十年ぶりくらいでギックリ腰になった。
猛暑の東京を抜け出し、ひとりで札幌に行った三日目のことだった。二日目に食料品の買い出しに行ったあと、張り切って網戸の掃除をしたのがよくなかったのかもしれない。
三十代の頃は頻繁にギックリ腰になっていたので慣れていたはずだった。だが今回のは今まで経験したことのない重症で、ベッドから起き上がるだけで悲鳴を上げそうになるほど痛かった。
それでも無理してパソコンに向かってみたりしたが、たった数分で耐え難いほどの腰痛になった。だから仕事をするのはきっぱりあきらめて、久しぶりの休暇を与えられたと思うことにした。
そのあとは、一日中ベッドに寝転んだまま読書をしたり、タブレットで映画を楽しんだりした。
これほどすんなりと気分の切り替えができたのは、仕事を前倒しで進めていたことが大きいと思う。翌月から毎月一冊ずつ三ヶ月連続で自著の刊行があり、それとは別に三誌の連載をしていたのだが、当月の締め切り分はすべて出版社に提出済みだった。
私は生まれつきとしか思えないほどのひどい心配性で、何でもかんでも早めに済ませておかなければ落ち着かない。そんな心配性が行き過ぎて、悪い結果ばかリ想像してしまい、勝手に気分が暗くなったり落ち込んだりする滑稽な人間だ。だが、このときだけは、そんな性分をありがたいと思った。
料理をしようと台所に立っても、やはり数分で耐え難い痛みに襲われた。
そんなとき、助かったことは何かと言えば……。
──冷凍庫の中に、前回札幌に来たときに小分けにラップしておいたご飯がたくさんあったこと。
──前日にスーパーへの買い出しを済ませていたこと。
──買い出しから帰ってすぐに具沢山味噌汁を鍋いっぱい作っておいたこと。
もっと色々たくさん買っておけばよかった、総菜をたくさん作り置きしておけばよかった、などと思わないでもなかったが、何もないよりは数倍マシと思うことにした。
だったらウーバーイーツなり、出前を取るなりすればいいではないかと思われるかもしれないが、ひどい腰痛のために、玄関まで出ていくのさえ何分もかかってしまうのだ。
冷凍ご飯を取り出すにしても、冷凍冷蔵庫の一番下が冷凍庫なので、腰をかがめるのに一苦労だった。そして一度しゃがんでしまうと、痛くて立ち上がることができず、永遠にこの体勢のままなのかと絶望した。
そんな日々を過ごすうち、将来寝たきりになったときの予行演習のようだと思うようになった。
私は前世が遊牧民だったので(単なる妄想)、東京の家の引っ越しを考え始めていたところだった。次は戸建てにしたいと思っていたのだが、今回のことでやっぱりマンションがいいと思うようになった。
それぞれに一長一短ある。東京ではマンションにも一戸建てにも住んだことがあるから、ある程度はわかっているつもりだった。
だがそれは、生活の便利さや経済的な視点から考えたことであって、年老いて、そう簡単には外出できなくなったときの心の持ちようまで考えていたわけではなかった。
閉所恐怖症の私は、外に出られないのがとてもつらい。となれば、窓から見える景色で気分の安定を図るしかないのだった。
私が窓から見たいものは、富士山でもなければ、美しい森林でも湖でもない。人々が道を行き交う騒音を感じていたい。駅へ急ぐ人や、買い物帰りの人や、酔っ払いや、若者たちだ。人々が楽しそうに話したり、大声で怒鳴り合ったりする姿や声だ。そして夜になれば、あちこちの家やマンションやビルに明りが灯る。
つまり、自然に囲まれていることが売りの、山奥にある老人ホームには入りたくないのだ。静寂の中にいるよりも、パトカーや救急車のけたたましいサイレンの音が聞こえる街中がいい。
街中であれば、マンションでなくても戸建てでも構わないのだが、以前戸建てに住んでいたときは、外の様子が狭い範囲でしかわからなかった。だから戸建てなら、高台にあるか、それとも屋上があるか、そうでなければ大通りに面しているか、のいずれかがいい。
もうひとつギックリ腰で学んだことは、食料品の買い置きについてだった。大災害に備えるための知識が、老後にも大いに役立つらしいと知った。買い物に行けなくなったときを想定して、大量に買い込んでおくことが必要だ。目下、冷凍冷蔵庫以外に、もうひとつ冷凍庫を買っておくべきか検討中である。
それにしても、アマゾンプライムやネットフリックス、ディズニープラスやキンドルの存在は有難い。それらがあることで、寝たきりでも楽しかった。そしてYouTubeで「夜のヒットスタジオ」を見出したら止まらなくなった。吉村真理と井上順の司会も懐かしく、十代の頃の自分が甦ってきた。
ギックリ腰になったのがきっかけで、少しだが老後の生活をシミュレーションできてよかった。
とはいうものの、ギックリ腰にはもう二度となりたくない。