『ドラゴンボール』の著者である鳥山明氏や、大リーガーの大谷翔平選手を悪く言ったりしたら、世界中を敵に回すことになるのはわかっている。
 だけど、どうしても私は言いたいのだ。
 つい先日、鳥山明氏が六十八歳で亡くなった。その追悼番組として、彼が二十代のときに出演した『徹子の部屋』が再放送された。
 結婚して一年か二年ほど経ったときの映像だった。まだ「新婚さん」の範疇はんちゆうとも言える時期だ。
 この再放送を見て、彼の妻も漫画家であったことを、私は初めて知った。妻の写真がアップになったが、『Dr.スランプ』の「アラレちゃん」に似た雰囲気の女性だった。
 うろ覚えだが、黒柳徹子氏とのやり取りは、次のようなものだった。
 ──あら、奥さんも漫画家でいらっしゃるのね。
 ──いえ、もう辞めました。
 ──まあ、どうして?
 ──だって家事が苦手ですごく時間かかっちゃうんですよ。だから彼女に仕事をする時間なんてないんですよ。
 そう答えた鳥山明氏の顔は苦々しそうに歪み、アツアツの「新婚さん」といった雰囲気は既に欠片かけらもなかった。
 私は大変なショックを受けた。録画しておいた番組だったので、思わず停止ボタンを押して、考え込んでしまった。
 よその夫婦のことであっても気分が沈んだ。
 家事は妻がするもので、僕は一切関係ありません。女のくせに家事にあんなに時間がかかるなんて、ほんと忌々しい。どういった躾を受けてきたんでしょう。言外にそう言っているように見てとれた。
 ──彼だけじゃありませんよ。そういう時代だったでしょう?
 ──夫が会社員で妻が専業主婦といった世帯が大多数だったでしょう?
 確かにそうだったかもしれません。でも、鳥山氏は大正生まれや戦前生まれではないのです。私と同じ昭和三十年代の生まれなんですよ。
 ──亭主が巨額なカネを稼いでんだから、女房が働く必要ねえだろ。
 そんな声も聞こえてきそうだ。確かに家計だけを見ればそうかもしれない。
 人生はお金だけじゃないなどと、きれいごとを言うつもりもない。それどころか、愛なんかなくてもお金さえあれば生きていけると私はいつも思っている。
 だが、しかし……。
 次の例は大谷翔平選手です。
 これもうろ覚えだが、インタビューの場面は次のようなものだった。
 ──奥さんの手料理で何がいちばん美味しかったですか?
 ──ドライカレーです。彼女はもっと難しい料理を言ってほしいんだろうけど。
 昭和時代かよ。
 マスコミの質問内容は昔から何ら変わっていない。
 確かに大谷選手は大スターだ。だから妻はお世話係であって、妻自身にも人生があるという視点が完全に抜けている。
 巨額な契約金をもらう大金持ちと結婚したら、それは女として大成功であると考えている。そして、それに見合う女かどうかを見極めようとする。その評価基準は、料理などの家事の出来不出来と外見の美醜だ。つまり、商品の品定めに似ている。性格も良さそうだし背も高くて顔もかわいいし、しゃしゃり出るような生意気な面もなさそうだから、これなら許容してやってもいいぞ、と。
 ──あなたの職業は、「大谷翔平の妻」ですか?
 顰蹙ひんしゆくを買うのを覚悟で私はそう聞いてみたい。
 世間の人は私の考えがおかしいと言うだろうか。
 ──本人がそれでいいのなら、他人がとやかくいうことじゃないだろ。
 はい、それはその通りです。
 ──単なる貧乏人のやっかみだろ。
 はい、その通りかもしれません。小説家は、世間の人が思っているほど儲かりません。頻繁に大ヒットを飛ばすほんの一握りの人は別として。
 だけど、こんな記者会見は子供たちに間違ったメッセージを送るのだ。
 ──大金持ちと結婚できたら女の人生大成功!
 ──女にとって結婚は人生のゴール!
 このように、令和の世の中になっても、依然として古い感覚のマスコミが日本を牛耳っている。このままいくと、日本はさらに遅れを取り、「失われた三十年」が、「取り戻せない百年」になるのではないかと思う。
 最近の情報番組では、大谷選手の妻が試合を応援する様子や、膝に犬のデコピンを載せている様子がほのぼのとした言葉で何度も伝えられる。
 こういう生活を、「人も羨む幸福」、「絵にかいたような幸福」として映し出す。
 だが、私ども年のイッた女は、この生活が本当に面白いんだろうかと不思議に思うのだ。世間から「添え物」として扱われて屈辱的じゃないんだろうか。自分自身の人生の軸はどこにあるのかと老婆心が顔を出してしまう。
 ダルビッシュ選手が前妻と離婚した原因は、妻が出産後も芸能界に復帰して働こうとしたからだと報じられた。有名なプロ野球選手であるダルビッシュを支える妻として「内助の功」を発揮することに専念するべきであるのに、自分自身の仕事を優先するのかと、世間は批判的な目で見た。
 こういうとき不思議に思うのは、テレビ局や出版社には、エライ女はいないのだろうかということだ。
 一方的な「妻は添え物」的な報道ではなく、妻自身の仕事のことや、もしくは心の葛藤でもいい。何かもっと違う角度から伝えましょうよと、上層部のエライ女は、自分より更にエライ男に進言しないのだろうか。
 過去を遡れば、原監督が現役時代にバツイチの年上女性と結婚したときの報道量は少なかった。
 ──よりによって、どうしてバツイチの年上女なんかと?
 ──あれほど有名な選手で、そのうえ女性ファンが多いから、もっと上等な(つまり若い美人で夫に尽くす感じの)女をいくらでも捕まえられるだろうに。
 そんな古い考えのマスコミの姿勢が透けて見えるようだった。
 その数年後に柔道のオリンピック選手であった山下泰裕が結婚したときは、マスコミはこぞって祝福の報道をした。彼の大ファンだった女性が「結婚してほしい」と書いたファンレターを、写真付きの履歴書添付で出したのが出会いのきっかけだった。女性は若くて美人で資産家のお嬢さんでと申し分ないから、これは羨ましいとマスコミ諸氏は感じたのだろう。
 そして最近では、俳優・蒼井優と結婚した芸人の山里亮太と結婚したときの異様なほどの祝福ムードも、私たち女には理解できないものだった。
 芸人が美人女優と結婚した、ということが、それほど喝采を浴びることなのだろうか。
 私が思うに、マスコミ諸氏は、世間一般の人々より一歩も二歩も時代から遅れているように思うのだ。だって私の親族や友人知人の中には、日本のマスコミ諸氏ほど家父長的な考え方の男性など一人もいないからだ。
 本来は先陣を切って伝えていかなければならないマスコミが、古い考えで凝り固まっているのだ。これは不思議な現象としか言いようがない。
 それとも、もしかして私の方が変人ですか?
 なんでそう思うのかと言うと、私と同じ疑問を持つ人が、テレビの中だけでなくネットの世界にも見当たらないからだ。
 こういうときはドイツが目指す教育方針を思い出すことにしている。
 ──たった一人でも反対できる人間を育てる。
 ですからね、私一人でも言い続けますよ、はい。

 

(第18回へつづく)