日本は災害の多い国だと世界中の人が知っている。
 地震や大雨による山崩れや川の増水などで被害が出ることが頻繁にある。そういったニュースが珍しいことではなくなり、よくあることだとすら感じるようになってきた。
 だが、感じ方は人それぞれのようで、明日は我が身と感じる人と、いつまで経っても他人事でしかない人がいる。
 私はただでさえ心配性だから、「明日は我が身」と感じる方だ。だから、備蓄関連の本をよく読むのだが、そんな中で最も心に残ったのは、たかとも著『今日から始める本気の食料備蓄』だ。
 一般的に、備蓄は三日分は必要だとか、いや一週間分あれば安心などと、様々なことが言われている。
 だがこの著者が勧めるのは、家に置けるだけ置いておけというものだ。家の中の余ったスペースを全て活用しろと言う。一週間分だとか家族何人分だとか小さなことを言っている場合じゃないと叱咤された思いだった。
 ここ二十年ほど立て続けに災害に見舞われた割には、政府の対応が信じがたいほど遅いのは、年初に起こった能登半島地震のときに広く知れ渡った。
 東京に住む私は、首都直下型地震が来たときを想定し、いったい何日くらい待てば支援物資が手許に届くのかと考えてみた。
 物資を運んで人々の手に渡るまでを考えると、人口の多さや過密さで大変な手間と時間がかかることは容易に想像できる。そのうえ、街路樹の倒壊や交通事故などで道路が塞がれることもある。
 だが田舎とは違い、東京には道路が何本もある。幹線道路ひとつが塞がったからと言って、過疎地のように物資が運べなくなるとは考えにくい。そのうえ自宅の窓から見ただけでも、屋上にヘリポートが設置してあるビルは数えきれないほどある。
 となると、都心部では逆に「置けるだけ置く」必要はないのかもしれない。だが、田舎のだだっ広い家とは違い、「置けるだけ」のスペースは狭いから、やはり目いっぱい備蓄しておいた方が安心ではある。
 ライフラインの復旧には、都心部はそれほど時間がかからないのではないかと、私は楽観視している。というのも、ここ十年ほど、夜八時になると道路を通行止めにしてアスファルトを掘り起こし、地下に埋まっているガス管や水道管を新しくする工事を早朝まで行う様子を毎日のように目にしてきたからだ。 
 その工事によって新しくなった配管が、どれほどの揺れまで耐えられるのかは知らないが、一度掘り起こしたことによって、詳細なデータを記録として取ってあるのだろうから、復旧も早いのではないかと勝手に期待している。
 今後は避難所に行かずに自宅で避難する人はもっと増えるのだろうと思う。 東京都から各家庭に配られた防災関連のハンドブックにも、マンションなどの鉄筋コンクリート製の頑丈な建物に住んでいる人は、避難所に行かずに自宅避難するよう書かれている。
 能登半島地震の様子を見ても、避難所にいても物資が届くのは遅かった。避難所にはプライバシーがないうえに不衛生なのは、よく聞く話だ。
 前述の高荷智也著『今日から始める本気の食料備蓄』には、自宅避難をする際の注意点が書かれていた。料理を作るときは窓を閉め切り、隣近所に匂いが漏れないよう最大限の注意を払えとある。そしてなるべくなら、匂いが少ない料理をしろと書かれている。
 これを読んだときは思わず笑ってしまった。
 食料品を奪い合うようなサバイバル状態を想定しているなんて、いくらなんでも大げさではないかと思ったからだ。
 だが、徐々に自分の平和ボケを思い知ることになった。
 日本人の場合は災害が起こっても、他国のように暴動が起こったり、店に強盗が押し入ったり、殴り合いになったりはしない。
 その一方、日本では避難所に食料や赤ん坊の粉ミルクや衛生用品などを持ち込んだ場合、「少し分けてくれませんか」という人が次々に現れる。無下に断ることもできず、人々に分け与えているうちに、自分や家族の分がなくなってしまったなどという経験談を、あちこちで目にするようになった。
 泣き叫ぶ赤ちゃんを目の前に連れてこられて、「粉ミルクを少し分けてくれませんか」と請われたら、あなたならどうしますか。
 幼い子供の手を引いた老人が、「うちの孫、お腹を空かせているんです」と、目の前に立たれたら、あなたならどうしますか?
 普段の生活では、こういった経験はしない。戦中戦後の食糧不足の暮らしを経験した人も、今や少数派になりつつある。その時点で既に親の立場だった人となると、もうほとんどこの世にはいないだろう。
 昨今の避難生活では、他人に親切に分け与えた人々は、後になって後悔することが多いという。自分の家族の分がなくなって窮地に陥ってしまったのだろう。分けてほしいと言いに来た人に恨みを持つこともあるかもしれない。
 とはいえ親切にしなかったとしたら、その後も何度も思い出して自己嫌悪に陥るのではないだろうか。
 私自身は被災した経験はないが、備蓄に関して友人知人と話すことはよくある。他の人はどういった工夫や準備をしているのかを知って、何か見習うところがあれば学びたいと思うからだ。
 そういう話題を出すたびに、「うちだけは大丈夫」と思っている人が、予想外に多いことに驚く。これほどまでに頻繁にテレビなどでニュース映像が流れているにも拘わらず、自分には関係ない、他人事だと思う人が少なくないのだ。
 いつだったか、こう言われたことがあった。
「何かあったらあなたのうちに行くわ。うちは備蓄なんて全然してないから」
 そう言われたときは心底びっくりした。
 料理の匂いが漏れないようにしろと著者が言うのは、こういうことなのだろうか。誰しも普段は決して他人に冷たいわけではないだろう。だが政府や地方自治体から「備蓄しろ」と何度も言われているのに、それでもまだ備蓄しない人に対して親切にするのは抵抗があると思う人は多いのではないか。
 いつか自然災害に巻き込まれたとき、自分を犠牲にしてまで他人に親切にすべきかどうかと迷う場面に出くわすかもしれない。
 親切の限界の線引きは、平常時から決めておいた方が、いざというとき迷わないで済みそうだ。

 

(第26回へつづく)