第四話 永遠の縁日(承前)
自転車のペダルを漕いで、漕いで、練習場へ、いや、大地のもとへと急ぐ。
やがてタイミングぴったりに、道のずっとずっと向こうに小さく見えてきた姿に気づいた。
「大地っ」
左手をハンドルから離して大きく振る。
「空斗ぉ」
手をぶんぶんと振りながら、大地もこちらへと近づいてくる。
セミの声が、やけに頭のてっぺんにしみる。風は涼しいのに、額がかっかする。
ふらふらと自転車が揺れ、慌ててブレーキをかけた空斗のもとに、曲がるはずの角を素通りして大地が近づいてきた。
「やば、空斗。大丈夫か。顔がすっげえ赤いぞ」
大丈夫だって。早く練習に行こうよ。
答えようとするのに、ぜえぜえと息が切れるばかりでうまくしゃべれなかった。
目を覚ますと、部屋のベッドに横たわっていた。
ぼうっとする頭に、だんだんと記憶がよみがえってくる。
「そっか、ぼく――」
あのあとしゃがみこんじゃって、大地がうちに連絡して、お母さんに連れ帰ってもらったんだっけ。
二人でできる最後の練習だったのに。
天井を見つめていると、うっすらと視界がにじんできた。
勉強机の上に、大きな水筒とマグカップが載っている。母親が置いていってくれたのだろう。
布団をかけて眠っていたのに、まったく汗をかいていない。まだ熱が上がるのかもしれなかった。
水筒から氷水をカップに注ぐ。一杯目をたちまち飲み干してしまい、二杯目を注いで喉に流しこんだ。
いっしょに野球はできなかったけど、夕方までにぜったい治すんだ。
言い聞かせる自分の声が、みっともなく焦っている。
どうしよう、今夜のために戻ってきたのに。熱で行けないなんてそんなのサイアクだ。
三杯目の水を無理に喉の奥へと流しこんだあと、カーテンを開けて動きが止まった。もう太陽がかなり西へと移動している。急いで目覚まし時計を確認すると、午後四時をとっくに過ぎていた。
「うそだ」
ふらふらとベッドに戻り、背中から倒れこむ。
「うそだ、うそだ、うそだっ」
肘でマットレスを打ちつけようとするのに、うまく力が入らない。
待ち合わせまであと一時間。体はまだかなり熱っぽい。
無理に立ち上がって、一階へと降りる。
「目が覚めたの? どう、具合は」
リビングで洗濯物をたたんでいた母親が声をかけてくる。ドアから顔をのぞかせて尋ねた。
「すっかり元気。そろそろ行かなくちゃだよね」
「かわいそうだけど、今日は連れていけない。お母さんも残るから、空斗は家でおとなしくしてなさい」
「そんなのダメだよ。今日はぜったい家族どうしで行こうって、大地と約束したんだから」
母親が眉尻を下げる。
「大地君もお大事にって言ってくれたよ。事情はわかってるから大丈夫」
「そんな――陸とお父さんは?」
「もう先に出たよ。大地君と真穂ちゃんともうすぐ合流するころかな」
「じゃあ、ぼくも今から追いかける」
着替えるために二階へ戻ろうとして、ふらりと体がかたむいた。
「そんな体調じゃ、朝と同じで神社につく前に倒れちゃうでしょ。今夜は家にいて。また来年いっしょに行けるから」
「来年なんてないよ」
叫んだつもりが、弱々しい声しか出ない。
階段を駆けあがりたいのに、のろのろとしかのぼれない。体の重さが二倍になったみたいに、床に引っ張られる。
部屋に戻るなりベッドに倒れこんで、軽くうなった。
ぼくはなんのために過去に戻ったんだ? 熱を出して大切な夜に寝込むため?
悔しさで、さらに頭に血がのぼっていく。
けっきょく、約束を守れなかった。こんな自分を、今回も大地は許してくれないだろう。引っ越して、それっきりになってしまうに決まってる。
母親から引っ越し先の住所を聞いて、何通も手紙を出して、なのに返事はひとつも来ない。電話をしても居留守を使われ、話すこともできなくなる。
耳の奥で、雅臣の声がよみがえった。
――現実がよくなるとは限りませんからね。
あの神主さんの言うとおりだった。ぼくは、時帰りに失敗したんだ。
ぐったりとして目を閉じると、いつしか眠りに落ちていた。