前回に引き続き、挑戦することについて書きたいと思う。
 前回は、スマートフォンに交通系ICカードを取り込むといった簡単なことだったが、それがきっかけで、自分がぺーパー・ドライバーだった頃のことを思い出した。
 運転免許を持っているのに、怖いからと運転しない女性がたくさんいる。
 かつての私もそうだった。周りを見渡せば、ペーパー・ドライバーは圧倒的に女性が多いように思う。
 上の子がゼロ歳児の頃から、ご近所さんたちと家族ぐるみの付き合いをしてきたのだが、私以外の妻たちはみんな運転が上手だった。
 その中の一人である北海道出身の女性の助手席に乗せてもらったときのことだ。
「いいわね、運転ができて」と、私は羨んで言った。
「あなたも免許を取れば?」と、返された。
「実は私……免許は持ってるんだけどね」と、言うと、
「えっ、免許、持ってるの? だったらなんで運転しないの?」
 そう問うたときの、彼女の不思議そうな表情を、今でもときどき思い出すことがある。
 運転しない理由は、単に私が臆病だっただけだ。田舎道ならともかく、大都会東京の路上で運転するなんて、想像するだけで恐ろしかった。その気持ちを素直に言ったところ──。
「運転なんて簡単だよ。車と一体になれば楽しいよ」と、彼女はレーサーのようなことを言った。
 またある日は、長崎出身の女性が運転する助手席に乗せてもらった。上品で控えめな日頃の雰囲気とは打って変わって、前の車にぴったりとつけて、簡単そうに運転するので驚いたものだ。
 そんなことがあった数か月後、子供の保育園が決定し、とうとう私は送迎のために運転せざるを得なくなった。
 住宅街だけならまだしも、幹線道路に出なければならない。初日は、がちがちに緊張して運転したことで、保育園に子供を送っていっただけで疲れ果ててしまった。長い一日が始まったばかりで、山のような仕事や家事が待っているというのに、朝からこんなに疲れてどうするんだと、暗澹あんたんたる思いがした。
 もしも周りのドライバーたちが、みんなジェントルマンや女性ばかりなら、ちっとも怖くないのにと、架空のガラの悪いドライバーを恨めしく思ったりした。
 だが日が経つにつれ、さすがの私も少しずつ慣れてきた。
 ……と思っていたある日、いつもの道路に「工事中」の看板が立っていて、「迂回せよ」と指示が出ているのが見えた。ナビもスマートフォンもない時代で、そのうえ自宅から遠い場所だったから周辺の地理をよく知らなかった。
 迂回の矢印が書かれているだけで、その先の道路から保育園へはどう行けばいいのかがわからない。道を間違えて迷ったりしたら、会社に遅刻してしまう。ただでさえ私が毎日定時に帰ることに、いい顔をしない人間が周りにたくさんいるというのに。
 指示通りに次の角を曲がる前に、いったん落ち着いて、ダッシュボードに入っている地図を見て道順を確かめたかった。だが、道路の真ん中に停車するわけにもいかず、看板通り矢印方向へ運転し続けるしかなかった。この道は、いったいどこへ行くんだろうと、心臓がバクバクしたのを覚えている。しばらく運転すると、保育園のある見覚えのある道路へ出たので、やっと胸を撫で下ろしたのだった。
 毎年夏休みになると、子供たちを連れて実家のある兵庫県に車で帰省した。夫婦で交代しながら高速を飛ばした。その頃は住宅ローンが家計経済に重く圧し掛かっていて、家族四人分の新幹線代はあまりに高すぎた。
 このように、車の運転から逃れられない日々を何十年と過ごしてきた。だが、かつて近所の妻に言われた「車と一体になれば運転は楽しい」と実感できたのは、なんと、五十歳を過ぎてからだった。
 あまりに遅すぎて、我ながら呆れてしまう。それまでずっと安全運転で、危ない目に遭ったことなど一度もなかったというのに。
 心配性だったり臆病だったりするのは、生まれつきの性格や育った環境に影響されると聞く。そういう面は確かにあるだろうと思う。というのも、免許取り立てで運転が未熟であっても、全く怖がらず、幹線道路をビュンビュン飛ばす人もいるからだ。
 なにも私が五十歳を過ぎて、やっとベテラン・ドライバーになれた、というのではない。その年齢あたりから、ある考えがときどき頭をよぎるようになった。
 ──子供たちも独立したんだから、私が死んだところで誰も困らないのでは?
 運転しているときに電柱にぶつかって死んだって構わないのだ。そういう考えを持つようになってから、いきなりいろいろなことが楽になっていった。それが高じて、もうこの世に怖がることなど何一つないような気がしてきた。 
 つい先日、一生涯ペーパー・ドライバーだという七十代の知人女性と話をする機会があった。彼女は車の運転どころか、ネットで新幹線のチケットを取るのも、ATMでお金をおろすのも夫の役割だと言った。
「そういった難しいことは、私にはわからないから」
 彼女と私は十歳くらいしか違わないのに、五十年ほどの時代の隔たりを感じてしまった。
 ──しっかりして頼りになる夫と、世間知らずでバカな可愛い妻。
 ムズカシイことは何もできない自分を、「可愛い妻だ」だと自認する女性がいることが信じられない思いがしたが、現に存在するらしい。これも都市部の中の、そのまた一部の人々だけの話であって、田舎だったら「役立たずの嫁」と一喝されるだろう。
 本来、人間はみんな臆病なのだと思う。だが、人々は幼い頃からひとつひとつ克服しながら生きていく。その間には数々の失敗があり、何度も恥ずかしい思いをする。その過程で、忘れてしまいたい「黒歴史」が次々に作られることもあるだろう。
 だが、そういった経験を重ねてきた人と、常に誰かを頼って「可愛い女」を演じてきた人とでは、中高年になったときに顔つきに歴然と差が出るのは必然だ。それまで心の中に貯金してきた勇気の差が大きいからだ。
 中高年女性の中には、こういう人が少なくない。
 ──一人で喫茶店やレストランに入れない。
 ──一人でホテルに泊まれない。
 ──一人で新幹線や飛行機に乗れない。
 慣れている人間にとっては、なんでもないことばかりだ。
 勇気を出して克服していったら、すぐに緊張しなくなり、なんとも思わなくなる。そして行動範囲が広がり、楽しみが増える。残り少ない人生なのだから、勇気を出して新しいことにどんどん挑戦していけばいいのにと思う。
 だが、大きなお世話だから口にはしない。他人に言われなくても誰しも「そんなことはわかってる」からだ。
 あの頃もしも保育園が家のすぐそばにあったなら、私は一生涯ペーパー・ドライバーだったかもしれないと思うことがある。だから私も偉そうに言える立場ではないのだ。必要に迫られなければ動かないのが人間だからだ。
 かくいう私も、いまだに臆病な気質は変わらないので、外国旅行も一人では行けず、ツアーに参加するしかないヘタレのままなのだった。

 

(第8回へつづく)