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第四話 永遠の縁日(承前)


 とがめるように鳴いた猫も、あとを追って本殿の中へと消えてしまった。
 ぽかんと突っ立っていると、また別の声がする。 
「いらっしゃいませ。わあ、待っていたよ」
「え?」
 声の主は、先ほどの神主に負けず劣らずきれいな顔立ちの女性だった。白い羽織に赤いはかまをはいているということは、巫女だろうか。
 巫女は、戸惑う空斗のところまでずずっと迫ってきて、ぱっと腕をつかんだ。
「さ、どうぞどうぞ、寒かったでしょう。こちらであたたまってね。といっても、暖房のききが悪いんだけどね。誰かさんの設計のせいで」
 なぜか本殿に向かって大声で告げたあと、巫女は、今出てきた建物の中へと空斗を強引に招き入れた。
「あ、あの?」
 入り口にあった看板によると、『こよみ庵』というらしい。おんぼろな本殿と比べて、かなり見栄えのいい建築物だ。
 店内に足を踏み入れたとたん、木の香りがふわりと空斗を包む。それに、窓一面に竹林が広がる景色は大迫力だった。
 SNSにもここの写真が載っていた。だからこそ、本殿も同じくらい新しくてきれいなんだろうと思っていたのに。
 戸惑ったまま入り口の向こうを振り返る。さっきと同じように、本殿が息も絶え絶えといった風情ふぜいで建っていた。
「何を考えているかはわかるつもりだよ。でも今はとりあえず座って。こんな山奥まで来て疲れたでしょう。さ、さ」
「ありがとうございます」
 竹林に向かって腰かけ、足をぶらぶらさせながら店内を見回した。
「すごい竹の数でしょう。春になったら、タケノコがたくさん生えてくるよ」
「――知ってる」
 それもあいつが、教えてくれたから。
「そ、そっか。ねえ、名前、教えてくれる?」
 いつの間に用意したのかお茶の入ったコップを置いて、巫女さんが尋ねてきた。
「えっと、空斗。風岡かざおか空斗」
「わあ、なんだかかっこいい名前だね。私は若宮わかみや汀子だよ。この神社で巫女をしてるんだけど、本業は大学生なの。空斗君は小学――」
「三年生」
「そうなんだ。今日は遠くから来てくれたの?」
「東京からだから、別にそんな遠くないよ。電車、好きだし」
 まるで幼稚園児にたいするような話しかたに少し反発したくなった。春になれば空斗だって四年生で、夏には十代に突入する。
 少しきつい口調にも、汀子はまったく気にする様子もなく機嫌よく話をつづけた。
「ねえ、お抹茶って飲んだことある? もしよければごちそうさせて。苦いのが苦手なら、ココアとか、あとは昆布茶とかもできるよ?」
「え、でもここって抹茶処なんでしょ。ココアなんてあるの」
「そんなこと気にしないで。苦いのは思い出だけで十分、なんちゃって。どう?」
「ううん、抹茶、飲んでみる。あと、お金もちゃんと払います」
 ほんの一瞬、ぎらりと瞳を輝かせたあと、汀子はうなずいて店の奥へと引っこんでいった。
 なんかあの人、アニメに出てくる妖怪みたい。
 去っていく背中を見送ったあと、竹林へと視線を戻す。
 こういうとこ、あいつと来てみたかったな。今ごろどうしてるんだろ。
 ガラスの向こうで竹林が揺れている。窓際から冷気が伝わってきて、空斗はぶるりと背をふるわせた。
「ね、ここに来てくれたってことは、もしかして後悔していることでもあるの?」
 抹茶と和菓子をお盆に載せて、汀子が戻ってきた。
「どうしてそんなことがわかるの」
「う~ん、ここの神様ってほら、時間の神様でしょ。何か後悔していることのある人がよくお参りにくるから。SNSでもそういうアピールをしてるし」
「あ、ぼく、その投稿を見たかも」
「もしかして、うちの投稿をチェックして来てくれたの?」
「うん、そう」
「うれしい。がんばって撮影してるかいがあるなあ」
 汀子の笑顔はどこまでもやさしげだ。それでも空斗はなぜか、身の危険を感じた。オオワシのような猛禽もうきん類に見つかった野ネズミも、こんな気持ちになるのかもしれない。
 視線をさまよわせていると、汀子がさらにたたみかけてくる。
「後悔してることがあるなら、もしかして、過去に戻りたいなんて思ってない?」
 ドクンと心臓がはねた。
 どうしてそんなこと、言うんだろう。
 言い当てられてどぎまぎしたまま、言葉が勝手に口から飛び出していく。
「毎日思ってるよ。ぼく、すっごく後悔してることがあるから」
 言いながら、視界がじわりと濡れた。
 差しだされた紙ナプキンで顔全体をぬぐうと、汀子が真剣なまなざしをこちらに向けている。大きな瞳に身体ごと吸いこまれてしまいそうだった。
 この人はこんなにきれいなのに、どうしてちょっと怖いんだろう。
「わたしが、ううん、わたしと神主のふたりが、空斗くんを戻りたい日に戻してあげられるって言ったら、信じる?」
 唐突に、汀子が言った。表情は真剣だけれど――ぜったいに空斗をからかっている。それとも、下手な冗談でなぐさめているつもりだろうか。もう、そんなファンタジーを信じられるほど子どもではないのに。
「そんなのできないに決まってるでしょ」
「だよねえ。でも、信じてほしいんだ。もし事情を打ち明けてくれたら、きっと空斗君を過去に戻してあげられる。ね、お兄ちゃん」
 汀子が振り返った先には、いつの間にかさっき出会った神主が、不機嫌な顔で立っていた。
「いきなりそんなことを言われても。かんじんの空斗君だって、戸惑っているようですし」
 神主の言うことはまともだ。
「そうだよ。アニメだったらできるけど、現実でそんなこと無理に決まってるよ」
 だから、ぼくはこんなに苦しんでるっていうのに。
 空斗の疑いのまなざしを軽く受けながしつつ、汀子がつづける。
「まだ習っていないだろうけどね、事実は小説より奇なりっていう格言があるの。現実の世界では、人が想像もしなかったような変わったことが起きるってこと。ね、とりあえず話すだけ話してみない? きっと力になれると思う。お兄ちゃんも話を聞くことぐらいできるでしょう」
 神主がため息をついたあと、空斗の腰かける窓際の席までやってきた。
「若宮雅臣です。さきほど、境内でお会いしましたよね」
 雅臣の瞳は、汀子のそれに輪をかけて引力が強かった。暗い熱をおびて、ブラックホールのように空斗を引き寄せる。
 なんだろう、この人たち。やっぱり怖い。
「お・に・い・ちゃ・ん。顔が恐すぎ」
「顔なんてどうだっていいでしょう。それより、俺はもともと時帰りなんて反対なんです。特に、君のような小さな子が時帰りなどしても、ろくなことにならないと思っています」
「だから、声も恐いってば。ごめんね、空斗君。こんなこと言ってるけど、ちゃんと話を聞くから。ね、私たちに打ち明けてみない?」
「いいかげんにしたほうがいい。空斗君だってぜんぜん乗り気じゃないのに、なぜ無理に時帰りを勧めるんだ」
 雅臣の声は淡々としていたが、怒りはしっかりと伝わってきた。担任の岡崎先生も静かに怒るタイプだからよくわかる。
 それに、空斗もいいかげんにムカついていた。
 二人は、いつまでこんなふざけたお芝居をつづけるつもりなんだろう?
「まさか、本当に過去に戻れるなんて言わないよね」
「信じて。ほんとに、ほんとに戻れるから」
 ものすごく返事が軽い。
「汀子、子どもの時帰りは本当に危険なんだ。これ以上言ったら――」
 抗議しようとした雅臣の声を、汀子がぴしゃりと止めた。
「お兄ちゃんは黙ってて。このあいだもお告げを無視しようとして、賽銭箱の底に穴が空いちゃったこと忘れたの? 無理に勧めようとしているのは私じゃなくて、聖神さまなんだってば」
「う」
 声につまった雅臣が、大きなため息を漏らして空斗を見つめた。その瞳は相変わらず強い引力があって、とても嘘をついているようには見えない。
 もしかして、本当のこと、なのかな。
 二人を交互に見てみる。どちらも、これまで出会った人たちとはどこか違っていて、この世の存在ではないみたいだった。
 やっぱり怖い。けれど、この人たちならもしかして本当に――?
 二人に感じる違和感の正体が、アニメの世界でしか起きないような奇跡につながっている気がして、空斗はひゅっと息を吸った。それに、頭の中で今も暴れつづけている記憶が、どうにかして外に出たがっている。
「ぼく、話す。話したい。お兄さんもお姉さんも聞いてくれる?」
「もちろんだよ。ね、お・に・い・ちゃ・ん」
 汀子の横で雅臣は無言だったが、ダメとも言わなかった。

 

(第20回につづく)