十四人の参加で、そのうち十人が女性だった。
 十日間ものツアーに参加できるのは、きっと退職者ばかりだろうと思っていたら、意外にも年齢層は幅広かった。
 見たところ、三十代から七十代くらいにばらけている。最近の会社員は長期の休みが取りやすくなったのだろう。会社勤めの人も、ちらほらいた。
 世界遺産などを巡りながら、モロッコ人の男性ガイドが日本語で説明をしてくれる。そのことで、歴史や人々の暮らしについて、ガイドブックには書かれていない様々なことを学んだ。
 彼の父親には妻が三人もいるので、彼には兄弟姉妹が十人以上いるらしい。
 彼は常に穏やかで、にこやかなジェントルマンだった。街中で見かける男性は、どちらかと言うと痩せている人が多かったが、彼は大柄で太っていた。毎日洋服を替え、日によって民族衣装だったりダウンジャケットだったりするところを見ると、いい暮らしをしているのだろうと推察された。
 アラブ諸国では、今も男尊女卑の風潮が強い。モロッコでも、いまだに一夫多妻制が認められていて、そのうえ離婚を決める権利は夫側だけにある。離婚を言い渡された女性は、一家の恥として実家にも戻れず、かといって就職先もなく、自殺する人が多いという。
 私は十代から二十代にかけて、外国の人々の暮らしを綴った書物を好んで読んでいた時期があった。それもあって、アラブ諸国やインドの女性が置かれた立場については当時からある程度は知っていた。
 だが、それは昔の話であって、今では当然のごとく大きく改善されているのだろうと思っていた。しかしガイドの話によると、女性は相も変わらず家畜同様の扱いらしい。そんな現実を知って、とても残念な気持ちになった。
 一夫多妻制では、妻を平等に扱わなければならないことが法律で決まっている。これも以前からよく聞く話だ。
 仮に妻が三人いる場合、一人にだけ宝石をプレゼントするのは違法だ。他の二人にも全く同じものを贈らなければならない。そして、妻の部屋を訪ねる回数も同じくらいにしなければならず、毎晩同じ部屋に通うことはよくないとされている。
 若い頃にそれを知ったときは、妻たちが平等に扱われているのならば、私が思っていたより少しはマシな暮らしかもしれない、などと思っただけで、深くは考えなかった。
 それなのに今回は強い違和感を覚えた。一夫多妻の家庭の様子が一瞬にして思い浮かぶのは、私が歳を重ねたからかもしれない。
 複数の妻を持つ夫たちは、こう考えたのではないか。
 妻たちを平等に扱わなければ、妻同士が嫉妬にまみれて険悪な仲になり、醜い争いを繰り広げることになる。だから夫側が配慮して、ご親切にも平等に扱ってやっていると。
 そう言えば、日本の古典解釈にも「寵愛を受ける」という言葉が出てくる。
 その前提として、妻たちは夫を取り合っている、夫の愛を独り占めしたがっている、妻はみんな夫に愛されたがっている、という夫への熱烈な気持ちが必要だ。それがないと成り立たない構図である。
 だが、それは真実だろうか。
 私には、とてもじゃないがそうは思えなかった。それらすべてが男性視点の、男性に都合の良い、男性の自惚うぬぼれに過ぎないのではないか。
 そもそも恋愛結婚ではないのである。親同士が一方的に決めた縁組であり、そのうえ女性は十五歳前後で嫁がされ、自分が何人目かの妻となれば、相手の男性が既に中年、または初老の場合もある。
 好きでもない男性、女性をモノ扱いして見下す男性、父か祖父の年齢に近い男性を、十代半ばの女の子が好きになる確率は、たぶん相当低い。ゼロに近いといっても言い過ぎではないと思う。
 夫の愛を独り占めしたいどころか、できれば私の部屋には来ないで欲しい、なるべくなら関わり合いたくない、生活さえ保障してくれればいい、放っておいてほしい、などと考えても不思議ではない。
 妻が三人いれば三人ともがそれを願うこともあるだろう。夫の相手をするのはみんな嫌だから、だったら三分の一ずつ負担しましょうよ、我慢を分け合いましょうよ、などと話し合っていることもあり得るのではないか。
 同じ「平等」という言葉であっても、夫側と妻側とでは捉え方に大きな違いがあるのではないかと思った。
 もちろん、夫に取り入る女も少なくないだろう。複数の妻のうち一人でもあざとい女がいれば、自分の身の安全を考えて、したたかにならざるを得ないに違いない。そして夫から離婚を言い渡されないよう、夫を愛しているふりは常に必要だ。それらを見た夫は、「愛情があるからこそ俺を取り合っている」と自惚れるのだろうか。
 中高年の女なら、ましてや初老の女ならば、若い男性が自分を女として見ていないことは重々承知している。母親や祖母の世代に当たるから、それ相応に振舞う人が大半だろう。
 だが男性は違うようだ。「女は若くないとダメだが男は何歳になっても魅力がある」などと、都合の良い方に捉えている人もいるように思う。その異常なほどの自己肯定感の高さは、どこから芽生えるのだろうか。
 だが、以上のことは私の想像にすぎない。
 日本では働きさえすればなんとか食べていける。夫が妻の生殺与奪の権を握っているというほどの封建社会でもない。そんな日本に生まれ育った私の想像力には、きっと限界があるに違いない。
 アラブ女性の心の内側は、私の考えの及ばないところにあるのかもしれない。

 

(第15回へつづく)