高速を下りたのはつい先ほどで、そこから車はスピードを落として走行していた。くねくねと曲がっているので、峠を上っているのだろう。
やがて未舗装路に入ったのか、車が激しく上下に揺れ始めた。七瀬の収まっている箱は後部座席に置かれているので、支えもなく、その振動がもろに全身に伝わってくる。常に大地震に見舞われているような状態だ。
ほどなくして振動がおさまった。車が停まったのだ。
「ここっスか」と颯太が訊いた。
「ああ。毎回ここだ」シゲが答えた。「こっから森を分け入って、適当な場所に穴を掘るんだ。そこまで女を運ぶのが結構しんどいぞ」
「暗くて何も見えないっスね」
「ヘッドライトを積んでるから、それを頭に装着して作業するんだ。さ、夜が明ける前に終わらすぞ」
シゲが促し、いっせいにドアが開く音がした。つづいて、「せーの」の掛け声のもと、七瀬が収まっている箱が持ち上げられた。
それから男たちによって七瀬は運ばれていった。
「うー。むちゃくちゃ寒いっスね」颯太が凍えた声で言った。
「すぐ汗だくになるさ」
「どうしてっスか? スコップで穴掘るだけっスよね」
「わかってねえな。それが大変なんだよ。砂場とはわけがちがうんだぞ」
「おい、この辺にしよう。たぶんここらなら木の根っこもたいして伸びてないはずだ」
七瀬が収まっている箱が地面に置かれた。
ここから男たちによる穴掘りが始まった。ハア、ハア、という男たちの息遣いと、ザッ、ザッというスコップが地面に突き刺さる音がすぐそこで響いている。
七瀬は身を縮めて、体の芯から湧き立つ震えを必死に抑えていた。恐怖ではなく、寒くて仕方ないのだ。凍てつくような冷気が箱の中まで容赦なく侵入してきて、七瀬の骨の髄まで浸透していく。まるで氷の中に閉じ込められているかのようだ。
この地がどこなのか知らないが、おそらくは山中だろう。それも十二月ともなればマイナスの気温であることはまちがいない。
「あークソ。もう腕がパンパンだ」ユキナリが嘆いた。「さすがに粘土質になってくるとキツいな。スコップがまったく入っていかねえ」
「もうこれくらいでいいんじゃないっスか」
「いや、もっと深く掘らないとダメだ。動物に掘り返されちまう」
そんな男たちの会話を聞きながら、七瀬はこのあとの展開に想像を巡らせた。
穴が完成したら、自分はこの箱から引き出され、まずは着ている服を剥ぎ取られることだろう。車内でユキナリがそう話していたからだ。
そしてその際にこの手足の拘束も解かれるはずだ。
となれば、逃亡するチャンスはそこしかない。
男たちは七瀬がまだ眠っていると思って、油断しているはずだ。
それから数分後、「よし。もういいだろう」とシゲが言った。
「女を出すぞ」
ゴソゴソと物音が立った。七瀬の収まっている箱が開けられているのだ。
ふいに顔にライトが当てられた。目隠しをされていても眩しさを感じた。
「やっぱり死んでるんじゃねえのか。ぴくりとも動かねえぞ」
誰かに手首を握られた。
「いや、生きてますね。脈があるっス」
「そうか」ユキナリが残念そうに言った。
それから七瀬は箱から出された。次に目隠しが取られ、口を塞いでいたガムテープが剥がされた。手首と足首を拘束していた結束バンドはハサミで切られた。
これでようやく手足が自由になった。
七瀬は今、冷たい土の上に横たわっている。その状態で、男たちに気づかれぬように薄目を開けて辺りを確認した。
黒々とした木が周囲を取り囲んでいた。頭上には下弦の月が怪しげな雲を纏って浮かんでいる。
すぐそこにはこんもりと盛り上がった土の山があり、そこにスコップが三本、無造作に突き刺さっていた。そしてその横には長方形の穴があった。これから七瀬が落とされる穴だ。
改めて男たちを薄目で捉えた。暗くて誰が誰なのか、しっかりと視認はできないが、三人が頭に巻きつけているヘッドライトの光の一つは七瀬に向けられている。
ダメだ。この状況では逃げられない。
いや、何としても逃げ切るんだ。
「颯太、女の服を切れ」
命令された颯太が地面に膝をつき、七瀬の服にハサミを入れようとした次の瞬間、七瀬は動いた。
颯太を両手で突き飛ばし、バッと立ち上がった。
そして尻餅をついている颯太を横目に、七瀬は脱兎の如く駆け出した。
男たちの怒声が森の中にこだまする。
七瀬は無我夢中で駆けた。裸足のまま、地面を蹴りつづけた。
だが、三十メートルほど進んだところで、張り出していた木の根に足が突っ掛かり、ヘッドスライディングをするような形で転んでしまった。
すかさず男たちに体を押さえつけられた。
それでも七瀬は暴れ回った。叫び、手足を激しくバタつかせた。
「このアマ、大人しくしてやがれっ」
誰かが馬乗りになってきた。
颯太だった。
「おれがぶっ殺してやる!」
颯太は鬼のように目を剥き、歯を食いしばって、両手で七瀬の首を絞めた。
「てめえは死ぬ運命なんだよ! あきらめやがれ!」
だが、すぐに奇妙なことに気がついた。
「早く死ねオラア!」
颯太の言葉は荒いものの、その手にはまったく力がこもっていないのだ。
颯太と目を合わせる。
彼の瞳は必死に何かを訴えていた。
七瀬は彼の意図するところを察し、目を閉じた。そして全身の力を抜いた。
そのまま十秒、二十秒、三十秒が経過した。
「おい、もういいだろう」シゲが言った。
「ああ、さすがにもう死んださ」とユキナリもつづく。
「ったく、手を煩わせやがって」
颯太が吐き捨てるように言い、その手が首から離れた。
それから七瀬は颯太に抱きかかえられ、元の場所へ連れ戻された。
そして改めて衣服をハサミで切られ、下着も同様に切り裂かれた。この一連の作業中、七瀬は人形のように指先一つ動かさなかった。
こうして全裸にされた七瀬は、深い穴の中に仰向けに寝かされた。もう冷たさを感じることもなかった。それほど全身の感覚が麻痺しているのだ。
「よし、埋めるぞ」
男たちがそれぞれスコップを手に取り、七瀬に向けていっせいに土を振り掛けていく。その間も七瀬は微動だにせず、なされるがままだ。
やがて顔に土が掛かった。どんどんとその重みを増してゆく。すでに七瀬の身体は一部分も見えなくなっていることだろう。
七瀬は土の中で小さな呼吸を繰り返した。大丈夫。まだギリギリ酸素を取り込める。だが、すでに口や鼻の中は土まみれだ。
やがて、かろうじてできていた呼吸もままならなくなってきたそのとき、
「あとは自分がやりますから、兄貴たちは車で一服しててください」
颯太のくぐもった声が微かに聞こえた。
「なんでだよ。もうあと半分じゃねえか」シゲが応えた。
「いいえ、最後は自分が。だって、この女を殺したのも、埋めたのも自分ってことにしたほうが都合がいいでしょう」
「都合? もしパクられちまったときの量刑が変わるって言いてえのか」
「ええ。すべて自分に被せてもらって構わないんで。ですから、兄貴たちは車で休んでてください」
颯太がやや強引に言った。
すると、「こいつがそう言ってんだ。あとは任せようぜ」とユキナリがシゲを促した。
それでもシゲは逡巡しているのか、すぐに返答をしなかったが、最後は「わかった。さっさと済ませろよ」と下っ端の指示に従った。
二人の兄貴分が去ったのだろう、「七瀬、起きれるか」と地上から囁かれた。
だが、反応ができなかった。声が出せない。身体もまったく動かせない。
ここから七瀬を覆っている土の重みが少しずつなくなっていった。颯太が手で土を掻き出してくれているのだろう。
やがて月明かりが見えた。ようやく地中から顔が出たのだ。
七瀬は大口を開け、ハア、ハアと息をして、体内に酸素を取り込んだ。まさに九死に一生を得た気分だった。
颯太に両手を取られ、七瀬は上半身を起こした。次に颯太は後ろに回り込み、七瀬の両脇に自身の手を差し込んで、一気に七瀬を立ち上がらせた。
「七瀬、逃げろ」
鬼気迫る顔で囁かれた。
「颯太……」
「いいから早く」
七瀬は頷いた。
「あ、これ持ってけ」
手に何かを握らされた。それはジッポーだった。
七瀬はよろよろとよろめきながら、その場を離れた。手足がかじかんでいて、足取りがおぼつかないのだ。
途中、一度だけ後方を振り返った。
颯太はスコップを使って、せっせと穴の中に土を落としていた。
七瀬は一糸纏わぬ姿で、猛々しく燃え盛る炎を睨みつけている。
初めこそ小さな火種だったが、今や七瀬の身長をも凌ぐほどの巨大な炎に成長していた。
そこらに落ちている枯れ葉や枝などを手当たり次第に投げ込んでいたら、あっという間に炎が大きくなったのだ。
これによって、寒さから解放された。むしろ熱いくらいだった。七瀬は火傷してしまいそうなほど、炎のそばに立っているからだ。
メラメラと躍る炎の中に、いくつかの人の顔が浮かんでは消えていった。
矢島丈一郎。浜口竜也。池村大蔵。藤原悦子。ユタカ。
七瀬はふいに口元を緩ませた。
この五人には感謝するほかない。
自分に生きる意味と目的を与えてくれたのだから。
奴らを一人残らず、駆逐する。
これを完遂するためなら、自分はバケモノにだって、なんにだってなってやる。
七瀬の決意に呼応するように、炎がさらに苛烈さを増した。
このまま山火事にでもなってしまいそうな勢いだった。
だが、それもいい。跡形なく、すべて燃え尽きればいい。
この業火でもって、あの外道共を焼き尽くしてやるのだ――。
ふいに七瀬は炎に手を伸ばした。
燃え盛る炎の中に、亡き友人の顔が浮かび上がったからだ。
「愛莉衣……」
その名を口にした瞬間、彼女は炎に溶けて消えた。