暉峻淑子著『豊かさとは何か』を読んで気持ちがひどく落ち込んだのは、かれこれ三十年以上も前のことになるが、今でもときどきそのときの気持ちを思い出すことがある。
その本には、豊かでのんびりした西ドイツの暮らしが書かれていた。
ドイツは日本と同じ敗戦国となり、焼け野原になった。戦後すぐの頃は、国を復興させるために、日本人と同じように朝から晩まで働き詰めだったという。だが政府は早い時期に方針転換を打ち出し、人々はだんだんと時間に余裕のある暮らしを取り戻していった。
残業はないし、夏休みは一ヶ月以上も取れるし、家族で避暑に出かけたり、趣味に費やす時間がたっぷりある。社会保障が充実しているから老後の心配もない。医療費はもちろんのこと、学費は小中高のみならず大学まで無料だ。人々は自然を愛し、森を愛し、日常的に散歩や釣りを楽しんでいる。つまり、人生そのものを楽しんでいるというのだ。
その本を読んだとき、私は三十代だった。毎日が体力の限界を感じる多忙な日々だったので、西ドイツの生活と比べて何て私は惨めなんだろうと、ひどく気分が落ち込んでしまった。
その翌日会社に行って聞いてみると、同僚の女性も読んだと言うので、感想を聞いてみたところ、
──自分の生活と比べない方がいいよ。人生が嫌になっちゃうから。
彼女はそう言い、西ドイツの羨ましすぎる様子など本当は知りたくなかった、こんな本は読むべきじゃない、とでも言いたげだった。
この、どうしようもない虚しさを抑え込むためには、読んだことを忘れる以外に方法はないのかと、更に暗澹とした気持ちになった。
こういった類いの本を読むと、ふと立ち止まり、自分の来し方を振り返ってしまう。そして、日々の暮らしを総点検する。だが、どこか改善点はないかと探したところで、何ひとつ解決法も突破口も見つからない。中小企業に勤める人々の多くは残業代を生活費に組み込んでいて、なくてはならないものになっていたし、定時と同時にさっさと帰れる自由な空気はなかった。
終身雇用制度が徹底していた当時の日本では、一旦会社を辞めると、次の職場では給料が激減するか、それとも職が見つからないかのどちらかで、女性だけでなく男性も露頭に迷う恐れがあった。
厚待遇で転職できるのは、他社から引き抜かれたときだけで、凡人には関係のない話だ。それでも思いきってエイヤッと仕事を替えたいならば、一文無しになって野垂れ死にする覚悟がいる。
つまり、新卒で勤めた会社にどんなに嫌気が差しても、そこに縛られて生きていくしか選択肢のない時代が続いていた。
冒頭の著書によると、西ドイツの男性たちは、家の修繕はもちろんのこと、自家用車の修理もできるという。みんな自動車メーカーが出しているぶ厚い説明書をボロボロになるまで読み込んでいるらしい。
ああ、そうですか。
だから何だって言うんですか。
日本人なら男女ともに、すぐに修理に出しますよ。
時間も知識も広いガレージもありませんしね。
家の修繕にしたって、ドイツ人男性なら日曜大工程度のことではなく、電気系統や水道の修理までできるんでしょうね。日本にはあちこちに巨大なホームセンターがあって、電動ノコギリから洗面台そのものから水道の蛇口まで何でも売っていますけれどね、それを素人が活用できるかっていうと、日本人にはなかなか難しいんですよ。
知り合いの夫婦がテレビを買い替えたときのことだ。その夫は、「新品なのにどうやっても映らない」と腹を立て、電気屋さんを呼びつけた。すると、駆けつけた電気屋さんは笑いを噛み殺しながら言ったらしい。「差込み口が間違ってますよ」
たぶんドイツには、こんなお茶目な夫はいないのだろう。
そんな笑い話のような出来事から三十年も経ってしまったが、相変わらず日本人は生活に追われている。あの本を読んだとき、気分が落ち込んだとはいうものの、きっと近いうちに西ドイツのようになるに違いないと、心の奥底では期待していた。
それなのに、あれから三十年も経ったのに達成できないどころか、労働条件は年々ひどくなっている。
欧米人は休暇の過ごし方も日本人とはまったく異なると聞いた。彼らはバカンスで避暑地に行ったときも、一ヶ月もの間ずっと読書をしたり、何もしないでぼうっと過ごしたりするという。
日本人なら短い休みを目いっぱい利用して名所旧跡をせかせかと巡って疲れ果てる。そういった日本人の余裕のなさを日本人自らが卑下するような風潮が、私が中学生の頃から何十年も続いている。
だがここにきて、『豊かさとは何か』に書いてあった「のんびりした暮らし」は、本当に楽しいのだろうかと疑問を持つようになった。
今やたくさんの欧米人が日本に観光に押し寄せている。彼らにインタビューする動画を次々に見ていくと──
──予定は二週間です。今日は京都を見学して、明日から奈良と大阪に行きます。そのあと広島の原爆記念館に行って、嬬恋の中山道を散策して、温泉に浸かる猿を見てから飛騨の高山で合掌造りも見て、東京の原宿でクレープを食べて、新宿でゴジラの写真を撮って、最後に浅草でお土産を買って、合羽橋で庖丁を買います。
あれ?
のんびり読書するんじゃなかったの?
何もしないでぼうっと過ごすって聞いてましたけど?
びっくりするほど盛りだくさんじゃないですか。
もしも私なら、疲れ果てて数日は寝込んでしまうだろう。
彼らは綿密に計画を立てている。ネットを駆使して、どこの店でラーメンを食べるか、どの回転寿司店に入るかまで決めてから来日している。
だよねえ。
せっかく高い飛行機代を払って外国に行くんだから、時間とお金が許す限り、全部見てみたい、全部食べてみたい、全部経験してみたいと思って当然だよねえ。
ほとんどの人が節約旅行をしている。安宿に泊まり、コンビニの弁当やサンドイッチで食事を済ませる日を何日も組み込んでいる。
インタビュー動画の中には、ドイツ人もたくさん登場するが、彼らも同じように日本を忙しく観光して回っている。
これって、どういうこと?
だが、あの本に書いてあったことは嘘ではないだろう。時間的余裕のある暮らしで、森の散策や釣りをするというのも本当だろう。だが、その暮らしを楽しんでいるかどうかなんて、他人にはわからないのではないか。
彼らの労働時間は短いが、サービス業に従事する人も同様だから、平日でも夜は早い時間に店が閉まるし、土日はどこもやっていない。病院にしても救急以外は予約してから一ヶ月以上待たされると聞く。労働時間の短縮は、言い換えればサービスが著しく低下するということだ。
ドイツは娯楽が少ない国だと言われている。私のような貧乏性なら、きっと時間を持て余すだろう。森の散策や魚釣りは、たまになら楽しいが、娯楽がそれしかないとなると話は別だ。退屈でたまらず、私に限って言えば、精神状態が良好ではなくなるだろう。それを避けるために、私はきっと朝から晩まで仕事をするような気がする。
ドイツ人は質素倹約の精神が行き届いていると聞いた。確かに森の散策は無料だ。家計の面から、お金のかかる遊びができないといった事情もあるのではないか。
日本人は映画や音楽やアニメに漫画に多くの観光地やグルメやショッピングと、楽しめることがたくさんある。だから一生懸命働いて稼ぐのだ。
どちらの暮らしが良いかは、ひとそれぞれの好みによるだろう。
三十年経って初めて、外国を持ち上げ過ぎではないかと気づいたわけですが、私の考え、どうでしょうか。間違ってますでしょうか。