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 翌土曜日、葛城は秋葉原駅電気街口に立っていた。都知事選の最終日、笹川と福海は相次いでここを訪れる予定だ。

 家宅捜索の結果、件の部屋からはステンレス鋼の欠片が採取され、分析すると銃弾に付着していた金属片と見事に成分が一致した。これで「高中圭」が未詳Xであると立証された訳だが、もちろん高中某が本名であるとは捜査員の誰も思っていない。正式な賃貸借契約ではなく、又貸しなのだからいくらでも虚偽が通用する。未詳Xの特定には陳の証言が不可欠だった。

 ところが肝心の貸し手である陳との連絡が未だについていない。一方で都知事選候補者の警備にも増員が必要であるため陳との連絡は宮藤に任せ、葛城は街頭演説の場所に赴いた次第だ。

 現在時刻は午前八時五十分。この日一番目の登壇者となる福海が十分後に演説を始める。彼もしくは別の候補者が狙撃される前に未詳Xの身柄を確保できるかどうか、捜査本部は圧倒的に不利な状況に立たされていた。

 葛城が装着しているヘッドセットには現場で指揮を執るSATの新見班長、そして宮藤の両方から受信できる仕様になっている。

 頼みますよ、宮藤さん。何とか陳から決定的な情報を引き出してください。

 焦る葛城たちを尻目に、福海を乗せた選挙カーが到着する。集まった数百人ほどの聴衆に拍手で迎えられ、選挙カーの上に立った福海は第一声を放つ。

『日本文化の発信地アキバにお集りの皆さん、都知事選候補の福海、福海誠也でございます。本日は最後のお願いに参りましたあっ』

 告示から今日まで声を出し続け、さすがに艶はなかったが嗄れてもいない。首長の座を狙うには気力や胆力以上に体力が必要なのかもしれない。

『選挙戦、残すはあと数時間であります。皆さんは誰に一票を入れるか、もうお決まりですか。この場にお集りの方々の多くは福海誠也の名前を書いていただけるでしょうが、まだお悩み中の有権者にこそ聞いていただきたい話があります。今からする話がそうです』

 若き挑戦者の演説には相応の突破力があって然るべきだが、現職である笹川の泰然とした口説には今一歩及ばない。本人も自覚しているからか更に熱弁を振るうが、張り切り過ぎて空回りしている感が拭えない。

 葛城は周辺を見回す。電気街口はそのまま電気街が広がる中央通りに直結しており、両側には新旧のビルが建ち並んでいる。

 ただし超高層ではなく、せいぜい八階程度のビルだ。屋上からでも充分に標的を狙える位置にある。無論、ここぞという地点には既にSAT隊員が配置についており、未詳Xが割り込む隙もない。

 SATの中に未詳Xが紛れていない限りは。

『現職の笹川都知事、今やセクハラとパワハラでスキャンダルのデパートと化してしまいました。政治手腕と人となりは別だという意見もありますが、わたしはそうは思いません。国や個人に品格があるように、政治にも品格があるのです』

 意気軒昂を装っているが、目だけは怯えを隠しきれていない。これだけ警備が厳重であっても、どこからか狙撃犯が狙っていると慄いているのだろうか。

 

 

 

 ようやく現れたか。

 照準の中心に福海の姿を捉えた未詳Xは内心でほくそ笑んだ。今はまだ選挙スタッフや警察官が照準内を行き来して邪魔をしているが、演説が長引けばいずれ落ち着く。それまでしばらくの辛抱だ。福海とまみえるまで十年以上も待った。今更数十分待つことなど何でもない。

 この期に及んでも未詳Xの呼吸は安定している。昂りもしなければ緊張もしていない。明鏡止水という言葉はいささか使い方が違うが、心穏やかという点では一緒だ。未詳Xはかつてないほどの冷静さで標的を見つめている。

 爺っちゃん。

 射撃の全てを教えてくれた爺っちゃん。

 見ているか。

 今、仇が手の届くところにいる。あいつの命は自分の人差し指一本が生殺与奪を握っている。何という悦楽、何という優越感だろう。都民の代表だと偉ぶっているが、あいつはその程度の価値しかないのだ。

『国や個人に品格があるように、政治にも品格があるのです』

 奇遇にも同じことを考えた。だからお前のように、老人を押し退けてまで生き延びようとする卑劣なヤツは人の上に立つべきではない。世論調査では現職の笹川が一歩リードしているが。当落など蓋を開けてみなければ分からない。まかり間違って福海が当選してしまったら、史上最悪の都政になる。後付けの理由になるが、福海を亡き者にするのは都政を護るという大義名分でもある。

 いや、誤魔化しはやめよう。

 都政も都民もどうでもいい。自分は爺っちゃんの仇を討ちたいだけだ。こうしてSATの一員になれたのも、神の思し召しに相違ない。

 爺っちゃんを死なせてからというもの、自分の人生はずっと後悔に苛まれてきた。あの年、夏祭りにさえ行かなければ爺っちゃんは死なずに済んだ。来賓に福海が呼ばれてさえなければ爺っちゃんは助かった。後悔と憎悪に彩られた人生がどんなものか、お前に想像がつくか。

『不肖この福海誠也、一千四百万都民の皆様のために身命を賭す覚悟であります』

 身命を賭す、か。いい言葉だ。

 だがお前の命は一千四百万都民ではなく、一人の老人のために捧げろ。それがバランスというものだ。

 未詳Xは照準を固定したまま、周囲にも注意を払う。同じチームの隊員たちが等間隔に並び、福海を狙う者を懸命に探している。犯人はすぐ横にいるというのに、灯台下暗しとはこのことだ。

 SATの訓練は決して楽なものではなかったが、それでもいつか爺っちゃんの仇を討てると思えば我慢できた。あの苦しかった日々がようやく報われる。福海を狙撃した直後、仲間は戸惑いながらも自分を捕縛する。裁判に掛けられ、自分には当然のように罰が与えられるだろう。だが、いったいそれが何だというのだ。

 違法だから罰せられる。

 だが福海も己の悪徳のために罰せられる。違いは、罰する者が国か個人かだけだ。

『人は死して麦になる。わたしも同じ気持ちです。わたしは命を懸けて都政に身を投じたい。どうか皆さんの力を貸していただきたい』

 いや、お前は決して麦にはなれない。

 ただの骸となり、腐敗して土に還るだけだ。

 未詳Xは人差し指を引き金に当てたまま、大きく息を吐いた。

 

 

 

『人は死して麦になる。わたしも同じ気持ちです。わたしは命を懸けて都政に身を投じたい。どうか皆さんの力を貸していただきたい』

 福海の演説も終盤に差し掛かっている。果たして未詳Xはこの光景を目にしているのか、いないのか。

「いいぞー」

「福海さーん、絶対一票入れるからー」

「期待してるぞー」

 仕込みなのか本物の支援者なのか、沿道からは福海を推す声が上がる。傍目には熱狂だが、警戒警備をする警察側にはひやりとした緊張が漂う。熱くなってはならない。透徹した目で周囲を観察し、冷静な判断力で狙撃犯を捉えろ。

 だが選挙カーを取り巻く聴衆の熱気は次第にボルテージが上がり、昂奮の度合いが高まっていく。

 選挙戦が始まってからというもの、挑戦者の立場にある福海の人気は日増しに上がっていった。一つにはスキャンダル塗れの現都知事に対する意趣返しもあるだろうが、福海の演説巧者ぶりも無視できない。内容の空疎さはともかく、聴衆を乗せるのがとにかく上手いのだ。

『あなたたちの子どもの未来を奪ってはならない。将来を摘み取ってはならない。はした金を得るために特殊詐欺に加担させるような未来を作ってはならない。全ては今、ここから始めなければならない』

『都知事を選ぶということは未来を選ぶことと同義なのです。この都市の舵取りをセクハラとパワハラ塗れの人物に任せてはいけない』

『あと一歩、あと一票なのです。誰に投票するか迷っているあなた。あなたの一票が東京を、そして日本を変えるのです』

『古い船を動かせるのは、古い水夫ではありません。わたしが、都政初挑戦の若い福海誠也が動かせるのです』

「よく言ったー」

「古い船を動かしてくれー」

「あんたに賭けたあっ」

 いよいよ聴衆の熱気が最高潮に達しようとしたその時、ヘッドセットに宮藤の声が飛び込んできた。

『こちら宮藤。聞こえるか』

「聞こえます」

『そっちは周りがうるさいな』

「熱狂の渦の中にいますからね」

『やっと陳と連絡が取れた。いけ好かない野郎だったが、評価できるところもある。又貸しをする際、契約書の授受だけでなく面接をしたそうだ。だから「高中圭」の顔を憶えていた』

 宮藤の声には明らかに昂奮が聞き取れる。

『前にも話したが、未詳Xの特性を挙げていくと、該当者は自衛官やSAT隊員に絞られていく。だから俺は知った顔数人分の写真を陳に送信してみた。ビンゴだった。陳はそのうちの一人が「高中圭」だとはっきり証言したんだ』

 聞いている側の葛城もぞくりとした。

『「高中圭」こと未詳Xは、そこにいるSATの』

 

 

(つづく)