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第四話 永遠の縁日(承前)


「――らと、起きられる?」
 つぎに空斗が目を覚ましたのは、母親に揺り起こされたときだった。
「ん?」
 夢うつつのまま半身を起こすと、母親がスマートフォンを手にしてのぞきこんでいる。
「どうしたの。今何時?」
「六時くらいだよ。ほら、大地君から電話」
「えっ」
 ベッドから跳ね起きようとしたけれど、実際にはのろのろと起き上がっただけだ。
「大地? 大地なの?」
 小さな画面の向こうに、夏祭りの夜が広がっている。
「うん、そう。俺だよ」
 次の瞬間、風景がぐるりと回転し、画面の中心に大地が現れた。スピーカーからにぎやかなお囃子はやしの音や楽しそうな人の声があふれだしてくる。
「今日、行けなくてごめん。ほんとにごめん。ぼく、あんなに約束したのに」
 二度も約束を破ってごめん。
「仕方ないよ。それより具合は大丈夫なのか?」
 大地が、画面いっぱいに心配そうな顔を映す。
「うん。まだちょっと体は重いけど、さっきよりよくなった」
「そっか。空斗こそ残念だったな。今日は来られなかったけど、お面を選んでもらおうと思って。ほら、どれがいい?」
 大地が歩いて、お面がずらりと並ぶ屋台の前に移動してくれた。
 なんだか風邪菌をやっつけられそうな気がするくらい、胸がじんと熱くなる。
 画面がゆっくりと横にスライドしていく。戦隊ヒーローもののお面や、妖怪、少女向けアニメのヒロインのお面、恐竜。電話がうれしくて、少女向けのお面でも喜んでかぶれそうだった。
「どれか気に入ったのある?」
「あ、ちょっと止まって。少し手前に戻って」
「こう?」
「うん。ぼく、そのドラゴのお面にする」
「オッケー。じゃあ、俺はジラゴ」
「――うん」
 大地の選択に、自然と口の端が上がった。ドラゴは人気アニメのヒーローに使役される子どもの竜のキャラクターで、ジラゴとはいつもいっしょに活躍しているのだ。
「ごめん、大地。一回スマホを返して」
「悪い。真穂がスマホを使うって。またすぐかけるから」
「空斗、ちょっとだけごめんね。友だちにメッセージ送ったらすぐ返すから」
 真穂の声を最後に、通信が途切れた。
 急に部屋の中が静まりかえったけれど、胸の中はすっかり軽くなっている。
 でも、やっぱりいっしょに行きたかったな、夏祭り。
 少しお腹がすいて、階下へと降りる。
「おかゆでも食べる?」
 母親に尋ねられ、こくりとうなずいた。
「今ごろみんな、たこ焼きとか焼きそば、食べてるかな」
「そうね。今夜は残念だったね」
「ん」
 もう作ってくれていたらしく、おかゆはすぐに出てきた。空斗の好きな溶き卵の味つけだ。ふうふうと冷ましながらゆっくりと口に運ぶ。体が汗をかきはじめている。ようやく熱が下がってくれそうだ。
 きれいにたいらげたあと、デザートのゼリーまで食べきった。リビングのソファでぼんやりとテレビを見ていると、玄関のチャイムが鳴る。
「は~い」
 母親が出ていった。時刻は午後七時半。もうすぐ花火が打ち上がるはずだ。
 みんなで、いっしょに見るんだろうな。
 じっとテレビ画面に集中しようとするのに、ぜんぜん内容が入ってこない。その代わり、聞こえないはずの声が玄関のほうから響いてくる。
「あれ、なんで」
 つぶやいたのと同じタイミングで、母親がリビングから顔を出した。
「大地君がわざわざお見舞いに来てくれたよ」
「えっ」
 急いで椅子から立ち上がっても、さっきのようにふらつきはしなかった。母親が「おっと」と空斗の襟首をつかむ。
「風邪をうつすといけないから、話すなら二人ともマスクをしなさい。部屋の窓も開けて、あんまり近づいちゃだめだからね」
「わかった」
 母親が差しだしたマスクをひったくって、玄関へと急いだ。
「おっす」
 大地がニカっと笑って立っている。すでに靴まで脱いで上がりこんでいた。
「はやっ」
 言いながら、慌ててうつむく。急に鼻の奥がつんとしたから。
「もうすぐ花火はじまるからさ、二人で見よう。空斗の部屋からなら、たぶんきれいに見えるだろ」
「そういえば、そうだね」
 いつも神社のそばで見ているから考えたこともなかったけれど、そういえば空斗の窓は花火の上がる西の方角に向いている。
 二階へ先に上がる空斗の背中を大地が押してくれる。部屋に上がるときはいつもそうだ。けれど、もうすぐこんなふうには会えなくなる。
「どうかした?」
「あ、いや、なんでもない」
 ダメだ。大地は今夜を、いつもの夜みたいに過ごそうとしてるんだ。来年も同じように夏祭りがくるような、ふつうで特別な、夏祭りの夜みたいに。
 大きく息を吸って笑顔をつくり、部屋へと入る。
「もうはじまるから、電気はつけないほうがいいかな」
「そうだな」
 大地がうなずいたのと同時に、ちょうど西の空に光の球がのぼっていくのが見えた。
 空いっぱいにオレンジ色の花が咲き、少し遅れてドドンと大きな音が鼓膜をふるわせる。
 背負っていたリュックサックの中から、大地がさっきのお面を取りだした。
「あ、ドラコのお面。サンキュー」
 さっそくかぶってみせると、大地も鏡のように同じ動きでジラゴのお面をかぶる。お互いを見て、どちらからともなく笑いあった。
 花火が、つぎつぎに空へと打ち上げられていく。お面を額の上にあげて、二人で窓際からじっと眺めた。何かを言わなければと思うのに、どんな言葉もぴったりではない気がして、なにも言えない。大地も、口を閉じたままだ。
 風に運ばれてきた火薬の匂いが、二人を包みこむ。ドドン、とお腹に響く花火の音が、この時間の終わりを告げるようで胸がぎゅっと苦しくなった。

 

(第27回につづく)