰がようやくフロアに姿を現した。だがしかし、すぐにまたトイレに逆戻りしていた。その表情は苦悶に満ちていた。
 やがて真凰は再び姿を現したものの、結局早退をした。笑えるのが、どうやら彼はスタッフに「食あたり」と理由を告げたようだ。
 だが、妙なことに愛は帰らなかった。黒辺と店長をテーブルに呼びつけて、何やら話し込んでいる。クレームをつけているのだろうか。
 何はともあれ、裕隆の気分はすこぶる爽快だった。
 真凰には下剤を飲ませて定期的に苦しめてやることに決めた。そうすればいつか愛から三行半を突きつけられることだろう。
 ほどなくして、
「ユタカさん。ご指名です」
 黒辺がテーブルにやってきて言った。
 裕隆は眉をひそめた。今日は和美以外に自分の客は来ていない。
「あちらのテーブルへ」
 スタッフが手で促した先を見る。まさかの愛のテーブルだった。
 一瞬、脳が混乱をきたす。あの女、いったいどういうつもりだ。
「ちょっと。あの女の人、ユタカ担当じゃないでしょう」和美が黒辺に向けてクレームをつけた。「どうしてユタカを呼べるんですか。乗り換えはNGですよね」
 これはどういうことかというと、客は一度担当ホストを決めると、その担当ホストが店を辞めない限り、ほかのホストに乗り換え、または指名・連絡などを行ってはならないのだ。これは永久指名というシステムで、多くのホストクラブがそうであるように、『Dream Drop』もこの制度を採用していた。
「まあまあ、すぐに戻ってくるさ」
 膨れっ面の和美の頬に手を添えて、裕隆は席を立った。
「どういうことだ」
 フロアを歩きながら、斜め後ろをついてくる黒辺に小声で訊ねた。
「担当が粗相したんだから、その埋め合わせをしろと。じゃないと、今後店には通わないって」
「なるほど」
 今や愛はこの店で一番の太客だ。それを失うリスクと天秤に掛けて、店長はイレギュラー対応をすることにしたのだろう。
「でもなんでおれなんだ」
「さあ。自分にはさっぱり」
「まあいい。それよりおまえ、ナイスだったぞ」
 裕隆が後方を向き、口の端を吊り上げて言うと、黒辺はきょとんとした顔つきになった。
 愛の前にやってきて、
「ご指名頂きましてありがとうございます。ユタカです」
 裕隆は慇懃無礼に告げた。

 

(つづく)