小説を書くようになって、はや二十年が過ぎた。
 ──来月の〇日に帰省するからよろしくね。
 小説家になる前は、実家への連絡はそれだけでよかった。だが小説を書くようになってからは、もうひとこと付け加えるようになった。
 ──私が帰ること、誰にも言わんといてよ。
 私は無名の小説家ではあるが、田舎では知っている人が多くなった。
 それとともに、様々な人が私の実家の家族に、「東京の娘さんは、次はいつごろ帰省するの?」と尋ねるようになった。親戚や近所の人や親しい同級生だけではなく、あまりよく知らない人までが尋ねてくる。
 そして、私が帰省しているとわかると、「何日まで滞在するのか」と、これまた様々な人が実家の家族に尋ねてくる。
 それがどうした、いったいそれのどこが問題なのか。そう思う人もいるだろう。確かに問題というほどのことではない。私がいつ帰郷して、いつ帰京するかを知られて困ることは何もない。
 だが、私は息が詰まりそうになるのだ。考えすぎだとわかってはいるが、監視されているようで居心地が悪い。
 そんなことが度重なるうちに、気づけば故郷は安らげる場所ではなくなっていた。
 あれは中学生のときだった。英語塾の先生が雑談の中で言った。
 ──大阪に行ったとき、ザ・ピーナツが同じ新幹線に乗ってきたんだよ。テレビで見るのと違って、つんとしていて感じ悪かった。
 当時の田舎では、芸能人を見たことのある人が少なかったから、先生の言葉は強く印象に残った。中学生だった私は、その言葉を単純に信じたのだった。あの双子姉妹の歌手は、テレビでは愛嬌があるように見えるけれど、本当は性格が悪いんだ、と。
 私も帰省した折、「小説を書いているアノ人」だとわかると、穴が開くほど見つめられることが増えた。そういうときは笑顔を返さないとまずい。普通にしていたら、ザ・ピーナツと同じで「つんとしている」と言われる可能性が高い。
 そういった日々を過ごすうち、芸能人の置かれた状況に思いを馳せるようになった。彼らはもっと苦労しているに違いないのだ。
 あのですね、私が感じ悪い人間なのは今に始まったことじゃないんですよ。小説家になったくらいで自惚れて天狗になってつんとしていると思われているとしたら、それは全く違います。逆に、そういったオメデタイ性格だったらどんなに人生が楽だったろうと思います。ただ単に、もともと愛想笑いがうまくできないだけなんですよ。生まれつきこういう顔なんです。いつでもどこでもニコニコする芸当なぞ私には至難の業なんですよ。人生後半になっても、ついぞ身につかなかったんです。
 負け惜しみかもしれないが、最近になって私のような無愛想な性格も、場合によってはいいこともあると思うようになった。
 ──こんな深刻な問題を話し合っているのに、なんで笑ってるの?
 テレビを見ているとき、キャスターやコメンテーターに向かってそう言いたくなることが増えた。常に笑顔でいることが良いことだと思っているのかもしれないが、時と場合によるんですよ。
 デビュー作『竜巻ガール』が刊行されてしばらく経ったある日、「市長に表敬訪問をする段取りをしてあげるよ」と、親戚の男性が言ってきた。
 シチョーって何? ヒョーケーホーモンとは?
 漢字が思い浮かばないほど、自分の生活圏にはない単語だった。
 そもそも実家がある市の市長って誰なのか。
 そんな知らない人に会って、何をするの?
 私が小説家になったのは、ごくごくプライベートなことであって、早い話が職業選択の一つに過ぎないという意識しか私にはなかった。それなのに、私と市長とどういう関係があるのか。
 親戚の男性と電話で話すうち、彼は市長に会うことをこの上ない名誉なことだと思っていることに気づき、私は心底びっくりした。
「表敬訪問とかいうやつ、私はやるつもりはないですから」と、きっぱり断った。
「遠慮することはないんだよ」と彼が言う。
 いったい私が誰に遠慮するのか。全くわけがわからない。 
「とにかく俺が表敬訪問の話をつけてやるから心配しないでいいから」
「本当に結構ですから」
 もう嫌悪感でいっぱいだった。
「なんで断るの? 意味がわからないんだけど」と彼が言う。
 押し問答が続いた。何度断っても、私が「恥ずかしがっている」だとか「遠慮している」と彼は思うらしく、私が本気で嫌がっていることがわからないようだった。
「そういうの、本当にやめてもらいたいんですってばっ」
 最後に私が強く言い放ったことで、やっと会話が終わった。
 つい先日、高瀬隼子著『うるさいこの音の全部』を読んだ。共感しすぎて、「そうそう、そうなのよっ」と、何度も声を上げそうになった。
 この小説の主人公は、著者と同じく芥川賞を取ったばかりの女性だ。主人公が住む東京の一人暮らしのアパートに、実家のある市の市長からいきなり祝電が届く場面がある。なぜ市長が私の住所を知っているの? いったい誰が教えたの? 主人公の女性はだんだん気味が悪くなってくる。
 田舎は個人情報に対して本当に無防備だ。私もデビュー作が刊行されたとき、市のホームページに私のことが載ったのだが、実家の住所が記載されていて死ぬほど驚いたのだった。東京に住んでいる私と、大阪に住んでいる姉は、その異常さにびっくりしたのだが、田舎に住む母には、それがなぜいけないのかがピンとこないようだった。
 すぐに市役所に連絡して削除するよう要請したが、市役所の人も、私がどうしてこんなに怒っているのかが理解できずに戸惑っていた。
 高瀬氏の小説では、主人公に様々な依頼が舞い込む。ファンミーティングを開いてほしいだとか、講演会を開いてほしい、コラムを書いてほしい、などだ。その状況も全く私と同じである。
 ──出版社を通してほしい。
 主人公はそう言いたいのだ。それは当然のことなのに、「かっこつけやがって」と非難されそうで言い出せない。有名になると、賞賛の対象になると同時に、ちょっとしたことで非難の対象にもなってしまう。自分に対する周りの目がどんどん厳しくなってくる。だから思ったことが言えなくなる。 
 この主人公は、そういったことが積み重なり、もう生まれ故郷に戻りたくないとまで考え始めるのだ。
 このSNSの時代において、精神がやられることも多いから要注意だ。誹謗中傷が原因で自殺した人は、今や世界では数えきれないほどになっている。
 ──陰口なんて気にしなくていい。いちいち深刻に考えていたら身がもたないでしょ。みんな無責任に軽口を叩いているだけなのよ。
 たぶん、芸能人などの有名人たちは互いにそう慰め合って精神状態を保っているのではないかと推察するが、いやはや大変な時代になったものだ。
 私は今でもときどき、小説家になったことを誰にも言わなければよかったと激しく後悔するときがある。
 タイムマシンに乗って、双葉社の小説推理新人賞をいただいた時点に戻れるならば、友人知人はもとより、実家にも絶対に秘密にすると決めている。

 

(第12回へつづく)