チリコンカンと所ジョージさんの世田谷ベース
商店街を歩いていると、つやつやした小豆が目に留まった。
思わず一袋を手に取り、惚れ惚れと眺めてからレジに持って行った。
深く考えずに買ってしまったので、帰宅してから悩んだ。
――まさか、餡を作るつもり?
――糖分を摂りすぎないよう気をつけてるんじゃなかったっけ?
もう一人の厳しい自分に責められている気分になった。
でも、小豆といえば、やっぱり赤飯か、あんこだ。
買ってしまってからどうしようかと考えるのはいつものことで、何か他に調理法はないかと「小豆」で検索すると、チリコンカンが画面に現れた。それを見て、以前は大豆やインゲン豆でよく作っていたのを久しぶりに思い出した。
チリコンカンはメキシコの料理で、挽き肉や玉ねぎを炒め、そこに豆とトマトの水煮缶などを入れて、チリパウダーで味付けした辛い煮込み料理だ。
いつの間にか作らなくなってしまったのは、引っ越しのときに圧力鍋を処分してしまったからだ。圧力鍋は、蒸気機関車のように鋭くシュッシュッと蒸気を吐き出す。何十年にも亘って、それも頻繁に使ってきたというのに、使うたび鍋が爆発しそうで恐ろしかった。
最初に買ったときは、まだ二十代だった。近所に住む私と同い年の女性が、豚の角煮を作るために購入したと言うので、私も真似してすぐに買った。
だが年齢とともに、あんな脂っこいものは食べなくなった。だから処分しても問題はないと思ったし、大型だったので、場所を取ることも悩みだったのだ。
検索したレシピでは普通の鍋を使っていた。煮るのに時間がかかりそうだが、火のそばを離れるわけにはいかない。それを考えて、台所のテーブルで仕事をすることにした。
だが豆を煮ることはできても、挽き肉もトマトの水煮缶もない。そのうえ、あいにく雨が降り出していたから、買い物にも行きたくない。だから、生のトマトと冷凍庫にあった牛肉を細かく切った。
豆が大豆から小豆に変わっただけだが、なんせ久しぶりに作るので、手順も材料もすっかり忘れてしまっていた。レシピにはスパイスの名前がずらりと並んでいる。
スパイスは身体にいいと言われていて、血行や新陳代謝を促進したり、胃腸の働きを高めたりと色々な効能があるらしい。
スパイスならうちにもたくさんあったはずと思い、冷蔵庫を開けてみると、カルダモン、クミン、コリアンダー、ナツメグ、シナモン、オールスパイス、ターメリックなどが並んでいた。
クミンって何だっけ?
カルダモンとは?
だが、これらが冷蔵庫の中にあり、そのうえ開封されているとなれば、過去に一度は使ったことがあるということなのだ。
だけど……まったく思い出せない。
カレー粉の缶もある。それも大小二缶も。裏に書かれた原材料を見ると、ターメリック、コリアンダー、クミン、フェヌグリーク、赤唐辛子、陳皮などと書かれている。
その昔、私は「カレー」という名の天然のスパイスが存在するのだと思っていた。カレー粉というのが、いろいろなスパイスを混ぜたものだなんて知らなかった。
どのスパイスがどの料理に合うかは、香りでわかると私は勝手に思っていた。例えば、鍋から豆の香りが漂ってきたとき、すぐにミントの香りを嗅ぐ。瞬時に、この組み合わせは絶対に合わないとわかる、といった具合だ。
と、偉そうに言ったが、この世にはチョコミント味なるものがあり、私は苦手だが、私の周りには好きな人が多いのだ。となれば、チョコとミントが合うか合わないかの感覚は人それぞれであって、さっき瞬時にわかると言ったのは、自分の好みに合うかどうかがわかる、といった狭い範囲のことのようだ。
ところで、チリコンカンの味の決め手となるチリパウダーもなかったので、七味唐辛子で代用することにした。その結果、妙な味になり、食べるのが苦痛だった。
「私ね、今日はお豆を煮たのよ」
こういった言葉から連想するのは、のんびりした生活だ。
疲れきった身体で、鬼の形相をして手早くジャジャッと肉と野菜を炒めるのとは雰囲気がまるで違う。
豆を煮る生活は時間的余裕を感じさせる。今流行りの「ていねいな暮らし」を象徴するような料理だ。
ときどき洋服のサイズを部分的に直したいと思うことがある。だが自分にそんな高度な洋裁技術はないから、「お直し」に出そうと考える。しかし料金表を見て、その高さに驚いて二の足を踏んでしまい、結局は着なくなる。月日が経って、なんとなく諦めがつき、処分することになる。こんなことを繰り返していては、「ていねいな暮らし」には永遠に手が届きそうにない。
そもそも私は圧力鍋だけでなく、ミシンも処分してしまったのだった。置き場所がないし、滅多に使わなくなったからだ。
昔の足踏みミシンと違い、今どきのポータブルミシンはコンパクトに出来ていて炊飯器より小さいくらいだから、ミシンそのものを置く場所がないわけではない。そうではなくて、いつでも使えるようにスタンバイしておくスペースがないのである。
ミシンを出しっぱなしにし、その横に裁縫道具一式を置き、アイロンとアイロン台もすぐ隣に置けて、できれば布を広げられる大きなスペースもある。そういった余分な場所が家の中にないのである。
今どきのミシンは片手で持てるほど軽いが、専用スペースがないとなると、ミシンを使うためにテーブルの上を片づけるところから始めなければならない。そこまでするだけのミシンへの愛がなくなったのだ。
たまにテレビで見かける「所さんの世田谷ベース」が羨ましくて仕方がない。広いガレージに様々な趣味のものが置いてあり、所ジョージ氏は人生を謳歌しているように見える。断捨離とは無縁の生活だ。
あれを見る度、ふっと自分の人生を惨めに感じることがある。それほどまでに羨ましいのであれば、自分も郊外に引っ越せばいいじゃないかと思うこともある。だが、田舎からせっかく東京に出てきたことを思うと、どうしても都心に住みたいのである。
そんなことを思った数日後、スーパーに行くと、牛スネ肉を安売りしているのを見つけた。私にとって牛スネ肉は、ビーフシチューに使うものと決まっている。
牛スネ肉を柔らかく煮るには圧力鍋が必要だ。豆のようにコトコト煮れば、普通の鍋でもそのうち柔らかくなる、なんてことはない。
スーパーで牛スネ肉を目にすることは珍しいことではないのに、なぜかその日は圧力鍋を処分したことをひどく後悔した。
家に帰ってからネットで圧力鍋を検索すると、昔と比べてずいぶん安くなっていた。
また買ってみようかな。
世田谷ベースは手に入らないから、小型のにしようと思う。