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たとえ外崎が嫌われ者であろうと、街頭演説中の狙撃事件は世間に大きな衝撃を与えた。
新聞の社説やネットでは狙撃犯への非難が燎原の火のように燃え広がり、外崎は一躍時の人となった。
『これは民主主義に対する明らかな挑戦である』
『いかなる評判の候補者であれ、いかなる思想信条が背景であれ、絶対にテロリズムを許してはならない』
『卑劣』
『接近してではなく、遠くから候補者を狙ったのなら二重に卑怯ではないか』
『司法当局は徹底的に追及するべき』
もっともどこにもどんな時にも異論は存在し、宮藤が示唆したように外崎の狂言を疑う声も一定数あった。悩ましいのは、今回の場合はその一定数が同情票と僅差である点だ。しかし、いずれにしてもいち泡沫候補に過ぎなかった外崎にスポットライトが当てられたのは事実であり、補選はここに至って潮目が変わった感がある。
好機を逃してなるものかと治療中の外崎が採った方法はSNSの拡散による選挙戦だった。
『有権者の皆様、外崎伺朗です。今、わたしはベッドの上からこの声明を発信しています。凶弾に倒れ、街頭演説は不可能になりましたが、こうして声明を発信し続けるのは、ここで怖気づいてしまえばテロリストの思い通りになるからです。外崎伺朗は暴力に絶対屈しません。あなたの力をどうかわたしに分けてください』
治療中患者の発信するSNSには一定の効果があり、あれほど悪評ふんぷんだった外崎を応援する声も出始めた。今までのようなドブ板選挙が効果的なのか、それともSNSを駆使した情報戦の方が有利なのか。外崎の得票数が直近の選挙事情を占うのだと論評する者もいた。いずれにしても、議員を目指す候補者は転んでもただでは起きないと、葛城は妙なところで感心する。
都の選挙管理委員会もまた異例の声明を発表した。
『今回の都議会議員補欠選挙において候補者の一人が銃撃された件は委員会も重く受け止めています。国民が正当に選挙を通して自分たちの代表者を選び、その代表者によって政治が行われる。それこそが民主主義国家の象徴であると言えましょう。その選挙を暴力行為で妨害しようとする動きは民主主義に対するテロリズムに他なりません。当委員会はかかる暴力行為を非難するとともに、警察を含めた関係各所に断固たる対応を望むものであります』
現場を漁っていた鑑識は、弾丸以外の有用な物的証拠を未だ発見できずにいる。駅前に設置された防犯カメラの何台かは外崎が撃たれる瞬間を捉えていたが、画像を解析しても銃弾の軌跡を証明するに留まった。銃弾は紛れもなく正面ビルの非常階段から発射されていたのだ。
射撃地点と特定された階段の踊り場からも目ぼしい発見はない。強いビル風が吹き荒び、毛髪が落ちたとしても飛んでいく。宮藤たちが慨嘆したように足跡を掻き消した痕跡しか残っていない。外付け階段なので外部から容易に侵入でき、しかも防犯カメラもない。
駅前までは直線距離で約九十五メートル。使用銃をライフルと仮定した場合、充分な射程距離と言えた。
所轄の小岩署とともに地取りを始めたが、事件当時ライフル銃を担いだ人間を目撃した者は皆無だった。ライフル銃の中にはコンパクトに分解できる種類もあり、下手をすればエコバッグに収まってしまう。「ライフル銃を担いだ怪しい人物」を探し回ること自体が無意味になる。音も同様だ。同時刻、当該ビル付近で銃声を耳にした目撃者を探したが、これもサイレンサーの使用を考慮すれば望み薄だった。
候補者が狙撃されるという、あってはならぬ事態にも拘わらず、得られた証拠はあまりにも少ない。撃たれた外崎のプロフィールから狙撃犯の背景を探るのも難しく、初動捜査は空転している感がある。事件の専従となった桐島班には、早くも焦りの色が見え始めていた。
二回目の捜査会議の際、村瀬管理官は明らかに苛立っていた。
「外崎候補の銃撃事件は単なる発砲事件ではない。捜査の進捗如何によっては、今後の選挙のあり方を問われる重要な事件だ。白昼堂々と演説している候補者が撃たれた。日本がテロリズムに脆弱であるとの誤解を世界中に発信されないためにも、犯人は早急に逮捕しなくてはならない」
おそらくは村瀬も警視庁トップから厳命されているのだろう。普段は変化の乏しい表情が、今回ばかりは焦燥に彩られている。
「現状、地取りも鑑取りも目ぼしい成果を挙げていない。悪評高い被害者だが、スキャンダルの元は買春ツアーの参加であり、外崎候補を直接憎む者がいる訳ではない。都の職員に対するセクハラ行為も既に解決済みの事案であり、同様に激しい恨みを持つ者は見当たらない。鑑取りを重ねて、外崎候補に個人的な恨みを持つ者を洗い出す必要がある」
鑑取りに投入する捜査員を増員するとの宣言に、桐島が片方の眉をぴくりと上げる。専従班のメンバーだけでは不充分と公言されて気分のいい班長はいないだろう。
「現場に残されていたのは被害者の肩を貫通した弾丸だけだ。弾丸について何かあるか」
立ち上がったのは鑑識の土屋だった。
「使用された弾丸は243ウィンチェスターでまちがいありませんでした」
「特徴はあるか」
「欧米ではシカ猟に使用される、もっともポピュラーな弾丸です。とにかく発射時の反動が低いので命中率が高い。弾速が速いので標的に命中した時の衝撃が大きい。経験の浅いハンターでも容易にシカを狩ることができる弾丸として有名です」
「日本国内でも流通しているのか」
「はい。日本国内に流通してる6mm口径の実包は243ウィンチェスターしかないという事情もあって、やはり狩猟に多く用いられています」
それまで強張っていた村瀬の表情がわずかに緩む。
「狩猟免許を取得している者は各都道府県が狩猟者登録をしている。名簿にある狩猟者を片っ端から潰していけば容疑者にヒットする可能性が大きい」
「それはどうでしょうか」
土屋が控え目に疑義を提示する。
「どういう意味だ」
「今も報告した通り、243ウィンチェスターはあまり経験のないハンターでも容易く扱える弾丸です。言い換えれば免許を持つハンターでなくても、腕に覚えがある者なら相応の成果を出すことができます」
「外崎候補はたった一発しか撃たれていない。素人に一発必中など無理な相談だぞ」
「ええ。だからこそ左肩を貫通しました。心臓ではなく」
「犯人が心臓を狙っていたのに外したというのか」
「一発目が左肩を貫通して、被害者は大きく体勢を崩しました。これでは第二発を狙えない。それで暗殺を中断して現場から逃走したという見方もできます」
「君の意見には大きな矛盾がある。それでは多少腕に覚えのある素人がライフル銃を調達して外崎候補を狙撃したことになる。話に無理があるぞ。何か考えでもあるのか」
次第に村瀬は詰問口調になっていく。だが土屋の方も一向に怯む気配がない。
長らく仕事をしてきたので、葛城は土屋の気性を知悉している。この道十二年の鑑識のベテランで、自身の目と経験則に基づいた鑑識は一課ほぼ全員の信頼を勝ち得ている。土屋本人も自信を隠そうとしないので、事情を知らぬ者の目には傲岸不遜に映るかもしれない。とにかく同僚だろうと上席者であろうと自説も節も曲げようとしない硬骨漢だ。
「銃が自作である可能性を否定できません」
「自作した銃で約九十五メートル先の標的に命中させることができるのか。今までも自作の銃による犯罪は発生しているが、いずれも近距離射撃を念頭に置いたもので、それは命中率が恐ろしく劣悪だったからだ」
「今までが劣悪だったからといって、今後もその状態が続く保証はどこにもありません」
「発見された弾丸にはちゃんと線条痕(ライフルマーク)が刻まれていたのだろう」
「たとえ自作の銃であっても、命中率を上げるためにライフリングを施す程度の手間はかけるでしょう。ちょうど話が出たので付け加えますが、発見された弾丸に刻まれた線条痕が腑に落ちないんですよ」
「どう腑に落ちない。溝が不規則なのか」
「いえ、溝は至極規則的です。管理官もご存じでしょうが、銃は使えば使うほど銃身の内側に刻まれたライフリングが摩耗します。その摩耗の仕方が射手や銃によってまちまちだから特定の決め手になる。線条痕が銃の指紋と呼ばれる所以です。だが発見された弾丸のそれはまるで新品の銃から発射されたように溝が均一でした」
「だったら新品の銃を使用したんだろう」
「狩猟のベテランならここぞという場面には普段から使い慣れた銃を使うはずです。腕に覚えがあるアマチュアにしても全くの新品で人を撃つとは考え難い。素人なら何度も練習をするはずだから、尚更ライフリングが摩耗するはずです」
「全部、君の当て推量ではないか」
「当て推量と言われればそれまでですが、生憎と外れたことはありません」
葛城はひやりとする。売り言葉に買い言葉とはこのことだ。二人とも悪気はないのだろうが、似た気性同士なので正面からぶつかれば言葉の応酬になる。
さすがに捜査会議の席上で激昂するのは大人げないと悟ったのか、村瀬は「もういい、座れ」と土屋を着席させる。
「鑑識は弾丸の解析結果を早急にまとめて報告しろ。鑑取りは増員して外崎候補の過去に絡む関係者を徹底的に洗い出す。また首都圏内で狩猟免許を取得している者の事件当日のアリバイを調べる。各県の猟友会への訊き込みを忘れるな。以上」
捜査員が一斉に席を立つ中、宮藤と葛城は土屋に歩み寄る。
「ブレませんね、相変わらず」
宮藤が話し掛けると、土屋は面目なさそうに頭を掻いた。
「だから睨まれる」
「好かれようともしてないでしょう」
「この歳になって好かれようたあ思わねえなあ」
「さっき気になる台詞がありました。線条痕は全く摩耗していないのに、狙撃犯が新品の銃を使うとは考え難い。そうでしたよね」
「俺も確たるものがあって喋った訳じゃない。だが初動捜査の時点で余分な先入観を抱かせたくないから敢えて言った」
「土屋さんには犯人像が浮かんでるんですか」
「俺の勘を聞いてどうしようっていうんだ」
「鑑識のベテランの話は有益ですよ」
しばらく宮藤と葛城を睨んでいた土屋だったが、やがて根負けしたように視線を外した。
「使用された銃は自作じゃないかって話はしたよな。以前は銃のマニアを気取ったヤツが旋盤を駆使して模造銃の工作に励んでいたものだが、3Dプリンターの登場で旋盤は駆逐された。原材料も安価で作業工程は比較にならないほど簡略化されている。3Dプリンターなら同じものを複数台作るのも簡単だし、ライフリングも刻める。原材料が炭素鋼やステンレスでないと長期の使用には耐えられないが、同じ銃が何丁もあれば関係ない」
口にはしないものの、葛城には土屋が言い渋った理由が分かる。
狙撃犯が土屋の想像した通りなら、捜査範囲は更に拡大してしまうからだ。
翌日、専従の桐島班に珍客が訪れた。
「はじめまして。科捜研から参りました幡野と申します」
幡野義光というのは見るからに学究肌の男で、むくつけき男たちが屯する刑事部屋に紛れ込むと異物感が顕著だった。
桐島がいつも以上の仏頂面で彼の横に立つ。
「彼は科学捜査員だ。今日から外崎候補襲撃事件の捜査に加わることとなった。皆、よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
途端に場がざわめく。
本来、科捜研の職員はあくまで肩書が研究員であるため、捜査に首を突っ込むことはない。しかし科学捜査員は例外だ。堂々と捜査に参加し、自分の考えを口にできる。
幡野の肩書と桐島の顔色を読めば、葛城にも凡その事情が推察できる。昨日の会議上のやり取りで土屋に不信感を抱いたらしい村瀬が、科捜研に話を通して幡野を引っ張ってきたのだ。
宮藤はと見れば、彼も悩ましい顔をしている。襲撃事件では引き続き鑑識作業が続行中なので、同じ事件に鑑識課と科捜研の両者が関わることになる。幡野の参加がプラスの方向に働けば万々歳なのだが、唯我独尊のきらいがある土屋が快く思うかどうかは予断を許さない。土屋の性格を知る一課の人間なら、皆が同じ危惧を抱くと見て間違いない。
葛城の不安をよそに、幡野は朗々とした声で一席ぶち始めた。
「日本という民主国家におきまして、外崎候補の襲撃事件はあってはならない事案です。解決が長引けば長引くほど国家の威信は落ちていくことでしょう。幸いにして犯人は弾丸という有難い証拠を残してくれています。不肖、私幡野は科捜研で培った知見の全てを提供して解決に尽力するつもりです。何卒ご協力をいただくよう、伏してお願い申し上げます」
誰かの咳払いがやけに大きく響いた。
(つづく)