十日間のモロッコツアーに参加することにした。
 いつもの旅行と違うのは、これまでになく荷物の準備に手間取ったことだ。
 これまでの旅行では、荷物を最小限にすることに拘っていた。衣類などは途中で洗濯すればいいからと、宿泊日数分の半分か三分の一くらいに抑えた。
 以前、ツアーメンバーが私のキャリーバッグの小ささに驚き、「まるで着たきり雀ね」などと言ってからかったこともあった。
 だが半年前に台湾に行ったときはそうはいかなかった。歳を重ねたからか、夜になると疲れ果ててしまい、洗濯するのが億劫になった。夜はさっさとシャワーを浴びて、明日の準備を終えたら速攻で眠りたいと思うようになっていた。
 ガイドブックによると、サハラ砂漠は昼夜の寒暖差が激しいらしい。昼間は薄着でいいが、朝夕は真冬の装備が必要だと書かれている。
 ──寒くたって暑くたって平気。たいしたことじゃないよ。
 などと、若い頃のようには強がれなくなっていた。
 春秋用の服を重ね着するのが良さそうだ。Tシャツも多めに持っていこう。暑くなったら一枚脱ぎ、二枚脱ぎ、三枚脱ぎ……となっても、変ではない服を重ねておいた方がよさそうだ。それと、ユニクロのフード付きのライトダウン以外に、モッズコートも持っていこう。
 以前なら「迷ったら持っていかない」としていた判断が、今回は「迷ったら持っていく」という気持ちに変わっていた。
 この時点で、既に荷物が重くなりそうな予感がした。いつでもどこでも自分ひとりで軽々と運べることを信条としている。今後もっと歳を重ねても、このことだけは死守したいと思っている。
 荷物を軽くするために、何か工夫できるところはないだろうか。このままでは重くなってしまう。
 クローゼットを探すと、買い置きの靴下やTシャツが何枚かあった。そういった新品はそのまま保管しておいて、今回は普段使っている古びたものを持参して、旅先で使い捨てにすることにしようと決めた。
 おしゃれをしたい気持ちは、今回は捨て去ろう。動きやすくて機能的で、寒暖差を配慮した清潔感のあるものであれば何でもいい。
 そうは思うものの、それでは少し寂しい気がしたので、服装のおしゃれの代わりに、派手めのマニキュアを塗っていくことにした。指も爪も短いからサマにならないが、目にするたび華やかな気分になれる。除光液もマニキュアも荷物になるから持参せず、除光液シートを一枚だけ入れておこう。
 いつも通りに、ハンドクリームや化粧品などを、小さな容器に小分けしようとしたときだ。もっと小ぶりで、一グラムでも軽い容器が俄然欲しくなってきた。
 そのときふと、拙著『懲役病棟』が漫画雑誌に連載された後、コミック本になる打ち合わせをしたときのことを思い出した。
 ──これと同じ型のコミックになる予定です。
 そう言って男性編集者が見本を手渡してくれたとき、私は開口一番に言った。
 ──すごく軽いですね。この本は良いと思います。
 そう言うと、彼は驚いたような顔をした。
 ──軽い? 本が、ですか? へえ、重さなんて今まで考えたこともなかった。
 今度は私が驚いてしまった。
 学生の頃から、出かけるときは単行本ではなく文庫本にしていたし、今では電子書籍をスマートフォンにダウンロードしている。重くて大きいファッション雑誌などは、家で読むのはいいが、絶対に持ち歩きたくない。
 そうか、体力があって力持ちの人は、さほど重さのことは考えないものなのか。少しショックで、もっと身体を鍛えねばと思った。いつも思うだけで実行が伴わないのだが……。
 旅行用の便利グッズを探すために、百円ショップに行った。「超大型店」の場所をネットで調べて、ダイソー、セリア、キャンドゥに行ってみた。
 もう、それだけで楽しかった。
 今さらだが、百円ショップとは、なんと楽しいところだろうか。値段を気にせず、どんどんレジかごに放り込める。まるで大金持ちになったような気分だ。
 そのあと無印良品にも寄って軽くて小さな容器を買い、バーゲンセール中のユニクロではダウンベストを買った。
 そして薬も用意した。普段は全く薬を飲まないのだが、風邪薬、胃薬など、思いつくものを少しずつ荷物に入れた。
 サハラ砂漠は乾燥していて喉が痛くなるらしいのでトローチも買い、ミモザの花粉症があると聞いて目薬とアレルギー薬も入れた。
 バスで山のくねくねした峠を越えたり、4WDでメルズーガ大砂丘に行ったりするときは、乗り物酔いをする人が多いらしい。それを知って、酔い止め薬も購入した。そんな薬を飲むのは小学生のとき以来だ。
 とにもかくにもモロッコは遠い。
 直行便がないうえに、今はロシアのウクライナ侵攻のせいでロシア上空を飛べないから、通常よりも三時間ほど余計にかかる。
 成田空港からドバイまで十二時間、ドバイで乗り換えてカサブランカまで九時間だ。
 体力的に考えても、たぶんこれが最初で最後のモロッコとなるだろう。
 貪欲に旅行を楽しむために、歴史や地理や人々の暮らしを調べた。その国の背景を知っているか否かで、心に残るものの多さや深さが違うことを今までの経験から学んでいる。
 バザールの喧騒や、垣間見える人々の暮らしや、砂漠で過ごす時間の中から、感情を揺さぶられる何かを得て帰りたい。
 今まで知らずに生きてきた何か重大な事実、今まで気づかなかった自分の内面、国ごとに異なる人間関係の濃淡や難しさや弱者の立ち位置など、ガイドブックには書かれていない様々なことを観察して、そのときの感情を心にしっかり刻みたい。帰国後は、それら外国で新しく得た感情が、意識せずとも小説に盛り込まれるに違いないのだ。
 あ、小さなノートも忘れずに入れておかねば。スマホのメモ帳機能だけでは目が疲れてしまう。
 最後にお土産を調べた。
 よく聞く話のひとつに、こんなのがある。「ご自由にお取りください」のメモを添えて、会社の空き机に置いておく。すると、フランスやベルギー産のチョコレートなどは一瞬にしてなくなるが、中国産のお菓子は何週間経っても減っていない、というものだ。
 だとしたら、モロッコ土産も喜ばれない可能性が高い。安心感や信頼感がなければ、未知のものを口に入れたくないと思って当然だ。
 そう考えて、自分と身内にだけ買って帰ることにした。イチジクとナツメヤシのドライフルーツとアーモンドなどだ。安かったらキロ単位で買って帰ろう。
 だったら、もっと荷物を軽くしなければ……ああ、どうしよう。

 

(第14回へつづく)