バブル時代を経験した人に尋ねてみたい。
 ──今の若い人が羨むような豊かな生活を、あなたは経験しましたか?
 その時代を振り返るテレビ番組では、決まって深夜の銀座の映像が流れる。サラリーマンたちが高級クラブの帰りにタクシーを捕まえようとする場面だ。会社持ちのタクシーチケットが何枚でももらえるから、自宅が遠かったとしても自分の懐を痛めることなく乗り放題だ。周りも同じような酔客がたくさんいるから、なかなかタクシーが捕まらない。
 そして、六本木の高級ディスコで酔って踊り狂う若者たち、高級ブランドを買い漁る女たち……などなど、カネに糸目をつけないOLやビジネスマンや若者の行動が繰り返し流される。そういえばティラミスやイタめしが流行ったのもこの頃だった。
 だが、そのすべてが私には縁のないものだった。自分の身近にいた同世代の人々も、みんな節約に励んで地道に暮らしていたように思う。確かに毎年昇給があり、ボーナスもそれなりに出た。だが、それ以上に物価が高かった。
 コンビニも百円ショップもユニクロもしまむらもニトリもアカチャンホンポもなかったから、すべてが高額だった。そのうえ住宅ローンの金利は七パーセント前後もあり、そのあとずっと住宅ローンに苦しんだから、私にとっていい思い出はない。それどころか、その時代に恨みさえ抱きそうになる。何か一つくらい良かったことがあったんじゃないかと思い出そうとするが、思い浮かばないのだ。
 バブル時代が始まったきっかけは、一九八五年九月に先進五ヶ国(日米英独仏)がニューヨークのプラザホテルでドル高是正の合意をした「プラザ合意」と言われている。この合意によって、驚異的な円高が進行し、日本の地価と株価が高騰した。
 ウィキペディアによると、バブル時代とは、一九八六年十二月から一九九一年の二月までを言うらしい。ということは、私が二十七歳から三十一歳までの期間だ。バブルという言葉は、はじけたとわかってから誰かが命名したのだろう。
 バブルがはじけたあとも、ほとんどの人が数年は気づかなかったと思う。それどころか、不動産が更に高値になったら一生家が買えないと、みんな焦っていた。だから私も周りの人々も、焦って家を買った。だが、そのとき既にバブルははじけていたのだった。この頃のことは、拙著『ニュータウンは黄昏れて』に詳しく書いてあるので、一度読んでみてほしい。
 冒頭に書いた定番の映像ばかりが流れると、その時代を経験していない若い人たちは誤解して当然だ。ほんの一部の成功者や大企業に勤めるエリートたちの行動であったにもかかわらず、庶民も同じように浮かれた暮らしをしていたと思っている人が多いのではないか。
 日本中が好景気に沸いたとされるが、誰がその恩恵を受けたのかと不思議に思うほど、自分の知り合いには誰一人いなかったように思う。唯一の例外は、その時点で既に多額の預金を持っていた人々だろう。私の親世代は、銀行預金の利子だけで食べていける暮らしとなった。だがそれも、バブルがはじけた途端に終焉しゆうえんを迎えたのだが。
 私の世代から見たら、今の時代の方がよほど贅沢ぜいたくに思えてくる。日本のように、水道水を煮沸しないで飲める国は地球上でも少数なのだ。そんな有難い国に住んでいながら、みんなこぞってミネラルウォーターを買うようになった。
 バブル時代を羨むのは、賃金がなかなか上がらないからだろう。
 ずいぶん前の話になるが、欧米のエリート会社員の中には、何億円もの年収をもらっている人がザラにいると知って驚いたものだ。プロ野球の選手ならわかるが、サラリーマンでそんなにもらっている人がこの世にいるのかと。
 ──日本の企業はどんなに儲かっても従業員に還元しようとしない。
 本当かどうか、これは最近読んだニュースサイトに書かれていたことだ。
 日本が「失われた三十年」と言われるのは、企業が給料を上げないといった単純な要因も大きかったのではないかと思う。というのも、バブル時代でさえ賃金の上昇を抑えていたと思うからだ。
 賃金を低く抑える代わりに、社員旅行をそれまでの熱海から香港や台湾に変えた企業は多かった。私が経験したのは、ホテルでの豪華なバイキングの飲み会や、花見の会で課内全員に、一万円もする花見弁当が配られたことなどだ。そして新入社員には、「好きなスーツを買ってこい。十万円までは出す」といった大盤振舞いがあった。
 だがそのたびに、社員は陰で口を揃えて言ったものだ。
 ──そんなお金があるなら、現金で支給して欲しい。
 上司との旅行や飲み会が楽しいはずがない。楽しんでいたのは、一部のオジサン連中だけだった。それよりなにより、物価が高くて生活が楽ではなかったし、預金がなかなか溜まらず、将来が不安だった。
 会社の利益を福利厚生で使うのは税金対策だ。決して賃金には回さない。一度上げてしまったら下げることが難しいからだ。このセコイ体質は、どこから来るものなのだろうか。
 つらつらと書いてきたが、なんでこんなことを言いたいかというと、若い人の大半が誤解していると思うからだ。
 ──あんな浮かれた時代を楽しみやがって、それなのに俺たちは年金がもらえるかどうかもわからない。
 若者と老人の分断が進むのが恐ろしいと思う今日この頃だ。

 

(第10回へつづく)