先日テレビを見ていると、日本で土鍋が製造できない日が来るかもしれないと言っていた。
 私の家には、花三島のばんやきの土鍋がいくつかある。
 重いからそろそろ捨てようかと考えていたのだが、手に入りにくくなると聞いた途端に惜しくなってきた。
 なぜ製造できなくなるかというと、土鍋の原料の一部であるペタライトという鉱物が入手困難になってきたからだという。その原因は、ペタライトにリチウムが四パーセント含まれているからだ。リチウムはバッテリーを作るのに必要だ。将来、電気自動車が主流になると、二〇五〇年には今の十倍のリチウムが必要になるらしい。
 もう既に、世界中でリチウムの争奪戦が始まっているという。中国は、アフリカ諸国に存在するリチウムの含まれた土を、ごっそり山ごと買い取っている。
 そんなことを聞くと、ますます土鍋は捨てられない。
 家にあるのは、すべて一人用の小型の土鍋だ。私は大きな鍋をみんなで囲むよりも、人数分の鍋を使って作る方が好きだ。
 人によって具材の好き嫌いがある場合などは個別の方が作りやすい。それぞれの鍋に野菜や肉や海老や椎茸や豆腐などを放り込んで煮るだけだから、人数分の鍋を作ると言っても面倒なことは何一つない。
 三口あるガスレンジをフル稼働させれば済む。三人以上いる場合はガスレンジの口が足らないから鍋料理はやらない。
 自分専用の鍋となれば、自分の近くに置けるから小鉢に取り分けやすい。お玉で掬いにくいときは、他人を気にせずじかばしで取ってもかまわないから気が楽だ。何より自分のペースで食べられる。
 大きな鍋をみんなで囲むときとは違い、個別の鍋だと全員が野菜一切れ残さず平らげる。もともと八割がたが野菜だから、多いように見えてもお腹は重くならない。
 だが、みんなが残さず食べきるのは、たぶん清潔感──他人が触っていないという意味で──が最後まで保たれるからではないかと私は見ている。
 味付けはしない。ダシも入れない。
 醤油とレモン汁と七味唐辛子で食べるから簡単このうえない。
 あら? 
 捨てるどころか、なぜか土鍋愛を語ってしまった。
 土鍋に代わる軽い素材の物が出ているので買い替えようと思っていたのだが、考えてみれば土鍋ほど保温力のあるものはないし、ガス代の節約にもなる。
 うん、やっぱり捨てないで置いておこう。
 ──昔の物は品質がいい。
 いつ頃からか、この言葉をよく聞くようになった。
 これを言うのは、たいてい七十代以上の女性で、若い頃から品質にこだわった暮らしをしてきた人に多い。
 私自身はそんな上質な暮らしをしてきたわけではないが、洋服の肌触りに関しては子供の頃から異様に神経質なので、昨今は生地の品質が劣ってきていることをひしひしと感じている。
 欧州系の洋服の量販店が流行っているが、生地を触ってみた途端に、「なんじゃこれ? まるでビニールみたい」と思ってしまったことが何度かある。
 世の中には、昔ながらの良質な綿を使った洋服も探せばあることはある。だが、驚くほど高級品となってしまった。
 優れた綿生地が庶民の物だった時代は、もう過去のものになってしまったのか。
 綿などの自然素材だけではなく、ポリエステルまでもが肌触りが悪くなった。以前の頬ずりしたくなるような柔らかさと、皺にならない機能的な面を持ち合わせた、気持ちのよい生地が少なくなった。
 幼い頃は、真夏になるとサッカー地のワンピースをよく着ていたものだ。最近は滅多に見かけなくなったが、先日たまたま大人用のそれを見つけて嬉しくなった。
 値札を見たらびっくりするほど高くて驚いてしまった。視界の隅に店員さんが私をめがけて歩いてくるのを捉えた次の瞬間、私はその場をすうっと離れた。
 ああ、もうあの涼しいサッカー地の服は着られないのだろうか。
 今年は更に猛暑になる予想だと連日のように報道している。
 日本各地の気温が四十度越えになる日が珍しくない時代が、すぐそこまで来ている。それでも私たちは、いまだに石油や石炭を燃やし続けている。
 この先、地球はどうなっていくのだろう。
 本当は全世界が早急に対応しなくてはならないのに、みんな目先の利益ばかりを優先していて、悠長なことだと思う。
 ふと、芦原すなお著『青春デンデケデケデケ』のワンシーンが思い浮かんだ。
 ちなみにデンデケデケデケというのは、エレキギターの音だ。昭和三十年代から四十年代にかけての、当時の田舎の高校生の暮らしが書かれている、面白くて懐かしい小説だ。
 そのシーンとは、近所のおばさんやおじさんの真夏の服装を描いた場面だ。
 おばさんやおばあさんたちは、みんな「シミーズ」姿が定番で、そのまま買い物にも行く。おじさんたちは、縮み生地のステテコ姿だ。
 シミーズというのはフランス語のシュミーズから来た言葉で、下着のスリップに似ている。当時は綿百パーセントのクレープ地の涼しいものが多かった。
 地域差もあるだろうが、あの時代は最高に暑い日でも、気温は三十二度くらいだった覚えがある。その程度でも、すごく暑く感じていた。
 脱線しまくってしまったが、断捨離をやめる話に戻ろうと思う。
 こけしなどの民芸品や陶器の招き猫、LPレコード、食器、箸、漆器、昔のゲームなどが外国人観光客に飛ぶように売れているという。
 こうなってくると、断捨離ができずに何でもかんでも家に放置してある人は、もしかして先見の明があったのかもしれないと思ってしまう。
 招き猫といえば……。
 またまた話が飛んで申し訳ないが、あの日の切ない気持ちが一気に甦ってきてしまった。
 二〇一二年に東京スカイツリーができたとき、学生時代の友人と見学に行った。
 開業当初は、第二展望台に昇る料金が三千円だった。二人とも料金表の前で呆然と突っ立っていた。
「いくら何でも高すぎない?」
「びっくりした」
「どうする?」
「のぼる?」
「やめる?」
「やめよう」
 わざわざ墨田区まで来たのに展望台に昇らないなんてと、二人で苦笑いをしたのを覚えている。
 だが、女二人の金銭感覚は一致した。口には出さなかったが、三千円もあったら家族の何日分かの食費になると私は考えてしまった。たぶん友人も似たような思いだったろうと思う。
 展望台に昇らないとなると、することがないので、一階の土産物屋をウロついた。
 私はそこで、小さな陶器製の招き猫を見つけた。
 手に取って吟味したあと、レジに持っていこうとするのを見た友人は、慌てたように声をかけた。
「まさか、それ、買うつもり?」
「うん、買うけど?」
「それ、招き猫だよね? 普通、そんなの買う?」
「うん、買う」
「こんな店で?」
 もっと有名な作家物ならまだしも、土産物屋なんかで売っているチープな大量生産品をわざわざ買うのか。そう問いたかったのだろう。
「うん、買う」と、私は再び毅然と答えた。
 そのとき、私は五十二歳だった。
 不思議そうに見つめる友人には言わなかったが、私はこのとき、死ぬほどお金持ちになりたかったのだ。
 私は迷信を一切信じていないし、地道な生活を信条としていて、宝くじも買わない。それなのに、どうしても招き猫に縋りつきたい気分だった。
 宝くじは過去に一回だけ買ったことがある。第一勧銀のコンピューターシステムの仕事をしていたときで、付き合いで買わざるを得なかったときだ。
 私は占いにも興味がない。朝の情報番組で、「今日の星座占い」などが流れた瞬間にチャンネルを変える。「適当なこと言いやがって」と腹立たしく思いながらも、それでも内容によっては気分が暗くなるからだ。
 そんな私なのに、スカイツリーの土産物屋で招き猫を買ってしまった。
 レジに持っていく途中も、「お前は馬鹿か」と自分に突っ込みを入れていた。
 でも、どうしても買わざるを得ない精神状態だった。
 今考えると、少し病んでいたのかなと思う。
 手のひらサイズの招き猫は、今も部屋に飾ってある。
 人生は長い。
 長く生きていると、いろいろなことがある。

 

(第24回へつづく)