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第四話 永遠の縁日(承前)


「わああああああ」
 お腹の中がなんともいえずくすぐったい。すぐ耳元でごうごうと風が鳴るのに、鳥の羽根のようにふわふわと舞い降りているような感覚しかなかった。
 あたりに目をこらしても、光の濃いところや薄いところがほんのかすかにあるだけで、どこまでも似たような空間がつづいている。ゆりかごに揺られているようで緊張がだんだんとほぐれ、ついには眠気までおそってきた。
 うとうととして目を閉じそうになったその時だった。
 ぽすんと、おしりからどこかへ着地した。
「あれ、ここ――」
 驚いて見上げた空は、だいだい色のクレヨンをたっぷり溶いたように濃く染まっている。たてにもくもくと積み重なった金色の雲たちが悠々と泳いでいた。

「空斗、大丈夫か? つぎのつぎ、打席だぞ」
「えっ」
 肩をびくりとさせたあと、声のほうへゆっくりと向きなおる。
「大地。ほんとに大地なのか」
「なに言ってんだよ、当たり前だろう。さっきスライディングしたとき、頭でも打ったんじゃねえの?」
 ケタケタとお腹を抱えている懐かしい姿に、視界がにじんでいく。
 今は、所属している野球チームの練習中らしい。もう夕方、ということは練習も終わりに近いのだろう。
 過去だ。ほんとに戻りたかった過去に戻ってる。
 夏休み中は、ほぼ毎日特訓があるせいでチーム全員が日に焼け、子どもたちでぎゅうぎゅうのベンチは、どろ団子が並んでいるようだった。
 記憶にあるのとそっくり同じ光景が、あたりに広がっている。
「こら、空斗、急いでグラウンドに出て」
 コーチにかされ、慌ててベンチから立ち上がる。
「塁に出ろよ。俺がぜったい帰すっ」
 大地が親指を立てたあと「なんちゃって」とおどけてみせた。
「うん、まかせて」
 そうだ、この日の練習のあと、「いっしょに行けない」って言ったんだ。
 そのあと、もう二度と会えなくなるなどとは思わずに――。
 もうあんなバカなことは言わない。ぜったいに大地と、二つの家族全員で、いつもの年と同じように明日の祭りに参加するんだ。
 すんなり受け入れるとは思えない兄の顔が思い浮かんで、心臓がきゅっと縮んだ気がしたけれど、きっと説得してみせる。
 いつになく引き締まった表情でネクストバッターズボックスに立った空斗を見て、コーチが「おお」と目を見開いた。

 空のだいだい色が、ほとんど金色に見えるほど淡くなった。
 家路をたどる空斗と大地の影は仲よく並んで細長くのびているけれど、それでもだいぶ薄くなっていた。
「明日のお祭り、楽しみだな」
「うん。ぜったい家族みんなで行こう」
 大地に向かって笑いかける。なるべく普通の態度でいようと思うのに、ぎこちなくなってしまった。
 横目で懐かしい姿をちらりと盗み見た。
 どこか心細そうに見えてしまうのは、これから何が起きるのかを知っている未来の自分だからだろう。
 あの日のぼくは、何も気がつかなかった。だから「今年はいっしょに行かない」なんてばかなことを言えたんだ。
 それにしても、このときの大地は、たしかに引っ越しのことを知っていたはずだ。それでも何も言わなかったのはなぜなんだろう。
 ぼくは大地の親友だ。ほんとうは、誰よりも先に伝えてほしかった。
 大地の気持ちを聞きたいのに、口がうまく動かない。そもそも、自分が大地の秘密を知っている理由を、どう説明すればいいのかもわからない。
 ほんの少し黙ったあと、大地がいつになくはしゃいだ声を出した。
「いろんな出店、攻略しようぜ。まずは射的だな。去年は二人ともなんにも倒せなかったけど、今年は行けそうな気がする。あとは、金魚すくいと型ぬきに挑戦して」
 はしゃがなくちゃ、大地といっしょに。ぼくはなんにも知らないんだから。もう引っ越しちゃうなんて知らないんだから。
 重い気分を吹き飛ばすように大きく息を吸って、空斗は大地の腰にタックルを決めた。
「わ、なんだよ、とつぜん」
「大事なこと、忘れてない?」
「ええ? なんだっけ。あ、たこ焼き?」
「たこ焼きもたしかに大事だけど、それより、お面だよ、お面」
「ああ、去年、射的におこづかい使いすぎて買えなかったやつか。空斗、すっげえ泣いてたよな」
「大地だって」
 お互い、顔を見合わせて沈黙したあと、笑いころげる。
 このまま、夏休みが終わらなければいい。時帰りしたこの日を永遠に繰り返せたらいい。
 二人とも同時に目のはしををごしごしとこすったのは、きっと笑いすぎたせいだ。
 いつも以上に、ゆっくり、ゆっくり歩く。
 せっかちでいつも空斗を急がせるくせに、大地はずっと、空斗と並んでゆっくり歩いていてくれた。

 

(第22回につづく)