同級生のMさんから、仕事で上京すると連絡があった。
会うのは高校卒業以来のことだった。
彼女とは幼稚園から高校まで一緒だったが、中学と高校では一度も同じクラスにならなかったから、共有する思い出といえば小学生の頃が最も多いだろうと思われた。
互いの実家が同じ通り沿いにあり、母親同士も仲が良かったので、小学生のときは頻繁に彼女の家に遊びに行ったものだ。
都心のレストランで待ち合わせをし、ランチしながらおしゃべりを楽しんだ。予想外だったのは、久しぶりに会ったというのに、話が弾みに弾んだことだ。
それというのも、彼女が昔のことを事細かに憶えていたからだ。そのことは、私にとって感激するほど嬉しいことだった。
というのも、幼い頃から親しかった友人や親族の中には、こちらが何を話しても「そんなことあったっけ? あなた本当によく憶えているわね。私は全く憶えてないわ」などと言う人が少なくないからだった。
中には、小中高時代の記憶がすっぽり抜け落ちているとしか思えない同級生もいた。六十代になった最近のことではない。彼女と話をしたあのとき、確か四十代だったと思う。
──あなた、あんなに勉強できて頭が良かったのに、そんなことも忘れちゃったの?
そう言って責めてしまいそうになった。そのときは残念でたまらず、悲しくなった。
昔からの知り合いというものは、共通の思い出があってこそ親しみが持続する。そのことを思い知った瞬間だった。
人によって印象深い出来事は異なるだろうし、記憶力も人それぞれだろう。あまりにつらい記憶は何年も封印されて思い出さないように脳の仕組みができているとも聞く。そう考えると、仕方がないことなのだろうとは思う。
だがしかし、今回会ったMさんは、なんでもかんでも覚えていた。当時の思い出が彼女の口から次々に飛び出してきたのだ。
ああ、持つべきものは、記憶力抜群の幼馴染みである。
小学校三年生のときに、クラスの女の子が白血病で亡くなった。その子が入院しているとき、Mさんと、もうひとりのクラスメイトのFさんと三人で見舞いに行ったことがある。家から離れたところにある総合病院だったので、Fさんの母上が同行してくれた。
Mさんは、そのときの個室の病室の様子も詳細に覚えていた。田舎の少女だった私たち三人はみんな恥ずかしがり屋で、ベッドに横たわる彼女を見ても、もじもじして微笑み合うだけで、なかなか話しかけることができなかった。
──お手紙、いつもありがとね。この子、とっても楽しみにしてるのよ。
女の子の母親が、あれこれ気を遣って話をしてくれた。
──ふっくら太って、元気そうになったわね。
Fさんの母親がそう言った途端、女の子の母親はカーテンの後ろにある給湯コーナーに駆け込んだ。どうしたのだろうと覗いてみると、母親はハンカチで目頭を押さえていた。
Fさんの母親がそっと近づいていく。
──どうしたの?
──あの子、太ったんじゃないのよ。むくんでるの。
小声でそう答えているのが聞こえた。
そんな場面を目撃しても、彼女が重大な病に罹っていることを、私たち小学生三人は想像できなかった。仮に病名を聞いたとしても、何のことやらわからなかっただろう。
病院を出ると、外は真っ暗だった。
Fさんの母親が食堂に連れて行ってくれて、熱々のうどんをふうふう言わせながら食べてからバスで帰った。
今でもふとした拍子に葬式の光景を思い出すことがある。死ぬということがどういうことかわからなかった。同級生の誰もがぽかんとしていた。それでも、心がシンとしたのを憶えている。
そして、都市部から背の高い天然パーマのYくんが転校してきたのも小学校三年生のときだった。家庭の事情で一学期間だけいて、すぐに都市部に帰っていったので、彼のことを憶えている人はほとんどいないだろうと思っていた。だが話を振ってみると、Mさんはこれまた詳細に憶えていたのでまたまた嬉しくなった。
Yくんは「都会の男の子」だった。その当時、「田舎の男の子」と「都会の男の子」は、私から見ると全く違う生き物だった。
田舎の男の子の中には、乱暴で威張っている子がちらほらいた。だから、低学年の頃は、幼いながらも警戒していて、近づかないようにしていた。暴力的ではない普通の男子の方が圧倒的多数ではあったとはいうものの、だからといって彼らから「優しさ」を感じたことはなかった。
ところが、都会から来た男の子はとても優しいのだった。小三以前にも、Yくん以外の「都会男子」と何度が接した経験があり、それは私の心の中では絶対的な真実となっていた。
あれは小学校一年生のときだった。
掃除の時間に、水の入ったバケツを運ぼうと四苦八苦しているときだった。今考えてみても、小一の小さな身体には過酷な作業だった。すると、背後から六年生男子がすうっと寄ってきて「持ってあげる」と言って、私からバケツをさっと取り上げた。
私は信じられない思いで彼を見上げた。
「一年生だよね? 何組?」と彼は尋ねてバケツを教室まで運んでくれたのだった。その彼も、やはり都会から転校してきた男子だった。小一の私から見て、超イケメンだったからか、強烈な印象を残した。
バケツを運んでくれるなんて、田舎男子では考えられない行為だった。六十代になった今もときどき思い出してしまうほどの衝撃だった。
そして、これも一年生のときのことだが、終業式の日になると、画板や座布団など大量の荷物を持ち帰らなければならなかった。
帰り道に座布団を振り回していると、椅子の背に括り付ける紐の部分が、クラスの男子に何度か往復で当たってしまった。私は気にもしていなかったが、その男子は言った。
「細い紐は、鞭のように痛いんだよ」
「えっ、本当?」
「いい? 一回だけやってみるね。どんなに痛いかわかってほしいから」
彼は一回だけ自分の座布団の紐の部分を私の腕に軽くパシッと当てた。勢いはなかったのに、それでも私はあまりの痛さに一瞬だが息が止まった。
私は往復で何度も彼の腕に当てたのに、彼は一回だけにしてくれた。その男子は転校生ではなかったが、幼稚園までを都市部で過ごし、父親の転勤とともに小学校入学と同時に一家揃って田舎に引っ越してきた子だった。
こういった数々のことで、都会育ちの男の子はすごく優しいと思うようになった。
今考えてみても、なぜそれほど都会と田舎の違いがあったのかわからない。今も昔も都市部の方が考え方が進歩的だとは思う。だからなのか、それとも当時は都市部の方が親の躾が行き届いていたのだろうか。
背の高い天然パーマのYくんの話に戻るが、彼が私を助けてくれるような場面はなかった。だが、雰囲気そのものが柔らかいのだった。女子に向かって「お早う」とにっこり笑いかけること自体が、田舎男子にはないことだった。
そんなあれこれを思い出しながら、久しぶりに会ったMさんと会話が弾んだ。どんなことでもMさんは憶えていたから、本当に楽しいひとときだった。
今後は年齢とともに、思い出を共有できる仲間が減っていくだろう。
小学校を卒業して早や半世紀が経つことを思えば、憶えている人間の方が少ないのかもしれない。
この先は、自分の心の中だけで思い出は生き続けるのだろう。
そして、すべてが忘却の彼方になる日が来る。