インドツアーに参加した。
今回は十三名の参加で、内訳は女性が四名で男性が九名。添乗員はアクティブで健康的な五十代の女性だった。
今まで参加したことのあるツアーは、参加者の九割方が女性だったから、今回のように男性が多いツアーは初めての経験だった。
年齢層は五十代から七十代が中心で、男女ともに協調性のある明るい人がほとんどだったからか、スケジュール的には強行軍だったのに、旅行中の七日間は終始穏やかな空気に包まれていた。
にも拘わらず、またしても私は居心地が悪かった。自分の性分に嫌気が差し、自己嫌悪に陥った。この分では帰国後も、自分を取り戻すのに時間がかかるのではないか。人生に絶望し、ひどく落ち込んで死にたくなるのではないか……などと危惧したのだが、杞憂に終わった。
不思議なことに、早朝便で帰国したその日の夜には立ち直ったのだ。自分を取り戻しただけでなく、思いきり自分を正当化できるまでなっていた。
回りくどくてスミマセン。
いったいお前は、何のことを言っているのだとお思いでしょう。
早い話が、旅行中はマンスプレイニングの嵐だったのである。
参加者たったの十三人で、わずか七日間というツアーであっても、そこには昭和時代の空気が渦巻いていた。世代的なことが原因だと思うが、古い男女観の世界が繰り広げられたのである。その枠の中に納まりきれない私は、人知れず疎外感を味わっていた、という話です。
もちろん私だって一応は大人であるからして、周りの人を不快にさせないようにと、ニコニコ感じよく振る舞うべく七日間ずっと努力し続けた……つもりです。
あらかじめ言っておきたいのは、男性全員が紳士的で優しい雰囲気の人ばかりだったことだ。決して悪気のある人たちではなかった。
だからこそ、救いがないとも言えるのだが。
例えば──。
ブッダが悟りを開いたとされるブッダガヤの大菩提寺に行ったときのことだ。
私はインド人の男性ガイドに尋ねた。
「仏教徒以外もここを訪れますか?」
私の期待していた答は、以下のいずれかだった。
──いいえ、仏教徒以外の異教徒は決して訪れません。
それか、
──はい、ヒンズー教徒もシーク教徒も見学に来ますよ。
だが、実際はガイドより先にツアーメンバーの男性が答えた。
「仏教徒だけじゃないよ。こうやって観光客だってたくさん来てるでしょ」
周りを見たらわかるだろ、このバカ女……そう言わんばかりだった。
そのあとホテルに帰ってきて夕食を摂っているとき、近所のスーパーに繰り出してみようという話で盛り上がった。そのとき私は、添乗員さんに質問した。
──何か買わないと出られない店ってありますけど、そのスーパーは大丈夫ですか?
そのとき、またしても別の男性が添乗員より先に答えた。
──そんな店あるわけないでしょう。大丈夫ですよ。
そう答え、隣の席の男性と二人して大声で笑ったのである。
私は実際に、そういう類いの店に入ったことがある。スペインとロシアで入店した超大型スーパーでは、レジが何十台も並んでいた。だが、その店を出るには、レジで精算してからしか外に出られなかった。それ以外に出口がないのである。盗難防止のためだ。
店員を捕まえて、「欲しいものがなかったので、何も買わずに出ますが、どうしたら出口まで行けますか?」と、現地語で流暢に尋ねることができる人なら難なく出られるのかもしれない。だが私にはそんなことは不可能だったので、小さなお菓子を無理やり選んでレジのラインに並び、やっとの思いで店を出た経験がある。それを踏まえての質問だった。
そういったマンスプレイニングが何度もあり、そのあと私は一切質問をするのを辞めた。わからないことはネットで検索する方法に変更したのである。
別のエッセイでも書いたが、マンスプレイニングはアメリカの造語である。
アメリカでも「偉そうに説明したがるのは男だけではない。女の中にもいる」と反論する人がいるらしいが、これは、そういった個人差の問題ではない。もしも私が男ならば、ツアーメンバーの男性たちは、決してあのようなことを上から目線で言わなかったに違いないからだ。つまり、男性は女性よりも知識が豊富であるという思い込みを前提にしている。
ウンザリしてしまった私は、女性メンバーの一人に、そのことをこっそり打ち明けてみた。だがしかし、私が期待したような反応は返ってこなかった。
彼女はこう言った。
──考えすぎじゃあないですかあ。それに、男の人に頼った方が女はラクじゃないですかあ。
更に気持ちがどんよりしたが、インド旅行に来た目的を思い出して、気持ちを立て直すことに集中した。日本人同士の人間関係を学びに来たのではないのだ。インドという国を見に来たのだぞ、しっかりしろ、自分。
女らしい女を演じる女たちと、男らしい男を演じる男たちの組み合わせの中に身を置く違和感……この嫌な空気の中で、私は中学入学と同時くらいから現在に至るまで生きてきたんだぞ。慣れてるはずだろ。
私以外の三人の女性参加者は、五十代後半二人と四十半ば一人と見たが、いくつになっても愛嬌や可愛らしさを失わない女性たちだった。私に対しても親切で事細かに気を遣ってくれる心根の優しい人々だった。
そういうのを見ていると、私だけが間違っている気になってくるのも、中学時代と何ら変わりなかった。
やはり私にとって、この日本は生きにくい。
マンスプレイニングというのは、「聞いてもいないのに女と見れば解説したがったり、女より男である自分の方が知識があると信じて疑わず、マウントを取りたがる男」のことだけを指す言葉ではない。女性というものはこういうものだという固定観念を押しつけることも含まれる。これも今回は多くて耐え難かった。
──女性は荷物が多くて大変だね。なんせ洋服をたくさん持ってこなくちゃならないからね。化粧品も重いでしょう? 靴やアクセサリーもたくさん必要だしね。
そういうことを、何度も繰り返し言う男性がいた。悪気がないことも女を馬鹿にしているのではないことも明らかだった。ただマスコミなどから刷り込みがひどいのだ。
男女関係なく、旅先でお洒落を楽しむ人もいれば、着替えにボロTシャツを何枚も持ってきて、旅行先で捨てて帰る人も少なくない。
かつての私は、ほんの数着だけ持参し、それらを毎晩ホテルで洗濯しては繰り返し着ていた。八十代の女性参加者から「あなたは毎日同じ服を着てるわね」と言われたこともある。
ああ、それにしても、なぜ「女はこういうもの」と決めつけたがるのだろう。
──そんな小さなことをいちいち気にしてどうすんの。そんなことどうってことないでしょ。大げさに取り上げすぎだよ。
などと思う読者も、きっとたくさんいることだろう。
だが、決めつけられ、枠に嵌められる側の人間は、屈辱感で精神を少しずつ病んでいくのである。
私以外の三人の女性は、常に笑顔を絶やさず、常に相手の言うことなすこと、どんな小さなことでもハイテンションで褒めたたえる人々だった。彼女らがいるだけで、場が明るくなった。男性のマンスプレイニングに対しても、さも関心したように大きく頷いてあげる芸当を兼ね備えていた。
それらは全て、私には備わっていない才能だ。
そんな昭和時代の空気の中、私はとにかく目立たたないようにしよう、自分自身のインド観察をしっかり楽しむことだけを心がけようと努力した。
だが、最終日になる頃には考えが変わっていた。
突如として、女性の置かれた状況をわかってもらいたくなった。
拙著『定年オヤジ改造計画』を始めとする数々の作品に描かれた、女性の抱える日々の屈辱感を知ってもらいたくなった。そして個人的にも、見下され続けることに我慢ならなくなっていた。
折しも添乗員さんの提案で、グループLINEを作った。良い写真があれば共有しようという趣旨で、各人が自己紹介文とともに写真を続々と載せ始めた。
私は、自分が小説家であることを紹介文に書いてしまった。
わざわざ自分から知らせるなんて初めてのことだった。
帰りの飛行機の中で、「七十年代、八十年代に流行った日本の歌」を選び、ヘッドホンの音量を上げて目をつぶって聞いた。
そしたら紙ふうせんの『冬が来る前に』とアルフィーの『木枯らしに抱かれて…』と続けて短調の曲が流れてきたものだから、来し方を振り返ってしまい、しみじみと涙が出そうになった。