今ちょうど台風が来ていて、雨が窓ガラスに打ちつける音がしている。
 何日も前から、テレビが準備を呼びかけていた。
 ──停電に備えましょう。
 ──ベランダの植木鉢を家の中に入れましょう。
 ──外出を控えましょう。
 家が浸水したり、土砂で押しつぶされたりして死者が出ることもある。それらの被害状況を繰り返し報道して注意を喚起しようとするが、その甲斐もなく、災害は繰り返し起こる。
 考えてみれば、災害を完璧に防ぐなんて、土台無理な話なのだ。
 日本には、川のそばに立つ家がたくさんある。すぐ裏が山という家だって多いし、多くの家がいまだに瓦屋根だ。街を歩けば重い看板が強風で飛ばされて落ちてくることもある。
 どう考えたって、日本中どこでも災害が起こって当然の状況なのだ。
 地震のたびに、瓦の重量で家が押しつぶされる映像を目にしているのに、いまだに軽い素材に変えていない家の何と多いことか。
 それも、自治体から補助金が出る市町村が多いと聞いている。その補助金だけでは足りないし預金もないというのなら、補助金の範囲内で家の一室だけを耐震強化する方法もあると何かで読んだ。 
 先日、何度呼びかけても避難しようとしない人のドキュメンタリーをテレビで見た。まさに「首に縄をつける」わけにはいかない状態で、頑として動こうとしない。そんな人々を見て、最初はもどかしい気持ちになったが、その頑固さもまた、その人の寿命を決定する大きな要因なのだと思うようになった。
 そして、妻が災害用に食料や水を備蓄しようとすると、「縁起でもない。うちは大丈夫だ!」と烈火のごとく怒りだす夫が少なくないことも知った。
 私の実家のある町の家々は、ほとんどが瓦屋根だ。いつだったか、屋根をスレート葺きに変えたらどうかと知り合いに提案したことがある。それくらいの費用はなんてことないといった裕福な家庭だ。
 だが、そこで私は言われた。
 ──また大げさなこと言って。滅多に大地震なんて起きないのに。あなたは神経質すぎる。もっとゆったり構えた方がいいよ。
 こう諭されたときは、唖然としてしまって何も言えなかった。科学的な思考ができない人とは、何を話しても無駄だと思い、もう二度と余計なことは言うまいと心に決めた。
 それ以来、瓦屋根の家には長居したくないと思うようになった。
 最近になって、人の寿命に関する私の考え方が変わった。健康状態そのものよりも、住んでいる場所、家の造りなどに大きく左右される場合があると知った。それだけでなく、上記に挙げた頑固な性格や思い込みの激しさ、どんなに具合が悪くても頑として病院に行こうとしない人など、枚挙にいとまがない。本来なら防げたことでも、本人の性格や考え方が邪魔をする。そういうこともひっくるめて、「それもまた寿命の一部」と考えるしかないのだろう。
 そういえば、パリオリンピックの最中に、宮崎県で最大震度6弱の地震が起こった。そのあとテレビ画面の上と左に、南海トラフ巨大地震が起こる確率が高くなったとして、注意喚起情報が何日間も出続けた。
 私はオリンピック観戦を楽しんでいたので、その画面表示が邪魔で仕方がなかった。なんて野暮なことをするのだろうと、そのセンスのなさに憤った。というのも、その注意喚起には何の根拠もないからだ。
 地震がいつどこで起こるのかは、現代の知識を持ってしても全くわからない。何十年も前から、まるで明日にでも首都直下地震が起こりそうなことを言い続けてきたが、いまだに起こっていない。それだけなら害はないが、全く予想していなかった地域に巨大地震が次々に起こっているのをどう説明するのか。
 ──今後三十年の間に大地震が起こる確率は五十パーセント。
 などと聞くたびに、本気で言っているのかと思う。その言い方では、全く予知できないと言っているのも同然で、こんな警告には何の意味もない。
 予知というものは、発生時刻、震源地、大きさまで細かく指定できなければ、全く意味がないものだ。首都直下地震にしても、南海トラフにしても、あまりに範囲が広すぎて、話にならないではないか。
 いったいこの状況を、素人の私はどう捉えればいいのだろう。
 私は二十代の頃から、東京大学地震研究所の研究者たちは、いったい何十年もかけて何を研究しているのかと怒りを覚えていた。研究結果の成果が何も出てこないからだ。
 日本の中で、地震のメカニズムに興味のある人はかなりの人数に昇るのではないか。今や「プレート」や「断層」といった言葉が一般人にも浸透し、NHKスペシャルの「列島誕生ジオ・ジャパン」や「MEGAQUAKE巨大地震」などのシリーズを楽しみにしている人も多いと思う。最近の相次ぐ地震がきっかけとなった人もいるだろうが、高校時代に地学が好きだったという人が、私を含め、私の周りにも案外と多い。だから私と同じように、地震研究所の研究を注視している人も少なくないはずだ。
 様々な警戒情報が流れる度に不審感を抱いていたとき、ロバート・ゲラー著『日本人は知らない「地震予知」の正体』を見つけた。
 この書籍を著したとき、アメリカ人のゲラー氏は東京大学理学部の教授で、まさに地震の研究者だったが予知の研究はしていない。彼は本の冒頭から「予知なんてできない」とはっきり書いている。その内容はなかなかに辛辣だ。
 彼によれば、「東海地震説」は仮説の域を出ないのに、毎年数百億円規模の税金が投入されているらしい。そしてお決まりだが政治家との癒着がある。そんな予算があるのなら、護岸工事や耐震補強などに使った方がいいと提言している。そして、地震を予知する者は、「愚か者とウソつきとイカサマ師のみである」と断言している。そもそも研究するなら一万年くらいのタイムスケールでないと何もわからないはずなのに、数百年という短い期間で「周期的に起こる」と言いたがる学者が多いことも批判している。
 いつの間にか、例のオリンピック競技の邪魔をした警戒情報は画面から消えていた。
 国土交通省は、その言い訳として、地震はいつ来るかわからないから、気を抜かない方がいいと思い、注意喚起のために警戒情報を流したといったような弁解をした。そして、熊本地震のときも二度目の方が大きかったからだと。
 いつも思うのだが、政府のお役人は国民を「ごうの衆」だと思っている。自分たちは知識も教養もあるが、庶民は馬鹿ばっかりだと思って舐めきっているように見えるのだ。
 万が一巨大地震が起こったとき、「あのとき言いましたよね。危ないって」と言い訳ができるように、前もって大げさすぎる警報・注意報を出しているとしか思えない。
 地震研究者たちは、今まで何ひとつとして予知を成功させてはいない。
 多くの国民はとっくの昔に懐疑心でいっぱいで、信用していないのだ。
 ──予知はできない。だから耐震補強をしよう。
 などと正直に言ってくれた方が何倍も信頼感が増す。
 研究者よりナマズの方がマシなのではないかと思う今日この頃でございます。

 

(第28回へつづく)