昨年末、封切られたばかりの映画『僕が宇宙に行った理由』を観に行った。
 ZOZOタウン元社長の前澤友作氏が宇宙旅行をしたときのドキュメンタリーだ。
 特に興味があったわけではなかった。その時期はとにもかくにも映画館という場所に身を置きたい衝動にかられただけで、どんな映画でもかまわなかった。
 昨今の映画館は抜群に居心地がいい。赤い絨毯じゆうたんが敷き詰められた高級感溢れるロビーは一流ホテルと見まがうほどで、そこを歩くだけでも贅沢ぜいたくな気分に浸れる。
 私の学生時代と比べると、隔世の感がある。あの頃の映画館は、若い女が一人で行くには危険を感じるほど汚かったし、そのうえ前列に座った人の頭が邪魔でスクリーンが三分の一ほど隠れてしまうこともザラだった。
 昨今は階段様式の座席の傾斜角度が大きくなり、どの席に座っても前方が大きく開けていて視界を邪魔しないから快適だ。椅子も大きくてクッションも良く、横幅もあるから隣席の人の気配が気にならない。
 私はロビーにソファがたくさん置いてある映画館がお気に入りで、その日も早めに行ってゆったり寛いだ。
 どんな映画でもかまわないと思って足を運んだはずだったが、予想に反して『僕が宇宙に行った理由』は、心の中に強いインパクトを残した。
 いつもなら映画が終わってエンドロールが流れ始めた途端、立ち上がって出口に向かう人が数人はいるものだが、今回は一人もいなかった。それどころか、スクリーンが暗くなって天井の明かりが点いても、なかなか立ち上がろうとしない人が大勢いた。
 みんな何を感じて立ち上がれなくなっているのかと考えた。
 そういう私も座ったままで、自分がなぜ立ち上がろうとしないのかがわからなかった。
 淡々としたドキュメンタリーで、観客を感動させてやろうというような小手先の演出はなかったし、メッセージ性も感じられなかった。
 ただ単に、前澤氏がZOZOタウン時代からの仲間と宇宙旅行に応募し、そのための訓練風景を映したものだった。そしていよいよロケットの発射となり、民間人初となる国際宇宙ステーションでの滞在の風景があり、そのあと地球へ帰還するまでをカメラに収めたものに過ぎないのだ。
 とはいえ、驚いたことはいくつかあった。
 細かなことだが、ZOZOタウン時代の仲間の多くが十代の頃からの友人であり、そのせいか社長だった前澤氏に敬語を使う人は一人もいなかった。それどころか、前澤氏のことをみんな「お前」と呼んでいた。友人と言うよりも「ダチ」といった方がよさそうな高校時代のままのノリだった。
 もうひとつは、ロシアやカザフスタンでの訓練生活が過酷だったことだ。民間人の宇宙旅行であっても、プロの宇宙飛行士と同じスキルを身につけなければ宇宙には行けないことを初めて知った。
 それまでの前澤氏は極端な運動不足で、ジム通いどころか、あまり歩かない生活を送っていたらしく、ロシア人指導者に「筋肉ゼロ」と笑われていた。ウォーキングから始めたから、そりゃあ大変だったろうと思う。
 最後に少しだけメッセージらしきものはあったことはあった。
「宇宙船から見た地球は青く美しく国境などなかった。俺は平和を願っている」というようなことを前澤氏は語った。
 実感がこもってはいたが、宇宙飛行士はみんな似たようなことを言うから心に響かなかったし、平凡だなと思った。
 辛辣なことを言うようだが、いっときの興奮状態から醒めたときに聞いてみたい。だったら平和のために、あなたは具体的に何ができるんですかと。海外旅行に出かけるたびに「人生が変わった。君も行った方がいいよ」と友人知人に言って回る人と大差ないのではないか。
 だから、観客がいつまでも帰ろうとしないのは、そのメッセージに感動したからではないと思う。
 前澤友作という億万長者は、少年のときから時が止まっている人間だった。言い換えると、子供の頃の気持ちをオッサンになっても持ち続けている純な大人とも言えるし、悪く言えば世間知らずでいまだ成長しない子供っぽい人とも言える。そして、誰の顔色をも窺わない真っ直ぐな姿勢が潔いとも。
 そして、彼は言った。
 ──僕はやりたいことしかしない。やりたくないことはやらない。
 ええっ、そんなこと言われましても、そうはできないのが庶民の現実の暮らしなんでございますよ。
 彼の言葉で、「よし、俺も明日から頑張るぞ」と発奮した人も、もしかしたらいたかもしれないが、深く傷ついた人の方が多かったのではないか。だから映画が終わっても立ち上がれなかったのだ。
 大人になれない子供っぽい人はこの世にごまんといる。だが、そんな人間で億万長者になれた人間は少ない。
 ──お前、そんなつまらない人生でいいのか? 
 ──人生は一回きりなんだぞ。挑戦せずに死ぬのか?
 ──俺は常に素晴らしい仲間に囲まれている。お前はどうなんだ。命を預けてもいいほどの親友が、お前にはいるのか?
 彼の生きざまが、言外にそう投げかけている。
 自宅に帰ってからも彼のことが気になり、ウィキペディアを検索してみた。それによると、子供が三人もいるらしい。芸能人と交際して破局したことは知っていたが、結婚したとは報道されていなかったので、知らない間にいったい誰と結婚したのだろうと辿っていくと……。
 芸能人の彼女の前の事実婚であった二人の女性との間には、合計三人の子供がいて、全員を認知しているが、現在も誰とも結婚はしていないという。
 女性に我が子を育ててもらって、彼はパパと呼ばれている。お見受けしたところ、前澤氏は穏やかな性格で、少し気弱な感じのする優しい人だと思うから、きっと良いパパなのだろうと思う。なんせ子供の心を持っているのだから、子供たちとも仲良くなれるだろう。
 それに何といっても金銭的余裕が半端じゃない。二千億円の資産を持っているという。
 彼は自由に生きている。億万長者になれたからではなく、仮に貧乏でも自由に生きているような気がする。
 僕はやりたいことしかやらないと言いきる彼に比べて……。
 ──私の人生って何だったんだろう。
 ──俺って何のために生きてんだ?
 みんなそう思って動けなくなってしまったのではないか。
 だが、そんなショックも数日すれば消え去り、食べるために働く生活に忙殺される。いつものことだ。

 

(第19回へつづく)