ホテルのフロントで部屋のキーを渡されたのだが、キーに書かれている部屋番号が読めなかった。
 こういうことは、外国に行くとよくあることだ。活字のアラビア数字は世界共通だが、手書きになると、国によって少しずつ形が違う。
 通りかかったポーターにキーを見せて、この数字は何と読むのかと尋ねた。すると彼は何を思ったか、「OK」と言って大きく頷き、すぐさま私のキーとスーツケースを奪うようにつかみ取り、ずんずん廊下を歩いていってしまった。
 一瞬呆気に取られたが、荷物を奪われたままなので私は必死で追いかけた。彼は部屋の前まで来ると、私から奪ったキーでドアを開けてスーツケースとともに部屋の中に入っていった。
 私が追いつくと彼は廊下へ出たが、去らずにその場に佇んだまま私をじっと見ていた。その目つきからチップを要求していることはわかったが、日本円からモロッコ通貨のディルハムに両替したばかりで大きなお札しかなかった。私が「サンキュー」とだけ言ってドアを閉めようとすると、彼はムッとしたような顔で私を見た。
 言い訳させてもらうと、私は荷物を部屋まで運んでほしいなどとは一言も言っていない。キーに書かれた数字は何と読むのかと尋ねただけだ。
 その一件で、チップ文化が人間の精神に及ぼす影響について考え込んでしまった。
 基本給が安いため、チップなしでは生活が成り立たない国はたくさんある。欧米諸国だって同じだ。
 仮にこれが日本だったとすると、こういった行動は「親切」以外の何ものでもない。
 ──運んでくださって、ありがとうございました。
 ──いえいえ、こんなのたいしたことじゃありません。
 そう言って気持ちよく終わる場面だ。
 まさか、ここで百円玉を何枚かポケットから出して相手に渡すなんて考えられない。相手はきっと気分を害するだろう。
 チップを目的とする小さな仕事は、前もって対価がわからない。荷物を運んだら〇ドル、部屋を掃除したら〇ドルなどと、決まっているわけではない。
 客に気前よくチップを弾んでもらうためには愛想笑いだって必要だろう。たくさん客がいた場合、どの客が金持ちそうか、どの客が最も気前が良さそうかと、遠目で一瞬にして値踏みしなければならない。
 その要素として、身なりや立ち居振る舞い、先進国から来たのか、それとも途上国か、白人なのか黒人なのかアラブ人なのかアジア人なのか……様々な要素を判断材料にするのだろう。
 他人を値踏みしたり、媚びへつらったりする日々は、性格を卑屈にすると思うのだが、これもまた日本人の私の想像力の限界なのだろうか。お前は何もわかっていないと、アラブ人に叱責されるかもしれない。
 数字の読み方を尋ねただけなのに、ドアを開けたりスーツケースを運んだりする。そういった行為は、この国では積極的で働き者だと、高く評価されるのだろうか。
 だが私にとってはすべてが迷惑な行為だった。
 ドアの鍵は自分で開けたかったのだ。というのも、カードキーなどという最新式のものではなく、鍵を鍵穴に挿し込んで回す形式のものなのだが、日本のシリンダー錠のように精巧に作られていないために、開錠するだけのことに四苦八苦して五分以上も格闘するホテルが多かった。だから、少しでも早くこのホテルのドアに慣れておきたかったのだ。
 そのうえ勝手に部屋にスーツケースを運び込まれたから、大男のアラブ人と部屋に二人だけになった。それはほんの一瞬のことだったが、それでも怖かった。外国では常に心は警戒心でいっぱいだから、ひとつひとつの行為に疑心暗鬼になって、それだけで疲れてしまう。
 街を歩けば、写真を撮っただけで金銭を要求してくる人々がいた。派手な赤い民族衣装を着た水売りの男性や、蛇使いや猿回しの痩せこけた老人たちだ。
 ──写真を撮ってはいけません。目も合わせないようにしてください。
 モロッコ人ガイドが何度も注意を促したので、遠目にちらちらと観察するしかなかった。
 蛇使いや猿回しは確かに「見世物」であるから、そこが公共の路上であっても、無料で見るのは許されないだろう。彼らだって稼がないと生活できないからだ。
 だが、年々その数は減っているというから、観光客を呼び寄せるためには、蛇使いたちもそのうち公務員となるのではないかと考えたりもした。
 その翌日は、夜明け前の暗い時間にホテルを出た。サハラ砂漠に昇る朝陽を見るツアーに参加するためだ。
 ラクダに乗るのは初めての経験だった。ラクダ四頭につき一人のベルベル人が先導して付き添い、真っ暗闇の砂漠の中を行進していく。
 彼らは、撮影ポイントとなりそうな場所に来るとラクダの歩みを止め、観光客から渡されたカメラや携帯電話で写真を撮ってくれる。
 ──熱心にサービスしてくれるベルベル人には、チップを多めに渡してあげてくださいね。
 ラクダに乗る前に、日本人の添乗員がそう言っていたのを思い出した。
 私なら、チップ習慣のない国で暮らす方が精神的に楽だと思った。対価が払われるかどうかもわからないのに、必要以上のサービスをするのはつらい。いっそのこと無償のボランティアの方が気が楽だと思ってしまう。
 そのあとホテルに戻って朝食を済ませてから、貸し切りバスで次の都市へ向かった。
 街全体が見下ろせる見晴らしのいい場所でバスは停車し、撮影タイムとなった。するとそのとき、物売りの子供たちがあちこちから湧いて出てきた。「湧いて出る」などという表現が適切なほど、いったいどこから来たのかと思うほど、それまで一軒の民家もなく、ごつごつした岩だらけの山道を登ってきたのだ。木々の緑もほとんど見かけないような場所なのだった。
 子供たちは、草の繊維で編んだラクダの形の飾り物などを差し出して、買ってくれと言う。
 ──はっきりノーサンキューと言ってください。少しでも気を持たせると、とてもしつこいですから。
 モロッコ人ガイドはそう言った。
 子供たちの必死の眼差しを見ているうち、気前よく買ってあげたい気持ちが込み上げてくる。だがそうすると親が味を占めて、子供をもっと働かせようとするというのもよく聞く話だ。
 先進国は、何十年も前からアフリカ諸国などに援助し続けているが、そのせいで、彼らはちっとも自立しようとしない。それどころか、もっと寄越せという態度で堂々としているとも聞く。
 私は他のメンバー同様に、「ノーサンキュー」と言って目を合わさないようにした。
 だが、バスに戻ってからガイドは言った。
 ──ヨーロッパの白人たちは買ってあげることが多いです。ものすごく高い値段で買ってあげます。
 えっ、そうなの?
 それを早く言ってよ。
 私だって本当は買ってあげたかったんだよ。
 富を分け与えるという考え方は、地球上に人間という動物が共存するためには必要不可欠なことだと思う。
 ──与えすぎてもいけないし、飢え死にさせてもいけない。そのさじ加減は実に難しい。
 などと考えることこそ、先進国に住む人間のいやらしい優越感と思い上がりではないのか。それも、自分たちにとってはほんの端金はしたがねなのだ。
 モヤモヤしたが、次回からは買ってあげようと決めた。
 それは、どちらが正しいかではなく、自分の感情に素直に従う以外の選択方法を思いつかないからだ。

 

(第16回へつづく)