デパートに行くと、「母の日商戦」で賑わっていた。
 入口近くのワゴンの中に、日傘がきれいに並べられている。それらを三十歳前後と見える男女が次々に手に取って吟味していた。
「うちのお母さんは、たぶんこういう色が好きだと思う」と、男性がひとつを手に取った。
「どれ? 見せて」と言いながら女性は真っ先に値札を確かめ、「ふうん、なるほどね」と言うが、表情が暗い。
「ダメ? 趣味悪い?」と、男性が女性の顔を覗き込むようにして尋ねる。
「そうじゃなくて……私もこんな素敵なのが欲しいと思っただけ」
「だったら自分のも買えば?」と、男性が軽いノリで言う。
「無理だってば。そんなお金ないもん」
 その会話を聞いた途端、私は息を止めていた。自分の若かりし日の情景をまざまざと思い出したからだ。自分にも、これとそっくりの場面があった。
 この若夫婦は妻が家計を管理しているのだろう。その場合、八千円もする日傘を双方の母親に二本買うだけでも家計が苦しくなるのに、自分用に買うなんて絶対に無理だ。そんな家計の事情が、夫にはぴんと来ていないのだろう。
 私が二十代の頃は、夫婦ともに正社員であっても薄給で、双方の両親のために、母の日と父の日の四人分ものプレゼントを買うのは経済的にもかなりの負担だった。
 一九八〇年代初め頃の初任給の全国平均は十二万円前後だったと記憶しているが、今思えば給料に比して物価は高かった。結婚した当初は高円寺の2DKのアパートに住んでいて、家賃は七万円だった。不動産屋を巡り、駅近で安い物件をやっと見つけたのですぐに契約した。
 実家の母に電話で報告したとき、母は七万を七間と聞き違え、「結構広いね」と言ったのを覚えている。あの時代の田舎での金銭感覚では、月に七万円というのがありえないほどの高額だったからかもしれない。
 その当時、母の日や父の日のプレゼントについて、既婚の友人に尋ねてみたことがあった。すると彼女は、それ以外にも双方の両親の誕生日にもプレゼントを贈っていると答えたので驚いた。
 二十代半ばだったから、両親四人もまだ五十歳前後の若さだ。となると、年に八回ものプレゼントを今後何年も、いや何十年も、もしかして半世紀に亘って続けていかなければならないことになる。そのうえ、五十代といえば、サラリーマン人生の中で最も高給取りの年代なのだ。
 若夫婦にとって経済的な負担もさることながら、何を贈ろうかと悩み、店に足を運んでは店内をウロウロし、予算内で済ませるように頭を使う。そんなことが年に八回もあるってことだ。想像しただけで、他人事ながら深い溜め息が出た。
 身勝手な話だが、母の日や父の日が近づいたときに限っては、親が貧乏だったらどんなに良かっただろう、などと考えたものだ。もしもそうであれば、少ない予算内で十分満足のいくプレゼントを無限に思いつくことができた。
 父の日には日本酒の一升瓶、母の日にはタオルハンカチに大福を添える。または米五キロにカーネーションを一本つける。果物であれば、きれいに並べられた贈答品用ではなくて、段ボール箱に無造作に入ったワケあり品にする。じゃがいもと玉ねぎのセットでもいい。
 貧乏ならきっと実用品を喜んでもらえる。トイレットペーパーやティッシュ一年分でも構わない。「助かるよ」と言う嬉しそうな親の笑顔を見たら、心から嬉しくなるだろう。それらの所帯じみた品物は、プレゼントとは呼び難いが確実に役に立ち、決して無駄にならない。
 だが現実は、自分たち若夫婦よりも親世代の方が裕福で、実家の母も姑も日傘なんか何本も持っている。さらに洋服やバッグとなると高価すぎるうえに、もらったところで好みではない確率が高い。
 気に入るかどうかもわからない、使うかどうかもわからない、すぐに箪笥の肥やしになったなら、お金をドブに捨てることになるのだ。それがわかっていながらプレゼントを買うのは苦痛だった。その金額分きっちり役立ったと思えることが、倹約家の私の心の平穏には必要だった。
 時間ももったいなかった。目が回る忙しさの中でプレゼント選びに煩わされるくらいなら、貴重な休日は昼寝して疲れた身体を休めたかった。今と違ってインターネットのない時代だったから、実際に店に足を運んで選ばなければならなかった。
 それはつまり、感謝の気持ちを表す行事ではなくて、義務感からのプレゼントだった。何かしら贈ったという既成事実を作るためだけだった。
 私は悩んだ挙句、結婚後三年も経たないうちから、私の独断で母の日と父の日のプレゼントを一切辞めた。それ以降、商業ベースの煽り文句に乗せられて割高な品物を買うことはなくなった。親の家を訪問するときに、近所で見つけた果物や美味しそうな和菓子や、切り花などを持参するので十分だと自分で勝手に決めた。
 私なりのこだわりがひとつだけある。それは、美味しいかどうかわからない食品は絶対に贈らないことだ。過去に食べたことがあるか、または評判がすこぶるいいものに限る。
 私の息子は結婚して初めての母の日に、デパートの包装紙の高価なクッキーを持参した。きっと息子の妻の気遣いだろう。そのとき私は、過去の自分を思い出し、「今回が最初で最後でいいからね」と言った。
 若い人は忙しいのだ。だが、なぜかその後も毎年贈ってくるので、もう一度LINEで「なぜ不要か」を詳しく伝えたのだが、今年もまた贈ってきたので、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 だがその一方で、誰からのプレゼントが最も嬉しいかと問われれば、やはり子供から贈られたものだ。錯覚だとわかりつつ、それまでの人生を肯定されたような気になり、慰められる。
 そして、お土産のこと──。
 先日、台湾に行った。新型コロナウイルスの流行で行けなかったので、三年ぶりの海外だった。
 旅行をした際、お土産を買うのが楽しいと思うときは買うが、負担に思うときは買わないと決めている。だけど友人たちは、土産を買わずに済ませるために、旅行すること自体を周囲に秘密にしてきたと言うのだ。
 あなたはどうなのよと聞かれたので、
 ──周りのみんなに台湾に行くって言ってきたよ。だけど、お土産は買わないよ。
 そう答えると、みんな口には出さないが、非常識な人間を見るような目で私を見た気がしたが、考えすぎだろうか。
 お土産を買わなきゃという義務感が旅の楽しさを半減させることがある。だって、「予算内で良い品」など、そうそう都合よく見つからない。良い品かどうかも本当のところはわからない。そのうえ重いし、キャリーバッグも膨らんでしまう。
 そもそもプレゼントというのは、無理してまであげるものではない。
 もらう側にしたって、相手のことを思う気持ちが強ければ強いほど、「もらうと嬉しいけど、無理をさせてしまったんじゃないか」と考えてしまって、つらくなるときがある。
 この考えすぎの性格、何とかならないだろうか。
 きっと死ぬまで治らないのだろうけど。

 

(第5回へつづく)