新型コロナウイルスが五類に移行してから半年が経った。
 日を追うごとにマスクをしている人が減ってきて、東京ではほとんど見かけなくなった。
 このコロナ騒ぎで私が最も気になっていたのは、アメリカの製薬会社の儲けっぷりだった。人類全体の非常事態なのだから、世界中に無償で配るのだと信じていた私は考えが甘かったのだろうか。というのも、周りの人々からも、そういった意見は聞かなかったし、それについて批判したり言及したりするマスコミもいなかったように思う。
 流行し始めの頃は、過去のペストの流行が引き合いに出されることも多かったし、アメリカでは連日の大量死が止まらなかった。欧州各国や中国ではロックダウンを行い、テレビもコロナ一色で、誰一人歩いていない不気味な街の映像が毎日のように流れた。日本でも、昨日まで元気だった芸能人が突然亡くなったりしたから、戦々恐々としていた。
 つまり、人類滅亡かと思われるほどの危機感を世界中の人が抱いていたのだ。
 それなのに、アメリカの製薬会社はきっちりお金を稼いだ。我先に大金を支払ったイスラエルや金持ちの先進国に、優先的にワクチンを売りさばいていった。その一方で、発展途上国やアフリカ各国では、ワクチンをなかなか手に入れられない国が続出した。製造が追いつかない面もあっただろうが、それほどまでに高額だったからだろう。
 あのとき私も正直言って、「ああ、日本人でよかった、助かった」という気持ちがあった。その一方で、この世は原始時代となんら変わらない弱肉強食の世界だったのだと、改めて突きつけられた気がしていた。
 製薬会社は、いったいいくら儲けたのか、日本政府はワクチンにいくら払ったのか、公表されないままだ。桁違いの金額だろうから、私には見当もつかない。
 中国や台湾に旅行したことのある人ならわかるだろうが、墓参りをするときに、紙銭と呼ばれる紙を燃やす習慣がある。赤地に金色の模様の入った紙を紙幣に見立て、それらを燃やすことで、あの世の故人に届くとされている。その紙は、燃やせば燃やすほどご先祖様が裕福になると考えられているから、台湾では寺院のそばを通るたびに、煙がもうもうと立ち込めているのを頻繁に見かける。
 ──あの世で幸せになってね。
 日本人の中にも、そう願う人がいるかもしれない。だが、それとお金とは直結していないように思う。
 あの世にまで経済格差があり、お金がないと苦しい思いをすると考える中華系の人々の考え方が興味深い。まさに「地獄の沙汰も金次第」だと知っているのか。
 そして、いつだったか、こういった記事を見つけた。
 ──日本人は、死ぬときが最も金持ちである。
 老後が心配だから、今までずっと節約して暮らしてきた。そういった人が多いために、数千万円の預金を残したまま死ぬ人が少なくないそうだ。預金以外にも土地や家屋や株などの資産のある人も少なくないだろう。
 その記事からは、大金を残したまま死ぬ人々を皮肉ったり苦笑したりする雰囲気を感じたが、私はそうは思わなかった。だって、人は何歳まで生きるかわからないからだ。
 かつて拙著『七十歳死亡法案、可決』でも書いたが、何歳まで生きると決められていたならば、誰だって計画的にお金を使うことができる。だが現実は、六十代で交通事故や心筋梗塞で死ぬのか、それとも百歳まで生きるのかがわからないから、そう簡単に使い果たしてしまうことはできない。
 だから、使い切って死ぬ、などという芸当は難しすぎる。
 ただ、いつ死ぬかわからないからこそ、たまには贅沢をするのもアリかなとも思った。だから久しぶりにデパートに行ってみた。
 欲しいものがあれば、多少高くても買っちゃおうと決心して家を出たのに、買う気が起きなかった。高すぎるのだ。自分の頭の中には「適正価格」がいつも居座っていて、自由に使えるお金があっても、どうしても買う気になれない。店内をウロウロした結果、普段は買わない高級な煎餅を買って帰るのがせいぜいだった。
 銀座に行くと、路面店は高級ブランドの店ばかりだ。
 ブランドとは、いったい何なのだろう。素材も形もデザインも、その良さが私にはよくわからない。だが世界では一流と認められている。その地味な柄の合皮のバッグが、どうして何十万円もするんですか?
 日本人は、精密機械や刃物や水族館のガラスやゲーム機など、高品質でユニークな製品を作ることができ、それらを世界中に輸出している。そして、鞄や靴や家具や食品や生地や……もうありとあらゆるものが何代も続く工場で作られ、老舗しにせの店舗で売られている。百年以上続く製造業の数は、世界の中でも日本がダントツに多いのだ。だが、どんなに品質がよくても、それらが高級ブランドとはならない。
 世界に通用する高級ブランドとなるには、長年に亘る信頼の歴史が必要だと言われていて、それらをクリアしている製品が日本国内に数多あるのに、だ。
 それはいったいなぜなのか。
 その答えは簡単で、私たちが白人ではないからだ、と私は思っている。
 ベトナムにも有名なキルティングのバッグがある。土産に買って帰る人も多いが、価格は安い。 
 大金を払って高級ブランドを買うアジア人の心の底には「白人への憧れ」がある。それが消える日は必ず来ると思うが、ずっと先のことだと思う。
 アジア人が作ったバッグが、何十万円もする日がいつの日か来るのだろうか。
 まず手始めに、高価な値段をつけて海外で勝負してみてほしい。

 

(第9回へつづく)