最近何かと言うと、「二〇二五年問題」と言われるようになった。
 団塊の世代の人々が後期高齢者になるのだそうだ。それによって、「高齢化社会」から「超高齢化社会」に突入するらしい。
 少子化によって今後もどんどん人口が減少していくから、老人の年金や医療費を支えられなくなり、日本経済が大変なことになるとマスコミは騒ぎ立てている。
 かと思えば、価格高騰中の住宅問題に関しては、案ずることなかれと言う。団塊の世代が次々に死んでいけば空き家がたくさん出る。そうなれば住宅価格が下がるはず、というものだ。報道によっては、超都心の便利な一等地が庶民価格となり、簡単に手に入るかのように錯覚させるものもあるから罪深い。
 こういった報道が多いことで、まるで団塊の世代の人々が死ぬのを今か今かと国民全員が待っているかのような印象を受ける。
 たぶんマスコミ関係の会社からも、既に団塊の世代の人々が退職しているからだろう。刃を向けても構わないといった冷たい姿勢を感じてしまう。
 長く生きてきて様々な経験を積んでいる人々に対し、リスペクトなどじんも感じられず、金食い虫の邪魔者扱いだ。今から十年後には、私の世代がターゲットになるのではないかと思うとそら恐ろしくなる。
 団塊の世代というのは、昭和二十二年(一九四七年)から昭和二十四年(一九四九年)に生まれた人々を指す言葉だ。二〇二五年になると、彼ら全員が七十五歳以上になる。
 私は昭和三十四年(一九五九年)生まれで、第一次ベビーブームの団塊世代と、第二次ベビーブームの団塊ジュニア世代に挟まれた世代だ。第三次ベビーブームは、なぜか起こらなかった。
 私の世代は、団塊の世代の人々のお陰で助かった部分がたくさんあるように思う。団塊の世代の人々は、親の介護問題や、荒れる学校や、イジメ問題や、子供の不登校や自殺、大企業の大規模なリストラや倒産など、それまで誰も経験しなかったたくさんの社会問題に直面してきた。
 それらをテレビなどで見て知った私の世代は、教えられることがたくさんあった。
 団塊の世代の彼らは、「我が子が学校に行かなくなるなんて思いもしなかった」と落胆して慌てふためき悩んだ。そして、無理やり登校させようとした。都市部では、夫は猛烈サラリーマンで妻は専業主婦といった世帯が多かった。だから子育ては全て妻の責任であるとして、「お前の育て方が悪かったんだ」と、妻をなじる夫も少なくなかった。
 そういったことは、テレビのドキュメンタリーやニュースなどを通じて知ったことだ。そういった現状を見聞きして、私たちの世代は考えが変わったように思う。
 息子が中学に進学する前に、私は息子に言いきかせたことがある。
 ──絶対に友だちをイジメたらダメよ。
 ──もしもイジメられたら、学校なんて行かなくていいんだからね。
 私の世代は既に、学校は無理していくものではないと思うようになっていた。それもこれも団塊の世代の人々が苦悩しているのを見て学んだことだった。
 その他にも、介護離職による生活苦や、年金が目減りしていくことや、実家を空き家として放置せざるを得ない現実を、彼らは先んじて経験してくれている。
 それにより国も動いている。少しずつ介護サービスが充実してきたし、空き家問題にしても、国の買い取り制度などが始まった。
 そして、団塊の世代よりも更に上の人々からも、私は日々たくさんのことを学んでいる。
 私の周りの高齢女性を見ていると、八十代前半くらいまでは経済的に豊かで、贅沢ぜいたくな暮らしをしている人が多い。だが八十代後半になったあたりから節約する人が増え始める。
 夫が亡くなり、遺族年金だけに頼る生活になったこともあるだろうが、観察していると、精神的なことも大きいように見受けられる。
 りんしよくは老化現象であると、何かで読んだ。先行き不安になると、お金だけが頼りとなるから、預金がたくさんあるにもかかわらずケチケチしてしまうというものだ。そのことが「もったいない」、「いつか使えるかも」の考えを引き起こしてゴミ屋敷となってしまう人もいる。
 人生百年時代と言われるようになった。
 六十歳で定年を迎えたとしても、まだ四十年もある。大卒者が六十歳で定年を迎えるまでは三十八年間だ。それと同じくらい老後の人生は長い。
 ──私はね、ピンピンコロリで逝きたいのよ。
 そういった言葉も最近は聞かなくなった。
 それを言っていた人の多くは、趣味やスポーツを楽しんでいて、老齢というには早い、まだ活力の残る年齢の女性たちだった。
 だが更に年齢を重ねるにつれて、体力ががくんと落ち、理想の死に方を願っても、そうは問屋が卸さないことがわかってくる。脳溢血や心臓発作で死ぬ場合を除いては、そう簡単にコロリと逝けないことが世間にも知れ渡ってきた。
 ここのところ私は忙しい日々を送っている。私の計算違いで、三つも同時に連載することになってしまったからだ。
 疲れたときふっと思う。私の年齢では既に仕事を辞めた人もたくさんいるのに、私はいつまで働くのだろうと。
 だがここにきて、親の世代を見回して、人生百年時代を現実のものとして捉えるようになった。
 そして、仕事はできる限り長く続けた方がいいと思うようになった。経済的なことよりも、うつを発症しないためである。
 だが、そのうち執筆依頼が途絶えることも想定しておかなければならない。そうなったら別の道を探ろうと思っている。今思いつくのは、在宅でできる記事作成の単発の仕事や、調理の仕事などである。
 ひと昔前とは違い、人手不足が高齢者の味方してくれるだろうと期待している。

 

(第23回へつづく)