第五話 だいすき
山は冬の眠りから覚め、そちこちの枝に新芽が顔をのぞかせております。
春の日差しをうけて、ここ一条神社の竹林でもまどろむように葉擦れの音がさらり、さらり。猫にとっても幸せな季節でございます。
おや、香ばしい匂いがただよってきましたね。どうやら、巫女である汀子が境内でまた節約に励んでいるようです。兄で神主の雅臣が冬に伐採した枯れ竹や枯れ枝などを捨てずにとっておき、年末に準備した御焚上用の穴をつかって、ご近所からいただいた採れたてのタケノコを焼いているのですよ。ほんの少しでも食費を浮かせようという地道な努力なのです。
え? SNSの効果で参拝客は来ないのかですって?
もちろん汀子の日々の投稿のおかげで、訪れる人たちの数も順調に増えてはいるのですよ。加えて初詣のお賽銭や神主である雅臣の出張祈祷のお布施、兄妹の窮状を見かねた氏子の皆さんの御寄進もあって、どうにか汀子も学費の用意ができたのです。通りの案内看板だって新調したほどです。
しかしながらご覧ください、この本殿を。相変わらずの破れ具合。いえ、さらにひどくなっているかもしれません。
なにしろ、雅臣が以前にも増して時帰りを渋るようになっているのです。そのたびにくだる神罰の数々はときに過酷で、屋根が残っているのが不思議なほどなのですよ。せっかくの蓄えも、本殿の修繕費としてどんどん消えてしまうのです。
兄妹を気にかけて、材木座で居酒屋を営む親戚がときどきおすそ分けをしてくれなければ、ずっと山菜とタケノコ料理が夕食の席に並んでいたかもしれません。戦時中がしのばれる食事じゃありませんか――おっと、これはつい大昔のことを。ほっほっほ。
おや、タケノコが焼きあがったようですね。
アルミホイルの包みを開けると、焦げめのついた黄金色の身がしっとりと姿を現し、同時に香ばしい匂いがあたりに散っていきました。見るからに美味しそうな様子を目にしても、汀子の表情は浮かないまま。
やはり、兄のことを心配しているのでしょうか。あいかわらず、毎日のように悪夢にうなされているのですから無理もありません。ふたりきりの兄妹ですもの、さぞかし心が痛むのでしょう。
それでも私は思うのですよ。
繰り返し、繰り返し目の前に現れる出来事は、それがどんなにつらいことであっても、もう乗り越える準備ができたという合図なのだと。
だから汀子、きっと大丈夫です。大丈夫ですからね。
「はぁ、今月も赤字かなぁ」
――にゃ?
*
今日は、久しぶりに参拝客が汀子の夢にでてきた。どれくらい久しぶりかといえば、かれこれ一ヶ月ぶりにもなる。
このまま夢のお告げがなかったら、いよいよ廃神社になるしかないと覚悟をしていたから、心の底からほっとして本殿で待ち構えているところだ。
「今度こそお金持ちがやってきて、お布施をたんとはずんでくれますように」
聖神様に柏手を打ってお願いする。
白足袋の生地の下から冷気が這いあがってきた。外は春うららなのに、である。本殿の内扉を閉め切ってもなぜか暖かくはならず、先ほどから両手を擦りあわせている。
「これもご神罰なんですか、神様?」
呻きながらご神体の鏡を見つめても、いつものごとく返答はない。
猫のタマも寒さがこたえるのか、ここ数日、明るいうちはほとんど外で過ごし、室内にいるときは汀子や雅臣のそばを離れようとしない。かわいそうで、いつもより念入りに毛を梳いてやった。
「小腹が空いちゃった」
先ほど焼いたタケノコを食べようかと思ったが、もう飽きてしまい食指がうごかない。
いとこが哀れんでプレゼントしてくれたダウンのポケットに手を入れ、ガラスの向こうを眺めた。
薄曇りの空がいつの間にか晴れて、境内に日の光が注いでいる。
夢では境内いっぱいに日が差していたから、きっともうすぐ聖神様の呼んだ参拝客が現れるはずだ。
「にゃあん」
折しもタマが立ち上がってのびをした。
「もしかして迎えにいってくれるの?」
汀子の声に答えるかわりにしっぽをピンと立てて、タマが戸口へと向かっていく。
「それじゃお願いね」
声をかけながら引き戸を開けてやると、するりとでていった。
視界の隅では、目にくまをつくった雅臣が境内を掃き清めている。きちんと眠れていないことは知っているけれど、指摘すると「快眠だ」と意固地になるから知らんぷりを決めこむしかない。
心療内科とか、すすめたほうがいいのかな。
明け方にそっと様子をのぞきにいくと、必ずといっていいほど汗を掻いてうなされていて、そのうなされかたが日に日にひどくなっているようだ。
しゃっしゃっと箒が地面を往復する音が、霞んだ空にのぼっていく。先ほどから同じ場所ばかり掃いていることを、雅臣は知っているのだろうか。
小さなため息をつき、汀子は引き戸を閉めた。