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「氏家さんですね。お話は伺っています。どうぞこちらに」

 宇頭という女性隊員に誘われて窓に近い席に進む。そこに精悍な顔立ちの男が座っていた。

「はじめまして、新見です。こちらはくる

 新見はわざわざ立ち上がって氏家を迎えてくれる。桐島が雑な対応だっただけに、当たり前の所作がひどく丁寧に感じられる。

「来栖快彦よしひこです。よろしく」

 隣に座っていた若い隊員に至っては直立不動だったので、つられて氏家も背筋を伸ばしてしまった。警察官というよりも自衛官といった趣のある青年に見えた。

「いやいや、まだ入隊して間もないのですが、何とも堅苦しい男ですみません」

「いえ。早速ですが、外崎候補の狙撃事件に関して参考意見を伺いたくて参った次第です」

「鑑定に関わることであれば、我々はあまり適任ではありませんよ。時折銃身を分解整備することはあっても、基本的には狙撃能力に特化していますから」

「特化したスペシャリストだからこそお訊きしたいのです」

 氏家の表情から熱意を読み取ったのか、新見は険しい顔つきになった。

「センシティブな話であれば場所を変えましょうか」

 周りには他の隊員も大勢いる。新見なりの配慮だった。

「試射の必要があれば新木場の射撃訓練場にご案内しますが」

「いえ、その必要はありません。狙撃銃の感触について訊きたいだけですから。狙撃事件で使用されたのがウィンチェスター銃であるのは、お聞き及びですか」

「ええ。ずいぶん古風な銃を使うと思いました」

「因みにSATではどんな狙撃銃なんですか」

「豊和のM1500の他はSAT専用に改修されたH&K PSG1やアキュラシー・インターナショナルのL96A1といったところですね。M1500とL96A1はボルトアクション、H&K PSG1はセミオートマチックなので、ウィンチェスターのようなレバーアクションタイプはありません。狙撃時のブレを考慮すると、レバーアクションは連射に不向きなんです」

「狩猟以外ではあまり見かけなくなったと聞きます」

「ボルトアクションが手動式ライフルの主流になると、それよりも高価で機構が複雑なレバーアクションライフルは実戦向きではなくなったんです」

 新見は席を立つと壁際のキャビネットに近づき、『ライフル図鑑』なるタイトルの書籍を取り出した。開いたのはウィンチェスター銃のページだ。

「ウィンチェスターは一八六六年に製造を開始した銃で何度かモデルチェンジをしていますが、基本的な構造は変わっていません。特徴はレバーに装填口、銃身下部に設けたチューブラーマガジンです」

 機構が複雑になれは、当然部品点数も増える。部品点数が多くなれば故障する確率も高くなる。苛酷な環境が予想される戦場で用無しにされるのも当然と言えば当然だった。

「これだけ複雑なシステムになると、自作のライフルでは扱いが難しくなるでしょうね」

「自作のライフルというのはあまり聞きませんね。猟師が自分好みに多少のカスタマイズをするというのはあるかもしれませんが」

 不意に新見は来栖に顔を向けた。

「そう言えば、お前の身内に猟師がいるという話だったな」

「ええ。遠縁ですが」

「ウィンチェスター銃を見たことはあるのか」

「まだ自分が小学生の時分でしたので、危ないからと近づけてもくれませんでした」

「ふうん。まあ、それが当たり前だろうな。さて、自作のライフルの件でしたね。つまり自作のウィンチェスター銃で百メートル先の標的を狙撃できるかどうかという話ですよね」

「まさしく、その通りです。しかし最前からのお話を聞く限りでは、かなり難儀なようですね」

「そうとも限りません。要は慣れですよ」

 新見は立ったままライフルを構える仕草をする。

「自作ともなれば銃身のかたちも重量も違ってくるでしょうが、毎日射撃訓練を続けていればやがて身体が馴染んできます。重要なのは銃そのものよりも狙撃手の感覚です。標的を捉える際の姿勢、呼吸、トリガーを引く力、そしてタイミング。それらが合致しての狙撃です。無論銃そのものの精度も重要ですが、連射なし、単発の狙撃ならば自作の銃で不可能とは言い切れません。どう思う、来栖」

「自分も同感です」

「なるほど」

 氏家は二人に礼を告げて部屋を出る。狙撃のプロフェッショナルから訊きたいことは訊いた。後は銃弾に付着した異物を分析して、市販の銃の部品と一致するか否かを判断するだけだ。

 警備部のフロアから出たタイミングで、わずかな隙にスマートフォンを捜査していた葛城が話しかけてきた。

「度々申し訳ありません、氏家さん」

「何がですか」

「先刻、他の候補者たちは今日になって手を挙げた者がほとんどで、以前から立候補が確実視されていたのは現都知事と福海候補の二人だけという話をしましたが、あれは僕の早合点でした」

 葛城は自分のスマートフォンを差し出した。表示されていたのは「都知事選 立候補」というワードで寄せられた投稿動画だった。

「公示日前からSNSで出馬表明をしていた者が数人います。投稿された動画を見れば公示日を待たなくても、標的が街頭に立つのを予測できるんです」

 これで警戒しなければならない対象者が一気に増えたことになる。葛城はひどく憂鬱そうな顔をしていた。

 

 

 警視庁からセンターに戻ると、どっと疲れが出た。間違いなく精神的な疲れであり、自分がいかにあの庁舎の雰囲気を苦手としているか、改めて実感した。

 氏家は科捜研を辞めた理由の一つに設備の陳腐さを挙げるが、実を言えばタテ社会特有の窮屈な空気に嫌気が差していたのも一因だった。

 その最たるものが桐島のような管理職だ。他部署の人間だから直接接する機会は多くなかったが、それでもあの男の下で働くには気苦労が多かろうと推測する。直属の部下でいながら、あれほど素直なままでいられる葛城は大したものだと感心する。

 ちょうどいい比較対象になるのが、新見の横にいた来栖という若い隊員だ。生来の性格もあろうが、あの自衛官のような立ち居振る舞いの根源は警備部という組織が放つ臭みにあるような気がしてならない。

「ああ、お帰りなさい」

 ラボに顔を出すと、相倉が駆け寄ってきた。まるで主人の帰りを待っていた仔犬というのは失礼だが、来栖のような反応をされるよりは数倍マシだと思った。

「その顔は分析が終わったという顔だなあ」

「え、どうして」

「相倉くんは感情が顔に出やすいんだよ」

「何か嫌ですね。ガキんちょみたいで」

「終始、能面を着けているような大人より、よっぽどいいよ」

「これが分析結果です」

 差し出された成分分析表に目を走らせる。

 

C(炭素)    0.15

Si(ケイ素)  0.50

Mn(マンガン) 1.00

P(リン)    0.04

S(硫黄)    0.03

Ni(ニッケル) 0.60

Cr(クロム)  13.00

Fe(鉄)    84.0     (%)

 

 長らく成分表を眺めていると、組成で大まかな正体が見えるようになる。

「素材はステンレスかな」

「はい。JIS規格でSUS403。マルテンサイト系ステンレス鋼です」

「普通、銃身のバレルは真鍮製が多いよね」

 ステンレスは鉄を主成分とした合金で耐食性や強度に優れ、厨房機器や建築材料、医療機器、自動車部品などに広く使用されている。

 一方、真鍮は銅と亜鉛の合金で、加工性や導電性、耐摩耗性に優れた特性を持ち、水道部品、装飾品、楽器、電子部品などに多く使われている。また適度な強度と耐摩耗性があるため、歯車やバルブ部品としても活用されている。銃身のバレルに使用されているのは、偏にその加工性と耐摩耗性に拠るところが大きい。

「バレルの素材がステンレス鋼というのは聞いたことがない。となれば使用された狙撃銃は、おそらく市販のものではないだろう。確認は済んだかい」

「各銃器メーカーのサイトで検索していますが、今のところ見当たりません。自作の銃と考えてよさそうです」

「その場合、考えられる筆頭は?」

「弾丸の線条痕はとても正確で緻密でした。あれと同じ紋様を手作りできる銃職人は多くありません。入手経路は非合法なものと考えていいんですか」

「少なくとも鑑識や科捜研のデータベースにはヒットしなかったから、非合法とみて間違いはないと思う」

「それなら金属3Dプリンター一択です」

 相倉は自信満々に答える。氏家も同じ意見なので親指を立ててやる。

「ところで成分表、合計しても100パーセントに足りないんだけど」

「先にそれを言おうとしました。まだ完全に分析できた訳じゃありません。コンマゼロゼロ以下の微量な不純物が混じっているんです。これは想像ですけど、検品で弾かれたステンレスを仕入れたんじゃないかと」

 鉄鋼商社は鋼材、銅材、ステンレス等の素材の中間流通を主要業務にしているが、そのうち純度の低い素材については契約している業者に卸さず、市場に流すか廃棄しているのが現状だ。

「以前はともかく、これだけ金属素材が高騰している状況だと産廃から拾ってきた可能性は少ない。業者から買い付けたと考える方が妥当だろうね」

「最終段階で、その不純物の素性を洗っています」

 金属素材の成分構成はメーカーによって異なる。不純物の正体が明らかになればメーカーと卸業者が特定される。卸業者が特定できれば、素材を買い付けた人物も絞られてくる。

 

 

(つづく)