マラケシュのレストランで食事をしたときのことだ。
いくつかの丸いテーブルに分かれて座った。
私のテーブルは七人で、それぞれがジュースや酒を注文した。
私が注文したミネラルウォーターのペットボトルのキャップは、恐ろしく固くて、なかなか開けられなかった。隣に座った同世代の女性も同じものを注文したが、私と違ってさっさとあきらめ、隣の若い男性メンバーに開けてくれるよう頼んだ。頼まれた男性はいとも簡単にキャップを捻って開けた。少し得意そうで、嬉しそうな表情に見えた。
だが私はひとりで格闘していた。これが自宅であればゴム手袋を使って簡単に開けられるのにと思いながら、何度目かの「エイヤッ」で、やっとキャップを空けることができた。
ペットボトルのキャップを開けられるかどうかが握力のバロメーターとなっている。そう考えて、歳を取ってもできるだけ自分で開けると決めていた。
というのも、近所のコンビニで老齢の女性が店員にキャップを開けるよう頼んでいるのを何度か見かけたことがあったからだ。たぶん彼女は一人暮らしで、頼める家族がいないのだろう。店員は心得たもので、いったん開けてから緩く締め直して客に戻すのだ。
私はそんな経緯を話しながら、「だからね、ペットボトルのキャップはどんなに固くても自分で開けることにしてるのよ」と言った。
すると、他の若い女性メンバーが驚いたように言った。
「ええっ、どうしてですか。男の人に頼んだ方が女として可愛いじゃないですか。これからは私もその手を使っちゃおうって決めたところなのに」
私は咄嗟に返事ができなかった。どう返事をしたらいいかわからなかったからだ。これが私のよくないところで、相手は私に無視されたと勘違いする。だから私は慌てて、「あ、なるほどね」と、意味のない返事をした。
頼りない女、男に頼る女、そういった女を演じた方が男性陣の好感度が上がり、男社会では暮らしやすくなる面が今でもあるとは思う。だから、こういったタイプの女性を責める気にはなれなかった。
だが、食事が終わって店を出てから、A子さんが私にそっと言った。
「女が女の足を引っ張るというのは、ああいうことを言うんです」
A子さんというのは、このツアーで仲良くなった女性だ。不動産会社に勤めている五十代の女性で、聡明で控えめなタイプだが、会社では役職についている。話すほどに馬が合うことがわかり、気づけばずっと一緒に行動していて、食事のときも隣に座ることが多くなっていた。
「うちの会社にもいるんですよ。『私は女だからそういった仕事はできません』なんて言っちゃう女が」
彼女の部下の中に、間違った「女らしさ」をウリにする女性社員がいると言う。A子さんがいくら「女だてら」に部長職に就いていても、そういう女性に足を引っ張られると言い、職場で苦労する様子が伝わってきた。
そんな小さな出来事が、帰国後の打ち合わせで大きく影響することになるとは、このときは思ってもいなかった。
わたしの、ある作品の映画化が具体性を帯びてきて、プロデューサーや脚本家兼監督たちと会うことになった。実際に会って話してみると、私と製作者側の間に、根本的な意見の相違がいくつか見られた。
その中のひとつに、小説の中に出てくる飲み屋の女・B子を、制作者側は「悪人」として扱いたいと言い、私は「善人」だと主張した。
B子は、男社会をうまく立ち回って生きている女だ。バカな女や弱い女を演じたり、男に媚びを売るのも朝飯前だ。そういった風潮や田舎での暮らしを私は幼い頃からわかっているつもりだったから、B子に同情こそすれ、悪役にするなんて考えてもいなかった。B子だって男社会の犠牲者の一人なのだ。
だが、脚本家兼監督である女性はきっぱりと言い放った。
──こういった類の女も、自分はもう許せないんです。
それを聞いた私は、はたと考え込んでしまった。
今まで書いてきた小説の中では、「清濁併せ呑む」といった傾向が多かった。
人それぞれに生育歴があり、現在置かれた事情もある。それらを考え合わせると、偏った考え方や振る舞いがあったとしても、やむを得ないと私は判断してきた。つまり、私の小説には根っからの悪人は登場しないということになる。
だが、ここにきて、B子のような女を許してきたのは、果たして私が寛大だったからなのかと疑問が湧いてきた。
この寛大さが日本をダメにしているんじゃないのか。
いつまで「濁」を呑み込むのか。
そのとき、何年も前に見た外国映画の一場面を思い出した。
女子学生が街を歩いているとき、道路工事中の男たちに「ヒューヒュー、ネエちゃん、どこ行くの?」などと囃し立てられる場面だ。
そのとき女子学生は、振り返りざまに「うるさいっ」と怒鳴るのだ。すると、一緒にいた母親が慌てて「やめなさい。仕返しされるかもしれないわよ。にっこり笑って通り過ぎればいいのよ」と処世術を教える。だが娘は、「そんなことばっかり言ってるから、いつまで経っても女が舐められるのよっ」と、母親に言い返すのだ。
その場面を思い出した途端、私の心の中で、脚本家兼監督の意見に軍配が上がった。
男に媚びを売って自分を守る風潮は、とっくに過ぎ去っていなければならなかったのだと。
モロッコでのレストランでも、若い女性メンバーに、「あんたの考え方、おかしいよ」と言ってやってもよかったんじゃないかと。
モロッコに滞在していた間に、サッカーのアジアカップがあった。
南アフリカ対モロッコ戦の日は、夕方になると大勢の男たちがカフェに集まりだした。通りから見えるカフェは、どの店も中高年男性ばかりで、店員を含め女性は一人もいなかった。
同じような光景を、昭和時代の田舎でも見たことがあった。喫茶店に出入りするのは中高年男性の常連客ばかりで、女性客は一人もいなかった。
だがマラケシュにある高校は違った。ちょうど下校時間だったらしく、門から一斉に生徒が出てくるところが見えた。その学校は男女ともにTシャツなどの西洋的な身軽な私服を着ていて、ヒジャブをかぶった女子生徒は三分の一ほどしかいなかった。
きっと、この国も都市部から少しずつ変わり始めているのだろう。
かつての日本もそうだったが、その速度があまりに遅いのではないか。
男性たちは、いつまで経っても「いま過渡期だから」と流しているが、女性たちは、明日にでもフェアな世の中になってほしいと、張り裂けそうな心をかかえてきた。脚本家兼監督の女性の心の中には、きっとしびれを切らした待ったなしの怒りがあったのだろう。
帰国の飛行機に乗ったとき、どこかで見たことのある大柄な男性が、妻と見える女性とともに搭乗してきた。
元サッカー選手だった。どうやらアジアカップを観戦した帰りらしかった。
妻はパッと人目を引くほど華やかな美人だった。人々にじろじろと見られることや、「きれいですね」と褒められることに慣れているのが、その自信たっぷりの目つきから感じ取れた。
年齢を重ねても細身の体形や美しさを保っていることに感心した一方で、成功者の男性にとって、誰もが羨む美人妻は戦利品なのだと思った。英語にもトロフィ-ワイフという言葉があるらしい。
若い頃から誰の戦利品にもなりえない私のような女は、太ることも老けることも許されているから気楽なものだ。
カロリーなんか気にせず、機内食を思う存分楽しませてもらいました。