一週間の予定で友人と台湾に行った。
人生三度目の台湾だが、今回は初めて台湾の地理や歴史を真面目に事前学習していくことにした。これまでの経験から、この下準備があるかないかで、旅先で感じることが大きく左右されるからだ。
と、そんな自己満足に浸りながらスーツケースを広げて旅行の準備をしているとき、ふと思った。
──もしかしたら、何かの事故で死ぬかもよ。
新型コロナウイルスのせいで、数年ぶりの海外旅行だったこともあり、急に不安になってきた。
だから出発の数日前になって、いきなりエンディングノートを書き始めた。
最初は、保険や銀行口座などを淡々と書き出したのだが、書けば書くほど、言い残しておかねばならないことが思ったよりたくさんあることに気づいた。
葬式ひとつとっても難しい。最近は、「適当にやってくれればいい」だとか、「どこかに散骨してくれればいい」と言い残す人が多くなったと聞いている。子供たちに迷惑をかけたくないといった気遣いから出た言葉だろうが、たったそれだけの言葉では、後に残された者が迷惑だ。
例えば、「葬式は適当にやってくれればいい」と言われたって、どういうのが適当なのかがわからない。二十代や三十代の子供世代が、霊園や葬式や墓に詳しいとも思えない。六十代の私でさえ具体的なことは知らないのだ。
そして、「散骨してくれればいい」と、さも簡単そうに言われても、近所の道路や公園に撒くわけにはいかない。海に撒くなら船の予約をして、船着き場まで遠路はるばる重い骨壺を持っていかねばならないのだ。そのためには何日か会社を休まなければならないかもしれない。
──簡単なのでいいよ。
こういった、さも親切そうだが具体的でないものが、最も遺族に迷惑をかけるのではないか。
あれ? 待てよ。この台詞、どこかで聞いたことがあるぞ。
──今夜は簡単なものでいいよ。
妻の夕飯づくりの大変さを労わって、夫が優しく投げかける言葉ではなかったか。
──簡単にできる夕飯なんか、この世の中にないんだよっ。共働きなんだから、たまにはお前が作れっ。
最近の若い妻はそういってブチ切れると何かに書いてあった。それを読んだとき、私は嬉しくてたまらなくなった。
いいぞ、若い妻たちよ、もっと言ってやんな。
これからの若い世代の妻たちは、夫にも舅姑にも言いたいことを言って逞しく生きていってほしいと切に願う。私たちの世代のような、我慢、我慢の暮らしは自慢にもならないんだからね。
あ、脱線してしまった。
エンディングノートの話に戻るが、具体的に書いておかなければ何の意味もないのだ。
だから手始めに、「葬式不要」と書いてみた。どんな葬式がいいかを調べるのも面倒だったし、興味もない。「不要」とひとこと書いておけば、わかりやすいし簡単だ。
葬式のことや墓を指定するのなら、場所だけでなく、およその予算も調べて書いておく方がいい。若い人は忙しいのだから、こちらでできることは最大限やっておくほうがいいと思うからだ。
遺産相続をするときは、故人が生まれてから死ぬまでの戸籍謄本を揃えなければならないと知ったときは驚いた。ずっと同じ土地の同じ番地の家屋で暮らしてきたならいいが、地方から上京してきた場合などは、地方の役所から取り寄せなければならない。ご存じのように、住民票の番地と戸籍の番地は微妙に異なっている場合が多いから照会するのも難しい。
つい最近、大学時代の友人から聞いたのだが、親の家を相続するにあたり、昭和一桁生まれの父親の戸籍謄本を鳥取から取り寄せ、母親のは和歌山から取り寄せたという。どちらの役場もコンピューター化されておらず、紙の謄本しかなかった。それらのコピーを取り寄せるだけのことで、嫌になるほど何度も役場とやり取りをし、何日もかかったという。そのうえ自宅に届いてみれば、変色していて読みづらい代物だったらしい。
それを聞いていたから、私は自分の戸籍の変遷も記しておいた。今まで数えきれないほど引っ越しをしたが、戸籍の移動は少ないので楽だ。
そして借金だ。私に借金はない。今後も借金はしないと思う。だが先のことはわからないのが人生だから、死ぬときに多額の借金を抱えているなどということが万に一つもないとは言えない(いや、やっぱりないと思うけど)。それに、誰かの借金の保証人になっているかもしれないのだ(いや、それも絶対にないと思うけど)。
そんな場合は、私が死んで三ヶ月以内に相続放棄の手続きを取らないと、子供たちは私の借金をかぶってしまう。その手続きをするときも戸籍の変遷が必要となるから重要だ。
そして、銀行口座を整理した。何年も使っていない口座を解約したのだ。昨今は、解約するのも予約が必要になった。ネット上で予約を入れようとしたら、、ずっと先の日付まで埋まっていて、その不便さに驚いた。人手不足は銀行にも及んでいるらしい。ネット上で簡単に解約できる場合もあるが、その条件に当てはまらない場合がほとんどだ。このとき、何でも早めにやっておいた方がいいと、改めて思った。
それと、ネットショッピングなどのパスワードも忘れずに書いておかねば。
エンディングノートに書けば書くほど、伝えなければならないことや、やっておかねばらないことの多さに気づく。頭がしっかりしているうちにやってしまわねばと焦る。そうしないと、自分の死後、遺族に煩雑な手続きを残してしまう。
こういった話をしようとすると、「あなたはまだ若いじゃないの。早すぎるわよ」と怒ったように言い、その話題を避ける八十代の女性が少なくない。
生前に何を準備しておくべきかを、人生の先輩にぜひ尋ねたいと思っているので、とても残念に思う。「あなたはまだ若い」と言われたって、そもそも人間はきっちり年齢順に死ぬわけではないのだ。
なぜそれほどの強い拒否感があるのだろうか。それを知りたいと思っているが、聞きづらい雰囲気があって聞けないでいる。そして、私の近しい親族には、そういった考えの高齢者がおらず、みんなさばさばと何でも話してくれるので、拒否するタイプの人の気持ちは知りようもない。
いつか自分も八十代になったときに、再度考えてみようと思う。
八十歳なんて、きっとすぐに来る。
だって一年がこれほどあっという間なのだから。