──七十歳になるまでに世界中を旅する。
 そうエッセイに書いたのは、つい最近のことだ。それなのに、今ではそのときの強い思いが理解できないほど、気持ちが変わってしまった。
 外国の景色なんかテレビで見れば十分じゃないかと思うようになったのだ。
 テレビの画質が良くなったお陰もあるのだろうが、ドキュメンタリー番組『世界遺産』を見ることの方が海外旅行するよりも楽しいと感じるようになってしまった。
 天気のいい日を狙って撮影されたものばかりだからか、現地に足を運んで見るよりも鮮明で感動的だ。ドローンでかんする映像が最も見応えがあるのだが、現地に行っても俯瞰することはできない。
 歴史の解説にしても、テレビの方が断然面白くてわかりやすい。現地に行けばガイドが説明してくれるが、ほとんどの場合、日本語が下手で聞き取りにくい。それに、何といってもツアーメンバーとの人間関係がしんどい。
 そんなことを考えるようになったのも、歳を取ったからだろうか。
 というのも、学生時代にヨーロッパ一周旅行をした際、三十代の男性添乗員がこんなことを言った。
 ──若い君たちは、建物や景色を見るたびに感動してくれるから、案内のし甲斐があるよ。老人ばかりのツアーだと、誰も感動してくれないんだよ。
 年齢とともに、そう簡単には感動しなくなる。本や雑誌を読んでも、映画やテレビドラマを見ても同様だ。
 だがそれは、感性が鈍くなったからではない。どれもこれも、どこかで見聞きしたものばかりで、新鮮ではないからだ。雑誌を隅から隅まで読んでも、知らないことがひとつもなかったということもある。知識欲が旺盛な人間には全く物足りない。
 とはいえ、旅が億劫おつくうになったのは、体力の衰えと直結しているのだろうとも思う。私の気分の浮き沈みの激しさを思えば、またぞろそのうち世界中を旅して回りたくなるかもしれないが。
 ──いきなり来るよ。がくんと。
 老化について語るとき、こういう言い方をする人が多い。だが、そんな言葉も、今までは私の耳を素通りしてきた。
 しかし、ある日突然、本当に「がくんと」来た。
 兆候はあった。姉と電話で話をしていたときのことだ。
 ──あなた、話し方がものすごくゆっくりになったわね。
 三十分ほどの電話の中で、姉はそのことを三回は言った。
 それからというもの、私は自分の話し方を意識するようになった。
 確かにスピードが遅くなっていた。それまでの私は、早口すぎて聞き取れないと人から注意されるほどだったのに、姉に言われるまで気づかなかった。
 もの忘れがひどくなったとか、平坦な道でつまずいたとか、白髪が増えたとか、ときどき目が霞むとか、友人とお茶すると二時間くらいで疲れてしまうとか、すぐ横になりたくなるとか……そんなことは五十歳になったときくらいから感じ始めていた。
 だが、そんな色々をそれほど重大なこととは捉えておらず、歳を取ったらみんなこうなる、くらいの感覚でいた。だけど、話すのがゆっくりになったことは、別の次元のことだった。
 脳が劣化してきたのか? そう思うと背筋がぞっとした。
 インド旅行から帰ってすぐに、スポーツジム通いを再開していた。身体を鍛えねばと反省したのがきっかけで、マシンを使ってのトレーニングは六年ぶりだった。
 そこには六年前に顔なじみだった同世代の女性たちがたくさんいた。彼女らは、私がやめてからもずっと通い続けていたらしい。
 みんな偉いなあ。そう思うと同時に、みんな老けたなあと思った。
 六年前は、みんな「おばさん」だったのに、今や全員が「おばあさん」になっていた。そのことにもショックを受けた。それは間違いなく自分自身の姿でもある。
 彼女らはみんなスリムで筋肉のついた体型をしているし、明るくて溌剌はつらつとした表情をしている。それでも、老けたのが一目瞭然だった。
 だったら私のように、筋肉はゼロだし、ぽっちゃり体型だし、そのうえ性格が暗いから表情も暗いとなると、何をか言わんや、である。
 そのあと、しばらくしてから札幌に行ったのだが、そのとき私は、自分の老化を決定的に思い知った。
 飛行機で一時間ちょっとなのに、行くだけで疲れ果ててしまった。着いてすぐにベッドに横になった。それだけならまだしも、翌日も疲労感が抜けず、一日中だらだらとベッドに横になっていた。
 風邪を引いたわけではない。世の中は、インフルエンザを始め、コロナやリンゴ病などが流行っている。札幌に行く直前に、出版社の人と打ち合わせをしたのだが、その中の一人が、お子さんから手足口病が移ったとかで、欠席した。
 それほど色々な種類の感染症が流行っていたが、私は今まで、そういった流行りの病気にはほとんどかかったことがない。だから今回もたぶん、そういった類いではないだろうと考えた。そもそも熱も咳もないし、どこかが痛いわけでもない。
 ただただ、ひたすら疲れを感じていたのだ。
 子供の頃から疲れやすい体質で、常に体力を出し惜しみしながら生きてきたから慣れているはずなのに、それでも今回は疲れがひどかった。
 そして、その数日後、札幌にいる知人と、その知人の教え子である女性との三人でレストランでランチを食べた。そのあと知人の家で夕方までおしゃべりをした。
 そのときは、とても楽しく、話も弾んで私もよくしゃべったのだが、翌日はあまりの疲労感で、洗濯して少し仕事をしただけで、すぐに横になってしまった。
 こんな体たらくで、今後私はどうやって生きていくのだろうと、暗澹あんたんとした気持ちになった。七十歳までに世界中を旅するなどと豪語して張りきっていたこの前までの自分と同一人物とは思えなかった。
 自身の老化を思って深刻に考え込んでしまった末に、私は悟った。
 今やっと終活の時期が来たのだと。
 断捨離などと言いながら、嬉々として不用品を処分した時期があった。確か五十歳になるかならないかのときだ。今思えば、あれは終活なんかではなくて、単に不用品を処分しただけで、年齢に関係なく必要なことに過ぎなかった。楽しかったし、遊び半分のような気分だった。
 でも今回は違う。
 今までの人生の中で、これほど体力の衰えを感じたことがあっただろうか。
 このままではまずい。
 真っ先に頭に浮かんだのは、処分に手間がかかるものを遺して死んだら家族に迷惑をかけるということだった。
 自惚れていると思われるかもしれないが、生活者としての自分を、私は今までこう思ってきた。
 ──一度にたくさんのことを素早く処理できる超しっかり者。
 そういったピークを私は過ぎつつある、いや、とっくに過ぎてしまっていたのに気づかなかっただけなのだ。
 ──何言ってるのよ。あなたはまだ若いじゃないの。
 私を見てそう言う高齢者が何人もいる。
 だが体力と気力は人それぞれだ。周りを見渡しても、四十半ばを過ぎたあたりから徐々に体力格差が広がり、年齢が上がるにつれて、その格差はどんどん広がっていくのが見てとれる。
 こうなったら、時間を効率よく使うしかない。
 そのためには、どういった暮らしをするのがいいのか。
 これまでの生活者としての知恵を総動員し、それらを老齢バージョンにアップデートするべく試行錯誤してみなければならない。

 

(第36回へつづく)