読者からの手紙

 

 毎日のように本を買っている。

 読みたい! と思ったらすぐに買う。

 今すぐ読みたいわけじゃないけれど、読んでおいた方がタメになるかもしれないと思ったときも、すぐに買う。

 ネットで注文するので次々と本が届く。だから読むのが追いつかなくて、しばらく積読つんどく状態になることがある。

 注文してから間が空くと、どうしてこの本を買ったのか、なぜ読みたいと思ったのかが思い出せないことがある。

 で、今日もその中の一冊を手に取った。橋田壽賀子著『人生ムダなことはひとつもなかった~私の履歴書』という本だ。生い立ちから晩年に至るまでの悲喜こもごもを綴ったエッセイだった。

 戦前戦後の暮らしぶりや、家族のこと、仕事のことなど、波乱万丈で読み応えがあった。薄い本だったこともあるが、面白くて止まらず、あっという間に読み終えてしまった。

 その中で、読者から分厚い手紙をもらったことが書かれているページがあった。苦界に身を落としながら這い上がって結婚し、幸せな家庭を築くまでが綴られていたらしい。

 それをきっかけに橋田氏は、明治から昭和までを生きた女性の道のりをもっと知りたいと思い、週刊新潮の掲示板に「手紙をください」と経験談を募集したという。すると、段ボール一箱分の手紙が届いた。氏は手紙をくれた人たちに話を聞き、それが有名なテレビドラマ『おしん』の元ネタになったと書かれていた。

 私もときどき読者の方からお手紙をいただく。それらは出版社に届き、編集者が検閲けん えつしたあとで私に郵送されてくる。

 編集者がなぜ検閲するのかというと、誹謗中傷の内容が作家の目に触れないようにするためだ。

 というのも、もしも、

 ――お前の小説は死ぬほどつまらん。

 などと書かれていたら、作家の心が折れる可能性があるからだ。

 精神状態に大きく左右される職業だから、「どうせ私なんかダメだ」と思った途端に、書けなくなることがある。

 そんな取捨選択を経て私のもとに届くファンレターには、読者自身の経験や人間関係の悩みなどが切々と綴られていることが多い。何枚もの便箋に及ぶこともある。

 文章も上手だし、恨みつらみを訴えるのでなく、客観的な視点を持っている人がほとんどだ。私はそんな手紙を繰り返し読み、自分ならどうするかを真剣に考える。

 ――事実は小説より奇なり。

 このことわざの通りで、実際に経験した話は貴重だ。具体性があるから想像が膨らみ、心を揺さぶられる。強烈に印象に残るからか、いつの間にか小説の題材になっていることがある。

 そういうこともあって、橋田氏に段ボール一箱の手紙が届いたというのが羨ましかった。

 読者からの手紙を今日も楽しみに待つ私でした。

 

(つづく)